4 (完結)
・残酷描写があります。(ちょっと暴力的な表現です)ご注意ください。
ルシアンが出かけてから、三十分ほど経った頃、ふと出入り口のほうに人の気配がした。
「ルシアン、忘れ物ですか……?」
振り返ったレニは、ぎくりと動きを止める。
「え?」
信じられなくて、声が漏れた。そこにいたのはルシアンではなく、見知らぬ男だったのだ。
男は二十代半ばくらいだろうか。目つきが鋭く、背が高い。体格もがっしりしている。薄茶色の髪と、吊った焦げ茶色の目をしていて、皮鎧を身に着けていた。そして、手に杖を持っている。魔法使いだろうか。
「誰!?」
レニは鋭く誰何して後ずさり、調理台に腰をぶつけた。
「やっぱりな、見間違いじゃなかった。アルビノ、見ーっけ」
男はにまりと目を細めた。
まるで隠れん坊で遊んでいる子どもみたいな、無邪気な響きの声だった。
レニはハッと自分自身を見下ろす。ここは安全だから、マントで身なりを隠していない。腰まで伸びた白い髪と赤い目、白い翼があらわになっている。色の抜け落ちたこの姿を見れば、レニの正体など一目瞭然だ。
「まさか……邪教徒?」
「その言い方は失礼だな。正式名は、逸話教っていうんだぜ」
男がゆっくりと近付いてくるので、レニはまな板の上の包丁をつかんだ。両手でしっかりと持ち、体の前で構える。
「はは。かーわいい。震えてる」
男は立ち止まった。
レニはそのことにほっとしたが、すぐに気を引き締めて警戒しなおす。男はこの程度を障害と思っていない。
必死に逃げ道について考えるレニに、男は余裕たっぷりの態度で、まるで道端ですれ違った知人のような態度で話しかけてくる。
「お前、この間、町に来ていただろう? その時にな、ちらっとその白い髪が見えたんだ。それに、地面には白い羽が落ちてた」
レニはさあっと青ざめた。あの時は必死なあまり、周りを警戒する余裕がなかったのだ。
「あの日、カラス族のアルビノが、一人行方不明だったからよ。お前じゃないかと追いかけたんだよなあ」
――あの日。
その言葉にも、息を飲む。
この目の前の男は、三年前、カラス族の村を襲った者の一人だというのか。
あの夜の恐怖を思い出して、レニは足から力が抜けそうになる。なんとか踏ん張って、仲間の――そして母の敵をにらむ。
男の語りは続く。
「だけど、残念。住処は分かったが、ヘビの巣じゃあな。ここは、あの魔法使いのにおいがプンプンしてやがる」
男は鼻に皺を寄せて、くさいという仕草をした。
あいにくとレニは生まれつき、あまり鼻がきかない。男の言うことは分からない。
「あいつ、嫌いなんだよな。ヘビのくせに、正義ぶってるだろ? あいつらは汚れ役がお似合いだってのに」
「師匠を馬鹿にしないで!」
聞き捨てならず、レニは震えながら反論した。
「あの人は……口や態度は悪いけど、本当は優しい人なの。ヘビにだって色んな人がいるのに、そんな色眼鏡で見ないでよ!」
「どうだろう。お前が死んだら、食べるつもりなのかもしれないぞ。アルビノを食べたら、寿命が延びるんだからな」
「そんなの嘘よ! 古臭い迷信で、私達を傷付けないで!」
カッと頭に血が昇り、レニは言い返した。
その瞬間、男の空気が変わる。怒気をはらんだ冷たい気配に、レニはひやりとした。
「古臭い迷信? 馬鹿にするな!」
そして、男は踏み出した。
「きゃあっ」
レニはビクッとし、男を遠ざけようと、無我夢中で包丁を前に突きだす。
しかしその手首を取られ、包丁が手を離れた。カランと床に転がって、甲高い音が響く。
「楽に殺してやろうと思ったが、やめた。少し遊んでやろう」
男の捕食者の目に、レニは身をすくめる。肉食系の獣人なのは間違いないが、レニにはこの男が何者なのか分からない。
男に突き飛ばされ、レニは居間の床に敷いてある絨毯へと倒れ込んだ。その後ろから頭を押さえつけられる。
「綺麗な羽だな。こいつで枕でも作るか」
「痛い! やめて!」
ブチブチという音とともに、翼から羽根を引きちぎられる。先のほうを切るくらいなら問題はないが、生え変わりの時期に勝手に抜けるならともかく、根本には痛覚があるのだ。
レニはじたばた暴れ、翼も羽ばたかせたが、男にはまったく歯が立たない。
