第25話
「アイリスとの夕食も、またしばらくおあずけね」
夕食も終わろうとする頃、母はそう言ってアイリス姉さまに笑いかけた。アイリス姉さまはにこやかに返す。
「次は年が明ける前には戻りますね」
「ええ、楽しみにしているわ。体に気を付けてお過ごしなさいね」
和やかなやり取りを前に、父はむすっとした顔で食事を続けていた。父は本当はアイリス姉さまを隣国へ送りたくないのだ。その様子を見てロージー姉さまが忍び笑いを漏らし、母に目で窘められていた。私は食事を続けながら、その様子に笑みを浮かべる。
「ミリカ、今日は大人しいね」
ロージー姉さまに話しかけられ、いつものように笑ったはずの微笑みはどこかぎこちなくて、ああ、私はまだ。
「アイリスが隣国へ発つのだ。ミリカも面白いわけがなかろう」
横から父がぼそりと不機嫌に呟き、母と姉さま達が目を交わしあう。本当のことを言えない私は、有難く父の勘違いに乗らせてもらった。母とロージー姉さまがほくそ笑むなか、父は知らん顔で食事を続けている。
「ミリカ」
アイリス姉さまに呼ばれる。目を潤ませた姉さまは私と目を合わせて。
「必ず手紙を書くわ。約束する」
その表情を見た私は今なら自然に笑える気がした。
「約束ですよ」
私は今度は上手く笑えたらしい。頷くアイリス姉さまの微笑みは安心したように見えた。
◇
「もう下がっていいわ。ありがとう」
寝支度が終わり、私はベッドの上からエマに声をかけた。頭を下げるエマは明らかに礼を執る時間が長く、頭を上げた後も視線が強い。私はあえて目を合わさなかった。
「おやすみなさいませ」
最後に声をかけ、エマはそっと扉を閉めた。すぐに立ち去る様子はなく、ややあってから扉の向こうの気配が消えた。
エマが昼間のことを心配していたのはわかっていたが、構われたくなかった。
私はベッドに横になり、溜息をつく。昼間のダスティンの声を思い出した。
『私は、きみを』
あの後、何を言うつもりだったのだろう。
ここ何年かの交流が少なかったとはいえ、婚約者だった二人。お互いにしかわからないこともある。以前の私とダスティンのように。そう考えて、
「ふふっ」
つい自嘲してしまう。
別れた後も縋るように声をかけられるアイリス姉さま。
結婚して殺された挙句、前婚約者への未練を知った私。
比べるまでもない。
私はきっと、最初から愛されていなかった。気づく機会はたくさんあったのに、ずっと見ないふりをしていたのだ。
そう自覚した途端、はっきりと思い出した。
「その服は背伸びしすぎかな。もっと年相応なものが似合うよ」
前回、ダスティンにそう言われたときのこと。
前回の生で、最後にあの水色のデイドレスを着た日は、ダスティンの婚約者になって初めての顔合わせだった。私が婚約者なのだからと、何もかも気合を入れて臨んだのに。私は褒められると期待していた分傷ついて、涙を堪えきれず、どうにか答えた。
「私っ、このドレス、がお、大人っぽく見えると、思っ、て、義兄さ、まに合わせ、よう、と」
「ミリカ」
涙声の私の肩に触れ、ダスティンは優しく言った。
「そんなに早く大人になろうとしなくていい。ゆっくり一歩ずつ、二人で進んでいこう」
見上げた翠の瞳はあの日と同じに優しくて。その思いやりで、私は余計に泣いた。
それを愛だと思っていた。
涙が溢れる。息をゆっくりと吸って、ゆっくりと少しずつ吐く。
声を上げたら皆に心配をかけてしまう。それに、明日はアイリス姉さまを笑顔で見送るのだ。
なのに、涙が止まらない。
ゆっくり吸って、ゆっくり細く吐く。
声を殺して泣くのは得意だ。隣で眠る夫に気づかれないよう、何度も上手くやってきたこと。ああ、前回の拗れた結婚生活も役に立つ、なんて。なんて、笑えやしない。
涙の止まった深夜、私はようやくおちついて眠った。
お読みいただきありがとうございました。
ブックマーク、評価、いいね等ありがとうございます。深く感謝しております。