第62話
お久しぶりです
もう少し過去(前回の生)回が続きます
次の日の朝、私は王都を離れた。
昨夜の私の振る舞いは最善策にはほど遠く、もっと洗練された方法があったと思う。しかしあの場面を流せば、これからもジャン・カルドは同じように絡んでくる。それはブロック伯爵家を貶めることであり、当主の友人であっても許せはしない。
しかし、夫の顔を立てるためにも醜態を晒した私はすぐに領地に向かう。これは痛み分けなのだろうか。自分が去った後、王都で面白おかしく噂になるだろうと思い、うんざりした。
領地に向かう馬車の中で、私はずっと気の滅入る考え事をしていた。
ダスティンは王都に残り、領地の薬草を広める。領地にいる時よりも多くの人と顔を繋ぎ、親交を深めるだろう。あの『友人達』ともこれまで以上に、だ。影響されやすい彼はきっと更に私を軽んじるようになる。これまでもそうだった。彼らに会った後のダスティンは気が大きくなり、当たりが強くなった。そうなれば、いつかあの下衆の申し出を受ける日も……。
瞬間、ぞっと鳥肌が立った。
しばらく領地に籠る間に、何としても自分の足場を固め、影響力や実利を持たなければ。私が子を為せない夫人として、彼らの思いどおりに決してならないために。でも具体策は何も見つからない。絶望的な気持ちで、私は四日後に領地に着いた。
懐かしの我が家で長旅の疲れを落とし、心も落ち着いた。眠りにつく前、いつもの優しい香りがした。枕元におくサシェは領地の花を使った特別製で、私のお気に入り。タウンハウスでも毎晩同じものを使っていたが、自分の寝台ではより格別だ。私は香りを深く吸い込んで目を閉じて……、
「えっ」
体感一秒後に目を開けると、もう日が高く昇っていた。寝た実感もないのに身体が妙にすっきりしている。それほどに深い眠りだった。
「よく眠れたわ。やっぱりあの香りがいいのね」
呆然と支度を整える私の呟きに、侍女はにこやかに答えた。
「よろしゅうございました。メルも喜びます」
メルはあのサシェをつくった未亡人だ。
「会いたいわ。後で呼んで頂戴」
朝食のような昼食が終わる頃、メルは急いでやって来た。
「貴女、何をしたの?」
挨拶も待たずに切り出した私に、メルはびくりと身体を震わせた。
「申し訳ありません。何か……」
「ああ、違うのよ。サシェの香りがとても良かったの。何を変えたのか知りたくて」
青ざめたメルを落ち着かせそうと、私は微笑んだ。メルは困ったように答える。
「あ、ありがとうございます。いつも通りにしております」
「今回、いつもより深く眠れたのよ。何か変えたのではなくて?」
「いつもと同じように作りました。変わったところ……」
メルは言葉を切って考えていたが、突然はっとしたように続けた。
「あの、今までは温室で冬越ししたものを使っていました」
「冬越し?」
「はい。あの種類はいつも冬に枯れます。奥様がお気に入りだったので、寒くなる前にお館の温室に移しました。冬の間もずっと咲くように」
そうだ。あの香りは私が臥せっていた秋も、寝たり起きたりだった冬も、常に部屋で香っていた。
「上手く咲いて増やせたので、暖かくなってから薬草畑に移せました。王都にお出かけ前は温室育ちの分をお使いで、今のは畑で増やしたものを使っています。お帰りになると聞いて新しいサシェをお渡ししました。その違いでしょうか」
「そうだったの」
「はい。あの冬は特別寒かったので、温室で守れてよかったと思います。株が強くなって、香りも良くなったのかもしれません」
私には過ぎ去った冬の寒さがわからなかった。思い出せるのは、悲しみのなかで時々優しい香りがしたことくらい。それが私の癒しだった。
「奥様には株も私たちも守っていただいて、本当にありがとうございます。これで冬が越せました」
救われたのは私の方なのに、メルはそう言って頭を下げた。
メルのサシェが館に届けられるのは、秋から週に一度と決まっている。私の拠り所はメルからすればよい定期収入で、子と二人で生きて行くのに大きな助けとなったようだ。
私は軽く頷いて、声を掛ける。
「なら、これからも期待しているわ」
「はい。より励みます。でしたら、奥様」
迷うメルを視線で促すと、顔を上げて思い切ったように答えた。
「サシェを作る際の、屑を使うお許しを願いたいのですが」
「どういうこと?」
「奥様にお渡しするものは、中の花も草も大きさや香りを選んで最上のものを使っております。それから漏れた細かな屑を少し使ってもいいでしょうか」
「何に使うの?」
「うちの大家のご隠居が眠りが浅くて、お嫁さんが毎晩起こされてつらそうです。集めた屑をほんの少しいただけたら、布にくるんで渡したくて」
「ご老人は眠れないの?」
「年を取ると上手く眠れないのだそうです。私はこれまで、奥様の心をお慰めするサシェを作っておりました。それが眠りにもよいなら、確かめてみたいのです」
職人気質のメルの訴えに、私は軽い気持ちで応じた。
「いいわね。結果も教えて頂戴」
これが当たりだった。
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