第78話 極限環境に臨む
──東京・探索者協会本部、救護課会議室。
建物の最上階にある会議室は、昼過ぎというのに妙な緊張が満ちていた。蛍光灯の白い光が紙束とモニターの反射でぎらつき、壁に掛けられた大型スクリーンには真っ赤に焼けただれた地形データが映っている。
「……で、その“人間が活動不可能な領域”っていうのが、これですか」
桐嶋莉理香は受け取ったタブレットを見つめ、気まずそうな顔をした。
そこには──
・地表温度推定800度
・魔素濃度、既知ダンジョン最深域クラス
・局所的に真空に近い“陰圧の穴”の存在
といった、冗談みたいな情報が並んでいた。
画面の熱源マップには白に近い赤が広がり、もはや“危険”という言葉では足りない。
「温度ピーク、地表付近で八百度。魔素濃度は既存三大危険ダンジョンの五十階層相当。あと、局所的に陰圧……つまり“吸い込まれる穴”みたいな現象も見られるようですね」
「吸い込まれる……穴……?」
莉理香は眉間を押さえた。
ただの高温地帯でも厄介なのに、魔素が渦を巻いて吸引してくるとは。
榊が横から補足する。
「観測ドローンもここまで三機落ちてます。遠隔でもこの有様。探索者部隊は三回送りましたが、機材が耐えきれず全撤退です。最後の映像が──これですね」
モニターに映ったのは、白い閃光と、次いで全画面ノイズ。
あまりに短く、あまりに救いがない。
「うわぁ……」
莉理香は率直に顔をしかめた。
胸の奥、竜核が脈打つ。
〈行けるか〉と問われれば——間違いなく行ける。
焼けないし、凍らないし、毒にも圧にも負けない。
だが問題はそこではなかった。
「……ひとつだけ確認していいですか」
莉理香は正面に座る高村課長に向き直る。
「私とラギルが行くのはいいんですけど……私の服、溶けませんかね?」
「そこか」
会議室で小さな笑いが起きる。
だが本人はいたって真剣だ。
机に両手を置き、少し前のめりになる。
「いや大事ですよ!? 私だけ平気でも、服が溶けて生配信に乗ったら世界中で大事故ですよ!? あの、私ほんとに……恥ずかしいの嫌なんですけど……!」
『それは確かに、世界的大惨事だな』
胸奥で、白銀の竜ラギルがくぐもった笑いを漏らす。
『安心せよ。お前はすでに“身につけた物も含めて”守る方向に自己拡張しておる。火山帯でも溶鉱炉でも、一度たりともコートを焦がさなかっただろう』
「あ……言われてみれば」
「センサー記録でも確認できますね」
榊がタブレットを操作しながら語る。
「桐嶋さんの周囲数センチに、常時“薄い安定化バリア”が出てます。衣服と装備は完全にその内側。少なくとも鉄の融点……1500度くらいまでは平気じゃないですかね」
「……最初から言ってくださいよ、それ!」
莉理香は椅子にもたれ、疲れ切ったように嘆息する。
「じゃあ、服は……普通の救護課ジャケットでいけるってことですか?」
「少なくとも“世界トレンド入りする事故”はないだろうな」
「課長が具体的に言った……!」
莉理香は発言をとがめるように、高村を指差し頬を膨らませた。
「……本題に戻るが。今回の事態は国内だけでは済まん。国連経由で“国際観測ミッション”扱いになっている。現地の映像は全世界へリアルタイム配信だ」
当の高村は何事もなかったように、額を押さえながら呟く。
「……はい、それはいつものことですね」
「あんまり慣れるなよ」
ぴしゃりと突っ込まれ、莉理香は肩をすくめた。
だが、その緊張感とは別に――
この日の彼女は、珍しく神経質だった。
理由は簡単。
協会の広報が、今回の配信について“かなり強気”だったからだ。
「……あの、課長。ひとつ気になるんですけど」
「なんだ」
「広報さんが“今回の衣装プラン”とか言ってたんですが……私、衣装なんて持ってませんよ?」
「ああ、あれか」
高村は深くため息をつき、榊へ視線を投げる。榊は微妙に目をそらした。
「……実はスポンサーがですね、その……“竜神リリカ仕様・耐熱ジャケット”なるものをデザインしてきまして」
「は?」
莉理香は固まった。
「いや、普通の救護課ジャケットですよ? ただ胸にワンポイントで竜の刺繍が入ってて……あと背中に“RIRIKA”って……」
「ちょっと待って!? 私のユニフォーム勝手にブランド化しないでください!」
「海外スポンサーが“わかりやすい方が良い”と言っててですね……」
榊が申し訳なさそうに言う。
「配信になるので、各国の視聴者向けの“見た目の統一”が必要だとか……」
「えぇぇ……」
莉理香は頭を抱える。
(……あの、私の知らない間に……私自身も、マスコット扱いされてません?)
