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第23話 規格外の救護員、成長は誰にも止められない

 防衛省・ダンジョン対策局。地下会議室の蛍光灯は白々と光り、長机を囲んだ六人の顔を照らしていた。

 映し出されているのは例の“威嚇行動”の映像。薄暗い通路で犬型魔物の耳が伏せられ、甲殻を持つ個体すら一瞬怯み、その直後に集団で突進してくる。

 低周波を含んだ音声データが波形として並び、同時に魔素濃度が微細に揺らぐ様子が解析グラフとして表示されていた。


「――結論から言えば、対象は脅威ではない」


 心理担当の黒瀬が静かに言った。


「複数の聞き込みからも裏付けが取れている。攻撃性も野心もない。むしろ自己犠牲的傾向が強い」


 頷いたのは情報分析官の古谷だ。


「ネット世論の受け止めも概ね好意的です。“可愛い救護員”“仲間を守る壁”といった愛称が拡散されています。もし国が規制に動けば、逆に反発を招くでしょう」


 保護派の意見が次々と並び、会議室に一瞬、和らいだ空気が広がる。

 だが机を軽く叩いた音がそれを断ち切った。懐疑派の武藤が口を開いたのだ。


「だが事実として、未知の現象が観測されている。低周波と魔素波動が同時に出現する例は前例がない。人間の生理構造からも説明は不能だ。……未知のスキルと考えるべきだろう」


「それは否定しない」


 黒瀬が口を挟む。


「だが、それが即座に脅威と結びつくわけではない。彼女の行動原理は一貫して“仲間の安全”だ。意図的に危害を加えようとした痕跡はどこにもない」


 議論は平行線を辿った。

 古谷は黙って聞きながら、心の奥に別の疑問を抱え込んでいた。


 ――仮に、今の彼女が本当に仲間を守っているのだとして。

 では、その腕力を制御できる存在はこの国にどれだけいるのか。


 映像で見た一撃は、重量装備ごと魔物を粉砕する力。

 あれがもし人間に向けられたなら、防弾ベストも意味をなさない。

 軍の特殊部隊でさえ、近接戦闘で対抗できるかどうか――古谷には自信が持てなかった。


 しかし、それを言葉にすることはできない。

 懐疑派に与すれば即座に「やはり脅威だ」と結論づけられる。

 それは現状、善意でしか動いていない対象を一方的に追い詰めることになる。


 だからこそ――口を閉ざすしかなかった。


「調査の方向性をまとめよう」


 座長が口を開いた。


「現時点で敵意は認められない。したがって脅威指定は見送る。ただし監視は継続する」


「異議ありません」


「同意します」


 全員が形式的に頷く。

 しかしその瞳の奥には、それぞれ異なる迷いと疑念が揺れていた。


「ただし、武藤の指摘も無視はできん。未知のスキルの可能性は残る。引き続き、音波と魔素波動の解析を重点的に行え」


「了解しました」


 会議は閉じられた。


 廊下に出た古谷は、窓の外に広がる夕暮れの街をしばし見つめた。

 人々が行き交い、笑い合う光景――その日常に、あの“救護員”も確かに含まれているはずだ。


(……なのに、どうしてここまで異質なんだ)


