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第21話 救護課の怪物――笑いと警戒の狭間で

 協会公式の記録ドローンが撮影した映像は、例によって翌日には切り抜かれてネットを駆け巡っていた。

 暗い通路で犬型の魔物が竜の咆哮に怯み、甲殻を持つ中型さえも引き寄せられた末に粉砕される。救護員のはずの女性が最前線に立ち、重量装備を支えに壁となり、仲間を守る姿。


《いやこれ救護員でしょ?》

《なんでタンクしてんのww》

《魔物ビビってんだけど!?》

《可愛い声が恐怖属性とかどういうこと》


 コメント欄は大騒ぎだった。まとめ動画サイトには早くも「救護課の怪物」という見出しが躍り、SNSでは可愛らしいイラストやAAまで登場していた。

 威嚇のワンシーンを切り抜いたスタンプは「可愛いのに魔物絶叫」としてチャットアプリで拡散中。

 本人が知らぬところで、社会的な評価は加速していた。


***


 その頃。探索者協会・本部の執務フロア。

 救護課の課長・高村は、分厚い書類の束を前に眉間を押さえていた。


「……来たか」


 机上に浮かぶホログラムには、本部安全管理部からの正式な照会文が映し出されている。


――桐嶋莉理香の技能登録と実際の活動に齟齬が見られる。

――救護枠として後方支援に従事するはずが、前衛行動を常態化させていないか。

――魔素干渉を伴う特殊スキルの疑いがあり、確認を要す。


 要するに「新人が目立ちすぎて上がざわついている」ということだった。


「課長、やっぱり来ましたね……」


 顔を出したのは三浦。ベテラン看護師にして救護課のムードメーカーだ。


「ああ。予想はしていた。だが、登録も監督も正式だ。規則違反ではない」


 高村は書類を閉じ、淡々と答える。その冷静さとは裏腹に、眼鏡の奥で瞳は僅かに険しさを帯びていた。


「でも映像を見たら、誰だって“後方支援”には見えませんよ。前線で素手で魔物を吹き飛ばす救護員なんて」


「それでもだ。登録上は〈癒手〉と〈結界〉。前衛活動は“状況に応じた判断”と答えれば筋は通る」


 冷静に言い切りながらも、高村の声音には苦味が混じる。

 彼自身、誰よりも莉理香が“規格外”であることを理解していたからだ。


「……問題は、本部だけじゃない」


 三浦が怪訝そうに眉を上げた瞬間、端末が通知を鳴らした。差出人は――防衛省。


「うわ、マジですか……」


 三浦が思わず顔をしかめる。

 高村は無言で通信を開いた。モニターに現れたのは、防衛省の担当官。背筋を正した制服姿の男が、硬い声音で告げる。


「探索者協会救護課所属、桐嶋莉理香について――追加情報を求めたい。特に“威嚇行動”と“重量装備下での戦闘力”について、詳細な記録を提出していただきたい」


「……なるほど。つまり、確認と」


 高村はわずかに目を細める。


「我々としては、あくまで警戒を前提とした“念のため”です。彼女を脅威と断じるつもりはありません。ただ、もし仮に協会の監督を離れた場合――その力がどちらを向くのか。我々としても把握せざるを得ないのです」