あまりの痛みに集中できず、魔法も使えない。やがてぐったりと、レニは倒れ伏す。そのレニの首に、男は容赦なく噛みついた。鋭い牙が皮膚を突き破り、そこがカッと熱を持ったようだった。
「~~っ」
あまりの痛みに声も出ず、レニは涙を零して、息をしようとあえぐ。
(ああ……私……もう死ぬのね)
徐々に狭まっていく視界の中、レニが思い出すのはルシアンのことだ。
「ルシアン……」
こんな時なのに、レニは悔しい。
(どうせ食べられるなら、あなたが良かった)
本当に、残念だ。
ゆっくりと目の前が暗くなり、そのまま深い闇へと意識が沈みかけたその時、急に首の痛みが退いた。
「ぎゃああっ」
男の悲鳴が上がり、吹っ飛ばされて、洞窟の壁にぶつかった。そのまま無様に床に転がる。
「貴様、よくもレニにこんな真似をっ」
ルシアンの声は凍えるようだった。冷静さに怒りをはらませ、男を怒鳴りつける。
「そのまま大人しくしておれ!」
ルシアンは魔法で植物を呼び出して男を縛り上げ、魔法を使えないように猿ぐつわまでした。男はむぐむぐと何か騒いでいるが、ルシアンは無視してレニの傍らに膝をつく。
「レニ、しっかりしろ! 意識をたもつんだ。クソッ、まずは止血を」
舌打ちとともに床を走る音がした。ルシアンはすぐにレニの傍に戻ってきて、首の怪我に厚い布を押し当てた。
「見たところ、傷はそこまで深くはない。大丈夫だ。がんばれ、レニ」
また動き回る音がして、今度は手に石を握らせられた。じんわりと痛みがにぶくなった気がして、それが不思議で、レニはぼんやりとしたままゆっくりと瞬きをする。
「癒しのまじないを刻んだ石だ。そこまで血は流れていない。大丈夫だ」
ルシアンはレニに安心させるように言い、苛立ちを込めて舌打ちをする。
「売り物を忘れてな、たまたまとはいえ、取りに戻って良かった。まさか邪教徒に住処をかぎつけられるとは! あのイタチ野郎、お前を弱らせてからゆっくりと食うつもりだったのだろう。おぞましい!」
心からの嫌悪を込め、ルシアンは男に悪態を放つ。
「貴様を殺して川に捨ててやりたいのはやまやまだが、貴様は領主に突きだしてやる。死ぬほうがマシな、手ひどい尋問が待っているぞ! 構わぬだろう? お前はこんなふうに、何人も食ってきたのだろうからな。いつかしっぺ返しがくるのは、分かっていたはずだ」
ぐうう。獣のうなり声が返る。身をよじって暴れる男を冷めた目で見て、ルシアンは男に魔法をかけた。
「うるさい。寝てろ!」
眠りの魔法をかけられ、男はバタッと眠りに落ちた。部屋の中が静かになる。
ルシアンはイライラしているが、レニの傷を押さえる手には気遣いが感じられる。
「レニ、もう大丈夫だからな」
ルシアンが傍にいる。
それだけで、レニは気が緩んだ。そのまま目蓋が落ちそうになると、ルシアンが焦りをにじませて声を張り上げる。
「駄目だ、レニ。寝るな! 起きていろ!」
そして、レニの意識が落ちそうになるたび、ルシアンが呼び止める。
レニは必死に起きていようと努力しながら、左手をルシアンのほうへ動かす。体全体が重くて、たったこれだけのことにとても疲れる。
ルシアンが励ましてくれるが、レニはもう無理だと思った。自分の虚弱さは、レニが一番よく分かっている。きっと眠りに落ちたら、それが最後だ。だから、どうしても伝えたいことがあった。
「動くな、体力を使うと疲弊する。どうした?」
レニの左手に触れ、ルシアンがレニの顔を覗き込む。その綺麗な顔も、今のレニにはよく見えない。
「……べて」
「何?」
衣擦れの音がした。ルシアンがレニの口元に耳を近付けたようだ。
「私のこと、食べて」
レニがなんとかしぼりだした言葉に、ルシアンが息を飲む。怒ったように言い返す。
「食べない。どうしてそんなことを言う。弱気になるな!」
がんばれと励ます声に、レニは涙が溢れてくる。
「あなたに……感謝してる。でも、私は何も持ってない」
いつかお返ししたいと思っていた。もう叶わないなら、自分の身をあげるしかない。
「だから、食べて」
「クソッ。お前ときたら、どうしてこんな時まで……」
やるせないと言いたげな呟きをして、ルシアンはしばし黙り込む。そして、静かに頷いた。
