第37話 莉理香の全力
莉理香は掌を広げ、深く息を吸い込んだ。
胸奥の竜核が脈動し、周囲の熱を一気に奪い取る。
「――はぁっ!」
次の瞬間、冷気の奔流が放たれた。
灼熱の群れを突き抜ける白銀の嵐。炎を纏った魔物たちは抗う間もなく凍りつき、爆ぜるように砕け散った。
さらに二発、三発と範囲を薙ぎ払い、瘴気に塗れた怪物たちが氷像と化して崩れ落ちる。
一瞬、戦場に静寂が訪れた。
火山の轟きさえ遠ざかり、ただ氷の軋む音だけが響いていた。
《すげぇ……! 一面氷原になったぞ!》
《範囲冷気きたーー! 群れまとめて蒸発w》
《やっぱ人間じゃねぇわ……》
ネットは熱狂に沸き立つ。
だが莉理香は拳を握り直し、眉をひそめていた。
氷原の下――低く、不気味な軋みが広がったのだ。
灼熱の岩盤が急激に冷やされ、蜘蛛の巣状の亀裂が走っていく。凍りついた巨岩が重みを支えきれず、ぎしりと悲鳴を上げた。
(やっぱり……! 急冷で地盤が割れてる。このまま全開でやれば、地盤が崩落する……!)
ここは灼熱と瘴気が入り混じる火山内部。
もし無闇に温度を下げれば、岩盤は急冷され亀裂を走らせる。
最悪、溶岩流が暴発し、避難民どころか街全体が飲み込まれるだろう。
(それじゃ意味がない……なら――)
脳裏に浮かぶのは、榊との訓練で積み上げた理論。
範囲制御ではなく、個別に狙いを定めて同時に撃ち抜く。
夜空に散る流星群のように――複数の敵を同時にロックし、ピンポイントに冷気を刻む。
「……マルチロックでいく!」
莉理香の瞳が鋭く光を宿した。
掌を掲げると、空間に淡い光点が次々と浮かび上がる。
目の前の魔物たちの輪郭をなぞるように、十、二十……光点は増えていく。
そして――
――パァンッ!
光点が一斉に弾け、白い閃光が幾筋も奔った。
蛇の胴を貫き、狼の頭を凍りつかせ、羽音を撒き散らしていた昆虫の群れをまとめて氷柱に閉じ込める。
時間差なく同時に撃ち抜かれた群れは、まるで氷雨に打ち砕かれるように一斉に崩れ落ちた。
《マルチロック!? ロックオンしてるの!?》
《いやスパロボの必殺技やんwww》
《画面が弾幕シューティングになってるんだが》
コメント欄は阿鼻叫喚に染まり、現地兵士たちもただ呆然と口を開けるしかなかった。
「……こんなの、聞いてない……」
「いや……これは神の奇跡だ……」
相反する声が同時に漏れる。
希望と畏怖が同じ存在に重なり、誰も視線を外せなかった。
その中心で、莉理香はなおも冷ややかに状況を見据える。
「……まだ、終わってない」
胸奥で竜核が脈打ち、熱を帯びる。
ラギルの声が低く囁いた。
『よく考えたな、莉理香。冷気を暴発させず、獲物にだけ正確に刻む……まるで竜の爪だ』
冷気の流星群はなお空間を巡り、次なる獲物を探していた。
その姿はもはや人の戦いではなく、災厄に抗う“竜”そのものの顕現だった。
***
瘴気の泉は、まるで世界の奥底に潜む心臓のように脈打っていた。
轟々と鳴り響く脈動は岩盤を揺らし、紫黒の靄が絶え間なく吹き上がるたび、魔物が形を変えて産み落とされる。
中央に鎮座する核の結晶は赤い光を明滅させ、火山の鼓動と共鳴するように震えていた。
莉理香は一歩、前へ。
足元の岩盤が灼ける音を冷気が包み込み、蒸気が白く立ち昇る。
額には汗ひとつなく、その瞳はまっすぐに核を射抜いていた。
拳を握り、胸奥の竜核の鼓動を確かめる。
低く、重い声が響いた。
『莉理香よ、ようやく“獲物”に手がかかったな。あの核はダンジョンそのもの。砕けば魔物の漏出は止まる……同時に暴発する可能性もある』
(……それでもやる。ここで立ち止まるわけにはいかない!)