 担当官は言葉を切り、低く付け加えた。


「威嚇による群れ制御、広域威圧。さらに百キロを超える重量装備をまといながらの高威力打撃……。軍事利用を想定すれば、部隊単位の制圧力に匹敵します」


 その声音には警戒と、わずかな興味が混じっていた。


「……正直に言えば、こんなスパイがいたら逆に困りますがね。経歴も資格も、すべてが開示されすぎている。潜入工作どころではない」


 三浦が横で吹き出しそうになるのを堪える。

 高村は表情を変えず、低い声で返した。


「ご安心を。彼女は正規登録済みであり、医師免許も保持。活動はすべて公開記録に残っています。秘匿も背信も、一切ありません。……彼女は救護員であって、兵器ではない」


 担当官は短く頷いた。


「……承知しました。では記録の写しを後日。――ご協力感謝します」


 通信が切れ、部屋に静寂が落ちる。


「……防衛省まで来るとはね」


 三浦がため息交じりに呟く。


「派手にやりすぎたんだ。だが、あの子に隠せと言う方が無理な話だ」


 高村は椅子に背を預け、天井を仰いだ。

 窓の外には、協会本部のゲート塔がそびえ立っている。


 その下に所属する一人の救護員――桐嶋莉理香。


 規則上は何も問題がない。だが現実には、彼女の存在そのものが“規格外の爆弾”のように、内外の視線を集め始めていた。


***


 その頃、救護課の待機室。

 昼休憩を終えたばかりの隊員たちがソファに腰を沈め、タブレットを囲んで笑い声を上げていた。


「見ろよこれ! “威嚇声が可愛い”だってさ!」


 豪放な山崎が腹を抱えて爆笑する。

 画面には例の咆哮シーンがループ再生され、吹き出しで「がおー!」とつけられたファン編集動画が映っている。


「いや、可愛いか? あれ、現場で聞いたら心臓止まるかと思ったぞ」


 隣の男性隊員が呆れ気味に突っ込み、周囲がどっと笑う。


「ネットってのは勝手なもんだなぁ」


 三浦が肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

 その一方で、どこか楽しそうでもある。


 そこへ――扉が開いた。

 当の本人、桐嶋莉理香が資料を抱えて入室してきた。黒髪をきちんと結い上げ、落ち着いた面持ちで。


「……あの、何かありました?」


 一斉に視線が集まる。

 しかし誰もすぐには言い出せず、気まずい沈黙が落ちた。やがて山崎が頭を掻きながら口を開く。


「いやな、ちょっとネットが騒いでてさ。……“救護課の怪物”とか“鉄壁女医”とか」


「……は?」


 莉理香はぽかんと目を瞬かせる。


「威嚇が可愛いって言われてますよ」


 三浦が苦笑まじりに補足した。


「……ええと……」


 莉理香は頬を赤くし、困惑の色を浮かべる。

 視線を泳がせながら、搾り出すように呟いた。


「私はただ、仲間を守りたかっただけなんですけど……」


 静かな言葉だった。

 だがそれは飾り気のない、本心からの声。その真剣さに、一瞬だけ場の空気が和らぐ。


***


 その夜。莉理香は自室でネットニュースを開いていた。

 画面には、自分の咆哮の波形解析や「低周波による恐怖喚起効果」の専門家コメントが並ぶ。

 同時に「魔素濃度が揺らいでいる」との観測報告も。


(……魔素干渉……やっぱり、分析されたらわかっちゃうのか)


 胸の奥で竜核がかすかに震える。

 そして、ラギルの低い声が響いた。


『当たり前だ。咆哮は魂に触れる技。人間どもがいくら“低周波”だの“反響”だの言い繕おうとも、真実は魂の震えにある』


(……でも、私がどこまで人間でいられるのか、わからなくなるよ)


『ふん。人であることを恐れるな。お前は人であり、竜でもある。だからこそ守れるのだ』


 ラギルの声はどこか誇らしげだった。


 莉理香は目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、村上の頼もしさ、杏奈の皮肉交じりの声、真由の冷静な眼差し、亮介の冗談混じりの笑顔。


(……私は、守りたいだけ)


 小さく息を吐き、画面を閉じる。


***


 翌朝。

 救護課の執務室に再び通知が届いた。

 協会本部からの正式回答だ。


――桐嶋莉理香の登録情報は有効。前衛行為は現場判断の範疇と認める。

――ただし前衛活動を常態化させることは推奨されない。救護課は監督責任を負うこと。


 高村は静かに端末を閉じ、眉間を指で押さえた。


「……まあ、こうなるよな」


 課内の空気はざわつきながらも、妙な一体感に包まれていた。

 誰もが理解していた。――自分たちの課に、“とんでもない存在”がいることを。


『ふん。とんでもない存在、だと? ようやく理解したか。遅いわ』

 胸の奥でラギルが愉快そうに笑う。


(やめてよ……これ以上騒ぎになるのは困るんだから)


『だが遅かれ早かれ、世界は知る。――竜娘が歩んでいるとな』


 莉理香は思わず苦笑した。


 そしてその日の午後。

 ネットの片隅では、また新しいネタが生まれていた。


「着ぐるみを着て咆哮する救護員」。


 ギャップ満載のスタンプは爆速で拡散され、もはや一種の“アイコン”と化していた。

 軽い冗談、内輪の笑い。だが――皮肉なことに、その表現は真実に最も近かった。


 外見はただの救護員。

 だが、その内側には竜の核が宿り、魂を震わせる咆哮を放つ。


 冗談として消費されるスタンプが、誰より正確に“桐嶋莉理香”という存在を言い当てていたのだ。


 彼女が本当に竜の力を抱えていることを。

 そして、それを笑いに変えられる日常が、どれほど危うい均衡の上に成り立っているのかを――知る者はごくわずかだった。

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