「分かった。そんなに望むなら、食べてやるから。今は治すことを考えろ。死にかけはまずいからな!」
レニは微笑んだ。
「約束……」
そして、なんとかたもっていた意識の糸を離す。
「おい、レニ! レニ!」
ルシアンの呼ぶ声を遠くに聞きながら、レニの意識は闇へと沈んでいった。
それからレニは、一日、生死をさまよった。
ぷかりと水面に浮かぶみたいに、時折意識が浮上する。
ルシアンがレニに何か声をかけたり、医者と話しているルシアンの声が聞こえたり。記憶はまばらだ。
そして三日後、意識をはっきりと取り戻した時、ルシアンは憔悴しきった顔をしていた。
「ルシア……?」
声がかすれて最後まで呼べなかったが、ルシアンは腰を浮かせた。
「レニ、私が分かるか?」
レニは小さく頷く。
「ああ、良かった」
深々と溜息をつき、ルシアンはレニの右手の甲を、まるで祈るみたいに包んで顔に近付けた。
「ありがとう、生きのびてくれて」
鼻をすする音がして、冷たい雫が手に当たったことで、レニは彼が泣いていることに気付いた。
それから甲斐甲斐しく看病をしてくれながら、ルシアンはこの三日のことを話す。ルシアンはレニの救急処置をした後、すぐにレニを抱えて町に行き、医者に診てもらったそうだ。ここはその医者が運営している医院の一室らしい。それから、レニが持ち直したのを確認してから、捕縛した男を衛兵に突きだしたことも教えてくれた。余罪を明らかにして、仲間のことを聞きだした後、死刑になるだろうという話だ。
死刑と聞いても、レニの心は暗く沈んだだけだった。仲間の敵だ。気持ちが晴れるかと思ったが、そんなことはない。敵が死のうが、あの事件はずっとレニの中に残る。だがもう犠牲者は出したくないから、彼らが捕まることを祈った。
「本当に、どれだけ私が気をもんだか」
最後に、ルシアンがいかに胸がつぶれるような思いをしたか、こんこんと聞かされた。
水で喉をうるおし、痛み止めと化膿に効く薬などを飲んでから、レニはふうと息をつく。
「……ごめんなさい」
「耐えきってくれたから、それでいい。私も悪かった。家には誰も来られないと踏んで、結界もかけずに出かけていたからな。怖かっただろう? 本当にすまない……」
すっかり自己嫌悪しているルシアンに、レニはふるふると首を振る。
「ルシアンは悪くないの。私が町に来た時に、あの人に気付かれたみたい。それに、カラス族のアルビノのことも知ってたわ。あと一人、行方不明だって……。襲撃者の一人なんだと思う」
「つまり、行方不明の一人が生きていれば近辺にいることを見越して、町で張っていたのか? ――分かった。すぐにあの男の顔なじみにも怪しいところがないか、調べさせよう。ここの領主はな、邪教徒排斥運動をしているのだ」
だから恨まれることも多く、よくのろいの品が送りつけられるのだという。厳しい表情をして、ルシアンはすっと椅子を立つ。
「レニ、私は邪教徒どもが嫌いだ。私の母もアルビノだった。だから、お前達の苦労はよく知っている」
「もしかして、ルシアンのお母さんも……?」
「いいや。父が有能な魔法使いだったし、母も魔法の腕はかなり良くてな。病死してしまったが、最後まで幸せに生きたと思うよ。ただ、父が母の死に耐えられず、後を追うように弱って死んだのはきつかったがな」
レニは急に納得した。
ルシアンのレニへの気遣いが妙に的を射ているので、どうしてそんなに分かるんだろうと不思議だったのだ。ルシアンがアルビノの母を持っていたからだったのだ。
ルシアンは部屋を出て行こうとして、戸口で立ち止まり、また戻ってくる。
「レニ、これをやろう。もし悪党が来たら、これを投げつけるのだ。草の蔦が飛び出して、捕縛してしまうからな。足止めをしたら、眠りの魔法をかければいい」
「ありがとう」
レニが礼を言うと、ルシアンは部屋を出て行った。レニは守りの魔法が仕込まれた石を眺める。彼の過保護さが、くすぐったかった。
それから一週間後、レニはようやく退院できた。
「あの……ルシアン。これはさすがに恥ずかしいのですが」
もう大丈夫だと言っているのに、ルシアンがレニを腕に抱え上げて下ろそうとしない。少しでも歩いたら、レニが倒れると思っているみたいだ。