 答えは出ない。

 ただ一つ確かなのは――彼らが議論を重ねている今この瞬間にも、彼女は現場で戦い、仲間を守り続けているということだった。


 ――そして、彼らが知る由もない事実があった。


 桐嶋莉理香の胸奥に眠る竜核。

 魔物を打ち倒すたび、その核は淡く輝き、相手の魂の断片を吸い込んでいた。

 わずかな欠片の積み重ねが、日に日に彼女を変貌させていく。


 骨は密度を増し、筋肉は知らず知らずのうちに力を増幅し、皮膚は鱗の兆しを隠し持つ。

 本人はそれを“疲れが抜けやすい”程度にしか感じていない。

 だが実際には、一日ごとに常人の域を越えていく。


 調査班が「今のままなら問題ない」と結論づけた、その瞬間にも。

 《ホワイトリリー》は、静かに、そして確実に強大な存在へと歩みを進めていた。


 防衛省の報告書にはこう記されている。


――対象者、現時点での脅威度:低。

――行動原理:仲間の救護。

――監視は継続するが、保護的観点を優先。


 無機質な文字列の裏で、誰も気づかぬ“成長”が進行していた。

 その行き先が光となるのか、あるいは闇へと至るのか――

 まだ誰にも、わからない。


***


 探索者協会・救護課の搬入口。

 午後の陽射しが差し込む中、桐嶋莉理香は両腕に大きなケースを抱えていた。

 医療用資材と予備の結界発生器――通常なら二人がかりで運ぶ重量だ。


「桐嶋さん、待って待って! それ重いですよ!」


 新人隊員が慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですよ。これくらいなら片手で――」


 莉理香は笑いながら、片手でケースをひょいと持ち上げた。

 冗談のような光景に、周囲から小さな笑い声が漏れる。


「……あの人、やっぱり怪力だよな」


「怪力っていうより……いや、助かるよな。搬入が楽で」


 救護課員たちは苦笑混じりに言い合い、作業は和やかに進んでいく。

 莉理香本人は「ちょっと体力に自信があるだけです」と肩をすくめ、照れ笑いを返した。


 だが、その様子を遠くから監視カメラ越しに見つめる瞳があった。


 別棟の観測室。

 調査班の分析官たちが、複数の映像をモニターで追っていた。

 搬入口、訓練室、廊下、食堂。いずれも公的に設置された監視カメラの映像だ。


「……また片手で百キロ超えか」


「解析した重量データも間違いない。普通の人間なら腰をやられる」


 分析官が端末にメモを取り、ため息をつく。


「でも、不思議と“脅威”には見えませんね」


「そうだな。周囲が笑って受け入れている。……むしろ、日常の一部みたいだ」


 確かに、そこに映るのは同僚と笑い合う一人の女性。

 命令もなく、誇示するでもなく。ただ自然体で“力”を使いこなしている。

 その映像は、脅威よりも“安心”を印象付けてしまうのだった。


***


 数日後。救護課が地域の避難訓練に協力することになった。

 莉理香は医療班の一員として参加し、近所の子供たちに応急処置の体験を教えていた。


「もし友だちが転んで怪我をしたら、どうする?」


「えっと……血を止める!」


「そうそう。タオルやハンカチで押さえるの。みんな覚えた?」


「はーい!」


 子供たちの元気な声が響き、莉理香は柔らかく笑った。

 その優しい表情は、魔物を拳で吹き飛ばす姿とはまるで別人だ。


 練習が終わると、子供たちが一斉に彼女の周りに群がる。


「おねえちゃん強いんでしょ! 魔物やっつけたんだよね!」


「え、いや……私は守っただけで……」


「すごい! ヒーローだ!」


 小さな手が彼女の腕を掴み、無邪気な笑顔が弾ける。

 莉理香は困ったように眉を下げつつもしゃがみ、子供たちと目線を合わせた。


「ありがとう。でもね、ヒーローはみんなだよ。助け合えることが、一番強いんだから」


 その言葉に拍手が広がり、大人たちの頬も緩む。

 ――その光景を、監視カメラは余さず記録していた。


「……子供に人気、ってレベルじゃないな」


「まるでアイドルだ」


「世論が彼女を“守れ”と叫び出したら……もう規制は不可能だろう」


 観測室で保護派の黒瀬が小さく呟く。


「誰もが彼女を善意の象徴と見ている。……これを脅威扱いするのは、難しい」


 だがその心の奥底には、別の恐怖が沈殿していた。

 ――もし本当に、彼女の力を止められる存在がいなかったとしたら。


***



 夕暮れ。莉理香は自室に戻り、シャワーを浴びて汗を流す。

 監視カメラが届かぬ、完全にプライベートな時間。

 防衛省の調査班も、その領域には踏み込まない。――少なくとも、表向きは。


 浴室を出て髪をタオルで拭きながら、莉理香はベランダに出た。

 夜風が頬を撫でる。

 掌をかざすと、そこに淡く揺れる熱が集まる。


 ――見えない熱球。


 触れれば一瞬で皮膚を焼き尽くすほどの温度。

 それを彼女は無意識に抑え込み、闇夜に散らした。

 闇夜に消えた残滓を、誰も知る者はいない。


(……これ以上、誰にも見せちゃいけない)


 小さく息を吐き、手を下ろす。


『隠すのが上手くなったな』


 胸奥で、ラギルが小さく笑った。


(……ありがとう。でも、これは本当に……)


『わかっている。守るためだろう? だが忘れるな、力は隠していても膨らんでいく』


 その声を振り払うように、莉理香はベランダを後にした。


***


 翌朝。

 救護課の仲間たちと並んで歩く彼女の笑顔は、昨日と何一つ変わらない。

 調査員の尾行カメラには、ただ“誠実で温かな救護員”が映っている。


 だが、その背中の奥に秘められた力は――

 誰の目にも映らぬところで、静かに、確実に肥大していった。

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