第22話 脅威認定?可愛いスタンプ量産中です
防衛省・ダンジョン対策局、地下会議室。
分厚い鉄扉の奥に並んだ長机の上には、複数のホログラム映像が浮かんでいた。
スクリーンに映るのは――探索の最中、犬型魔物の群れが突如立ち止まる場面。
その前に立つのは、重量装備をまとったひとりの女。
彼女が一歩踏み出し、口を開いた瞬間、空気が揺らぎ、魔物たちが怯むように耳を伏せた。
「……これが例の“威嚇行動”か」
中央に座る初老の官僚が、眼鏡の奥を細めて呟く。
映像を一時停止すると、すぐさま音響波形の解析グラフが並んだ。
「人間の声域を完全に逸脱しています」
説明役の技官が、指先で波形を拡大した。
「最低周波数は19Hz。人間にはほとんど聞き取れません。しかし動物や魔物の感覚器には直撃する。恐怖や不安を喚起する“危険周波数”と呼ばれる領域です」
「なるほど……つまり声というより、音響兵器だな」
若い制服組が低く唸る。
「ええ。ただし機材を使った痕跡はありません。あの女性は――素の声帯から発しているのです」
会議室に、ざわめきが走った。
肺活量も声帯も物理的に破壊されるはずの領域。それを平然とやってのけ、なお呼吸を乱さない。
スクリーンの中で、彼女は淡々と次の動作に移っていた。
「……異常だな」
「魔物の群れが一斉に足を止めるなど、通常のタウンティングではあり得ない」
幹部たちが声を交わす。
続いて映像が切り替わる。
甲殻を持つ中型魔物が突進する――だが、女は百キロを超える装備をまとった腕で受け止め、微動だにしなかった。
まるで城壁に突っ込んだかのように魔物の勢いが殺され、そのまま殴打で甲殻ごと粉砕される。
「……これもおかしい」
「重量を加えれば加えるほど動きは鈍るはずだ。格闘家に意見を求めたが、全員“理論的に不可能”と断言していた」
説明役が肩をすくめ、机上に映る資料を切り替える。
「対象者――桐嶋莉理香。探索者協会救護課所属。医師免許保持、元研修医。探索者資格は正規登録済み。経歴に不審点は……一切ありません」
画面に映し出されたのは、黒髪を後ろで束ねた証明写真。
真面目な眼差し。清潔感のある白衣姿。履歴書はまるで見本のように“完璧”だった。
「……逆に怪しいな」
初老の官僚がぼそりと漏らす。
「規格外の力を持つ者には必ず影がある。だが彼女にはない。……クリーンすぎる」
「裏が取れているのか?」
「はい。大学病院での研修記録も、医師国家試験の成績も確認済み。家族構成も一般的。監視対象としては滑稽なほど“普通の人間”です」
会議室に沈黙が落ちる。
だが、映像が示す現実はあまりにも異常で、誰も楽観視できなかった。
「音響班の報告によれば、声と同時に局所的な魔素波動が観測されている」
「……魔素干渉を伴うスキルか」
「可能性は高い。だが登録上、彼女のスキルは〈癒手〉と〈結界〉。未登録のスキルを隠している疑いは否定できません」
「つまり、未登録のスキルを隠し持っている、と?」
その問いに、会議室の空気が張り詰める。
探索者協会の登録は自己申告制――偽装や用途限定は珍しくない。しかし、ここまでの規格外を隠しているとなれば話は別だ。
「……現状、違反の証拠はありません」
座長が唸る。
「だが、防衛の立場としては“念のため”監視対象とすべきだ」
「異議なし」
「同意します」
制服組の幹部たちが次々と頷いた。
最終的に、結論はこう下された。
――桐嶋莉理香、コードネーム《ホワイトリリー》。
――特殊能力の可能性を否定できず、特別調査班の監視対象とする。
――協会との摩擦を避けるため、直接の接触は行わず、行動記録と映像解析を中心に情報収集を進める。
「以上だ。……この件は表沙汰にするな」
座長の言葉で会議は閉じられた。
会議室を出た若手分析官の耳に、上司の低い声が届いた。
「覚えておけ。ああいう存在は、国益か脅威か、その境目で常に揺れる」
「……ですが、今のところ彼女は仲間を守っているだけに見えます」
「だからこそ恐ろしいんだ。善意で制御できるうちはいい。だが、もしその力が暴走したら――誰も止められん」
廊下を歩く足音が、重く響いた。
国家レベルの監視は、すでに始まっていた。
***
桐嶋莉理香――コードネーム《ホワイトリリー》。
防衛省の特別調査班が設置されたのは、例の会議からわずか一週間後だった。
調査班は六名。情報分析官、現場調査員、心理学の専門家、魔素工学の研究員。いずれも国家安全保障に携わる中堅どころだ。
表向きは「探索者協会との合同研究員」。実態は監視と記録。
任務の第一目標は“異常な威嚇行為の正体を突き止めること”。
調査員の一人、佐藤は協会本部の廊下を歩きながら内心で苦笑した。
彼らが訪問した理由は「救護課の現場環境調査」という名目。