「気にするな。軽いからな」
「でも、周りの人の視線が気になるので……」
「全員、かぼちゃだと思え」
「そんな無茶苦茶な」
レニの抗議にも、ルシアンはどこ吹く風だ。
「私をさんざん心配させた罰だと思うのだな」
「うっ、それを言われると何も言えません」
結局、レニは諦めて、ルシアンの肩に頭を預けて寄りかかった。
惣菜やパンもたくさん買いこんだので、しばらく料理はしなくていいそうだ。彼が堂々と甘やかすので、レニはちょっと気まずい。
「私、弟子なのに」
「弟子ならば、師匠の言うことは黙って聞け」
「はーい」
何を言っても無駄だと悟り、レニは悪あがきをやめた。
ルシアンは町を出た後、魔法で空へと飛んだ。そして、対岸の森に下りて、遠回りをしてから住処に戻る。
後をつけられていないか警戒していたようだ。
部屋を確認して、安全が分かってからレニを中へ入れた。そして、入口には結界を張る。まるで蜘蛛の糸のように編まれた光の壁だ。物理も魔法も弾くものである。
あっさりと高等魔法を使ってのけるルシアンのすごさに面食らいながら、レニは久しぶりの我が家にほっと息をつく。心配していたよりも綺麗だ。
「たまに戻って、掃除と洗濯をしておいたからな。しばらくは何もしなくていいぞ」
「ありがとうございます」
なるほど、レニがすぐに家事をしだすのを見越して、ルシアンは先手を打っていたようだ。
おかげで、その日はゆっくりと過ごすことができた。
買ってきた料理を食べ、ルシアンが用意してくれた風呂にも入る。
だが、寝間着に着替えてさあ就寝という時、急にレニはルシアンに抱き上げられた。
「きゃっ。な、なんですか?」
「お前、私に食べろと言っていただろう」
「そうですけど……」
レニは首を傾げる。こうして生き延びたのに、食べるとはどういうことだろう。その意味が分かったのは、ルシアンのベッドに運ばれて、押し倒された時だ。
「えっ、まさか、そっちの意味ですか!?」
「私は食人をするような悪食ではないし、こっちのほうがずっと美味そうだ」
ルシアンにとろけるような笑みを向けられて、レニはヘビににらまれた蛙みたいに身動きができない。かあっと顔を赤くしたが、結局、体の力を抜いた。
そして、甘いキスが降ってきた。
一夜を共にした翌朝、レニの左の薬指には、銀製の指輪がはまっていた。
「る、ルシアン、これ……!」
感極まって涙目のまま詰め寄ると、相変わらずのルシアンは、目をそらして悪態を返す。
「弟子ではなく、嫁になれという意味だ。嫌なら外せばいい!」
「そんなわけないじゃないですかっ。ありがとうございます。私、うれしくて……」
泣きだしてしまったレニを、ルシアンはほとほと困った様子で抱きしめる。
「おい、泣くな。どうして泣くのだ」
「うれしいんですぅ」
「お前は……まったく。嫌がっても、もう離してやらぬからな」
「いいです、構いません。――ルシアン、愛しています」
ひしっとルシアンにしがみつき、レニは心からの言葉を口にする。
少しの沈黙の後、ルシアンはレニの耳元で同じことをささやいてくれた。
それから少しして、レニ達は引っ越すことになった。
レニが邪教徒に襲われたことが、よほどルシアンの痛手になったようで、ルシアンは師の後を継いで、領主家の顧問魔法使いになることに決めたのだ。
家は領主館のすぐ傍に構え、領主から派遣された衛兵が、常に警備している。何かがあれば、すぐに領主館に知らせが来るという寸法だ。
前々から打診されていたのをルシアンが断っていたらしく、ルシアンの考えを変えるきっかけになったことで、レニは領主に感謝された。
新しい生活を穏やかに楽しみながらも、レニは時折、夫となったルシアンにこう話しかける。
「ルシアン、私、やっぱり、いつかはあなたに食べられたいです」
「ふん、馬鹿を言うな。もったいなさすぎて、とても食べられぬ」
ルシアンは少しだけ呆れを混ぜて、しかし真剣にそう返す。
そしてレニの額に、甘いキスを贈った。
終わり。
短編なのでかなりはしょってますが、長編にするなら、日常がもっと増える感じでしょうね。
では読んでいただいてありがとうございました!