ドローンは彼女の背を映し続け、その姿を地上に届けていた。
避難民たちは大きなスクリーンに向かって手を合わせ、祈るように見守る。
現地政府の幹部たちは蒼白な顔で声を絞り出した。
「……本当にやるつもりだ……」
救護課の仲間も黙したまま映像を凝視する。
山崎は拳を握りしめ、低く言葉を絞り出す。
「行けよ。俺たちは戻ってくるお前を信じる」
莉理香は静かに掌を広げる。
空間に無数の光点が浮かび上がり、冷気の矢が次々と形を取った。
狙うのは魔物ではない。瘴気の泉なっている核そのものに全ての照準を合わせていく。
「……全部、同時に撃ち抜く!」
息を吸い、竜核が震える。
冷気は凝縮され、数十の矢が一斉に形を成す。
地上から見れば、それは夜空に散る流星群――いや、白銀の弾幕そのものだった。
――閃光。
冷気の矢が奔り、核の中心を一斉に叩き割る。
ひび割れが走り、ダンジョンが悲鳴のあげるように鳴動した。
『まだだ、小娘! 核は深い! 撃ち抜け!』
「……わかってる!」
莉理香はさらに掌を構え、全身の力を収束させる。
拳を叩き込むように、竜の咆哮を重ねるように――
全身から解き放たれた冷気の奔流が、核の中心を貫いた。
轟音。
結晶は砕け散り、紫黒の霧が悲鳴を上げるように四散する。
洞窟全体が大きく揺れ、赤と紫の光が爆発的に明滅した。
ドローンが震える映像を送る。
ネットは瞬時に白文字の嵐に覆われた。
《やった!? 今、核砕いた!?》
《うわああああ光が! 爆発がああ!?》
《逃げろおおおお!!》
《いや待て、まだ立ってる! 桐嶋先生まだ立ってる!!》
画面の中央。
冷気の残滓を背負いながら、莉理香はただ一人、静かに立っていた。
――灼熱と瘴気の地獄を、己の掌ひとつで切り裂いて。
砕け散ったダンジョン核の残骸が、きらめく光の粒となって宙に舞った。
紫黒の瘴気は嘘のように消え去り、耳をつんざいていた火山の轟きさえも、次第に遠ざかるように弱まっていく。
地獄のようだった空間が、急速に静寂へと姿を変えていった。
だが――その瞬間。
(……っ!?)
莉理香の全身を、激しい奔流が貫いた。
冷気でも熱でもない。もっと根源的なもの。
魂そのものを揺さぶるような力の奔流。
それは洪水のように竜核へと吸い込まれ、彼女の身体の奥深くに刻み込まれていった。
力の重みで意識が軋み、息が止まりそうになる。
『……ふむ。やはり核を破壊すれば、全てを吸収できるか』
胸奥でラギルが低く笑った。
その声音は満足を含みつつも、どこか懐かしさを帯びていた。
(ラギル……これ……!)
『恐れるな。ダンジョンが崩壊したとき、行き場を失った魂の力……お前の核がすべて呑み込んだのだ。人間どもには決して知覚できぬ、核を持つものだけに許された報酬よ』
莉理香は唇を噛んだ。
全身に漲る力。鼓動が速まり、視界が異様なほど澄み渡る。
まるで世界の輪郭すらくっきりと見えるような感覚。
だが、それを表に出してはならない。
(……これは、絶対に他人に言ったらやばいやつだ)
深く息を吸い込み、震える指先を隠すように拳を握りしめた。
内心に渦巻く高揚を押し殺し、外側の表情はいつも通りの静けさを保つ。
ドローンはまだ彼女を映している。
地上では、その姿を見守っていた人々が一斉に歓喜に沸き立った。
「やった! ダンジョン核が崩壊したぞ!」
「これで瘴気は止まる!」
「女神だ! 女神が降臨したんだ!」
現地の兵士はその場に膝をつき、避難民は泣きながら抱き合った。
ネットの画面は白文字の奔流で埋め尽くされる。
《マジで助かった!》
《ラスボス撃破おめでとう!》
《いやいや、やっぱ人間じゃねーわw》
《これ国際ニュース確定だろ……》
歓声と畏怖。
その相反する感情を同時に浴びながら、莉理香は静かに目を伏せた。
――誰にも知られぬ報酬。
魂の奔流は確かに彼女の竜核に刻まれ、力として蓄積されている。
歓喜に包まれる世界のただ中で、莉理香はひとり、密やかに目を閉じ、ゆっくりと拳を解いた。
その心に宿る重みは、彼女だけが知る秘密だった。