『良いではないか。可愛らしい衣装も、お前には似合うぞ』
「ラギルのそういう感想は求めてないです!」
さらに榊が、恐る恐る付け加えた。
「ちなみに……専用インナーもあります」
「……専用?」
「はい。耐熱三千度で、通気性が良くて、魔素フィルタ入り……あと、“竜神仕様”と書いてありました」
「そんなインナー欲しがる人いませんよ!!」
『いや、案外売れるんじゃないか?』
「耐熱三千度のインナー欲しい人はどこに行く気なの!!」
会議室の空気が妙に和んだが、課長だけは苦い顔をしていた。
「……まあ、その件は広報に任せるとして。“全部を一人で背負うな”。危険と判断したら即撤退。それは命令だ」
重い声で告げられ、莉理香は小さく息を呑む。
「……わかってます。今回は、ほんとに無茶しません」
その返事に、高村はようやく頷いた。
会議が終わると、広報担当が小走りで近づいてきた。
「桐嶋さん、衣装の件ですが……やっぱり“いつものジャケット+専用インナー”でいきましょう! 視聴者にとって“いつもの格好の竜神が極限地帯に行く”というギャップが魅力なので!」
「視聴者的に……?」
『良いではないか。ギャップは人間の心を掴むのだろう?』
「ラギルは黙ってて!」
しかし、広報担当は本気だった。
「あと、温度差演出のために“ジャケットの袖をまくるシーン”などがあると──」
「いや待って待って待って!? なんで演出の話になるんですか!」
「いやぁ、全世界が見るとなるとですね……!」
(……もうダメだ。私の服の心配どころじゃない)
もはや衣装は“戦闘装備”というより“番組衣装”に近い扱いで、新人アイドルのような采配が行われている。
『気にするな。お前が主役なのだから』
「だから嫌なんですよ!!」
しかし、最後には観念するしかなかった。
「……もういいです。溶けないなら……なんでも着ます……」
「ありがとうございます! 世界は盛り上がりますよ!」
広報担当は喜び勇んで去っていく。
莉理香は深く息を吐いた。
(……服の心配してたら、なんか……思ってた方向と違うことになってきた……)
だが、胸の奥の竜核は静かに脈動していた。
高温も負圧も、彼女にとっては恐れるべきものではない。
『莉理香よ。衣装はどうでもよい。だが——危険地帯では気を付けることは必要だぞ』
「……うん。わかってる」
『“向こう”が、お前を警戒し始めている。竜神の力を恐れ、同時に測ろうとしている』
その瞬間、胸がわずかに冷えた。
──異界の深層で、何かがこちらを見ている。
それは、おそらく“同格”にも届かないはずの存在。
しかし、間違いなくこちらを意識している。
「……ラギル。向こうに何かいるよね? “あれ”、強い?」
『分からぬが……かつての我の存在を超えているかもしれん。お前を敵と見るか、観測対象と見るか……その判断を迷っているのだろうか』
「…………」
莉理香は外の景色を見た。
曇り空。ビルの間を吹き抜ける風。
その向こうに、世界中の視聴者が待っている。
「……じゃあ、ちゃんとした姿を見せないとね」
苦笑しながら呟く。
「服が溶けなくて、迷惑もかけない範囲で……“散歩”してきますか」
『ああ。だが忘れるな。向こうもまた、お前を“見て”いる』
胸奥の竜核が、深い音を立てて脈打つ。
──極限領域の向こうで、何かが動き出している。
竜神リリカの訪れを、警戒しながら待ち構えている。
その正体が明らかになるのは、もう少しだけ先の話だ。
けれど次の瞬間、全世界の視聴者は知ることになる。
竜神と半神の“散歩”は、ただの散歩で済まないのだから。