だが、同行する職員たちの表情は妙に和やかだった。
「桐嶋さん? ああ、あの子ね」
救護課の看護師に声をかけると、すぐに明るい笑顔が返ってきた。
「よく働くわよ。疲れてても最後まで残って片付けまでやるし。面倒見もいいし」
「ええ……そうですか」
佐藤は端末にメモを取りつつ、少し拍子抜けしていた。
「強すぎて怖い、とか、問題行動があるとか……そういう評判は?」
「強すぎるのは確かだけどね。でも怖いっていうより、むしろ“安心感”。あの人が一緒だと前に出る子たちが落ち着くのよ」
話しぶりはあっけらかんとしている。裏の顔を探るには拍子抜けするほど、同僚たちは彼女を信頼していた。
調査は続いた。
別の隊員が巡察部隊の記録係から聞き込みをする。
「桐嶋さん? あの人、戦闘より先に必ず“誰かが怪我してないか”って確認するんです」
「魔物が迫ってるのに、血を流した隊員を見たら即座にそっちに駆け寄る。普通じゃできないですよ」
調査員は驚きを隠せずにペンを止めた。
報告書の想定欄には「自己顕示欲」「過剰な攻撃性」といった項目が用意されていたのだが、実際に拾える情報はその正反対だった。
「……なんだこれ。善人エピソードしか出てこない」
「むしろ医者としての使命感が強すぎるな」
調査班のメンバー同士が視線を交わす。思っていた“脅威の片鱗”は一向に掴めない。
翌日。調査班は救護課の休憩所近くで雑談を耳にした。
無精ひげの男性課長――高村の声だ。
「まったく、あの子は……。また夜遅くまで自主トレしてたらしいぞ」
「えー、身体壊しちゃいますよ」
三浦の明るい声が返る。
「それでも止められんのだ。本人が“もっと守れるように”って言うからな」
「真面目すぎますね」
廊下の角に隠れながら、その会話を記録する調査員の胸に、妙な違和感が残った。
――守るため。
その一言が、どんな規格外の能力の説明よりも重く響いていた。
調査班の本拠地に戻ると、情報分析班から追加報告が上がっていた。
SNS解析AIが弾き出した結果。
「……“咆哮スタンプ”、DL数が一週間で百万突破?」
「しかも国外にまで拡散してます。東南アジアや欧州のフォーラムでも話題になっている」
軍服の幹部が思わず眉をひそめる。
本来なら軍事的リスクを論じるはずの会議室で、今や“可愛い咆哮”が海外ファンアートとして拡散している事実が議題になっている。
「どういうことだ。国民は恐れるどころか、好意的に受け止めているのか」
「はい。救護員として仲間を守っている姿勢が強調されており、むしろ“理想のヒーロー像”として扱われています」
「……厄介だな」
幹部は頭を抱えた。
「もし本当に脅威だとしても、今の世論は彼女を保護すべきと考えるだろう」
数日後。調査班は一連の聞き込みと映像解析をまとめ、暫定報告を提出した。
――対象者に敵意・攻撃性は認められない。
――救護課内外の評判は極めて良好。
――動機は一貫して“仲間の救護と安全確保”。
――むしろ自己犠牲的傾向が強く、脅威指定には不適。
最後の一文に、座長は沈黙した。
脅威と判断するには根拠が薄すぎる。しかし異常な音響現象は確かに存在する。
つまり「危険性を否定できないが、現時点で敵意も不審もなし」という宙ぶらりんな結論しか導けない。
「……結局、どうすればいい」
誰かが吐き捨てるように呟いた。
その問いに、心理学担当が小さく答えた。
「見守るしかありません。彼女は、ただ善意で動いている」
会議室に重苦しい沈黙が落ちた。
だが全員が、心のどこかで理解していた。
――もしこの善意が揺らぐときが来れば、その瞬間が本当の脅威の始まりなのだと。
***
同じ時刻。
救護課の更衣室では、ひとりの新人救護員が制服を畳みながら、スマホを手にしていた。
「……あ、また増えてる」
画面に並んでいたのは――「着ぐるみ救護員スタンプ」の新バリエーション。
今度は竜の着ぐるみを着て、ちまっとしたフォントで「がおー!」と叫ぶ姿が描かれている。
莉理香は思わず吹き出し、小さく笑ってしまった。
「可愛い……これなら、送っても怒られないかも」
『ふむ……これが人の“名誉”というものか?』
胸の奥で、ラギルが不思議そうに首をかしげる。
(名誉……なのかなぁ。どっちかというと、ネタ扱いじゃない?)
『ネタでも笑顔を生むなら、害はなかろう。……それに、この姿が“可愛い”と評されるのならば――悪くない』
竜らしからぬ柔らかい声音に、莉理香は肩を震わせて笑った。
「……ラギルまでそんなこと言う?」
更衣室の窓の外では、夕暮れの光がガラスを橙に染めている。
防衛省の地下会議室で「国家レベルの脅威」として監視の対象にされたことなど、当の本人は露ほども知らない。
彼女にとって今は――
スタンプの新作を誰に送ろうか悩む、そんな小さな日常だけがすべてだった。




