第10話 夢と現実
「レイン」
そう呼ばれ俺はハッと顔を上げた。そこにはティオの顔があった。ティオの目には涙が浮かんでいる。どうしてそんな悲し気な表情をしているのだろうか。
俺は立ち上がろうとして全身に痛みが走った。そうだ思い出した。ティオをいじめてた奴等を追い払おうとして逆に痛めつけられたんだ。
「大丈夫か?」
俺はティオに訊く。ティオは心配そうな顔を向けた。
「私は平気だよ……。それよりもレインが……」
「俺はたいしたことねーよ」
俺は唇についた血を手で拭った。どうやら殴られた時に唇を切ったようだ。
「あいつら……お前の事馬鹿にしやがった」
孤児の俺達はいつも他の子供に馬鹿にされてきた。俺は自分のことなら我慢できたがティオのことは我慢ならなかった。
「レインが怒ることないよ……」
「うるせー。俺がムカついたからやっただけだ」
「弱いのに無茶するから……」
「う、うるせー!」
俺は急に恥ずかしくなって顔を赤くして叫んだ。ティオはそれを見てクスッと笑うと涙を拭った。それを見て俺も笑った。
「私……勇者になる」
「はあ?」
突然のティオの言葉に俺は声を上げた。
「レインを守る勇者になる」
「なんで俺が守られるんだよ……」
俺は思わず苦笑する。俺が常日頃から勇者になるなどと夢見ているのをティオは知っている。だからこんなこと口走ったのだろう。ティオは俺を見て微笑んだ。
◇◇◇◇
「ん……」
俺は瞼の裏に光を感じゆっくりと目を開けた。そこには酒場の風景が広がっていた。床に転がる空の酒瓶。砕けて散らかったテーブルや椅子。隅に転がる店長の死体。
夢……か。
あれは懐かしい記憶だった。まだ俺達が子供だった頃、頼るべき親のいなかった俺達はお互いが家族のようだった。だからティオを馬鹿にする奴を俺は許せなかった。
俺を守る勇者……か。あいつらしい。あんな事を言ったのティオは覚えちゃいないだろう。だけど俺はその言葉がずっと胸の中に残っていた。
「はあ……」
急に現実に引き戻されたようで俺は溜息を吐く。昨日飲みすぎたせいで頭が痛い。二日酔いと言うやつだ。昨日のことはほとんど記憶にないがどれくらい飲んだのだろうか。床に転がる瓶を見る限り結構な量だ。
窓から光が差し込んでいる。どうやら朝のようだ。なんだか身体が重い。俺は上半身を持ち上げようとして驚いた。
「えっ」
見ると俺の膝の上にシャーリーが頭を乗せて寝ているのだ。静かに寝息を立てながら気持ちよさそうに熟睡している。彼女の胸の膨らみが俺の足に当たって柔らかい感触が伝わってくる。
「っ!」
俺は動揺してあたふたとする。だが彼女を振り落とすこともできない。その時、俺の目の前に二人の影が現れる。言うまでもないがガトーとパウロだ。
二人は俺とシャーリーの姿を見て呟いた。
「オメー……ったくしょうがねー奴だな」
「まあ……命の危機に子孫を残そうとするのは人間の本能だからね。しょうがないよ」
二人はやれやれといった表情で気まずそうに言う。それが逆につらかった。
「いやいや! 違います! 俺とシャーリーさんは何もありませんって!」
俺は慌てて弁解しようとする。だが二人は仕方ないといった表情で言う。
「分かった分かった。そういうことにしといてやる」
「気にすることないよレイン君。よくあることさ」
「だから違うって!」
俺は思わず叫んだ。するとその声に気付いたシャーリーが目を覚ます。
「ん……」
シャーリーは寝ぼけ眼で頭を起こした。それに気づいたガトーとパウロは気を使ってその場を離れる。シャーリーは俺を見ると不思議そうな顔をした。
「あれ……レインさん……どうして……」
そう言ってシャーリーは自分が今俺の膝の上にいることに気付いた。そして急に顔を真っ赤にして慌てて俺の身体から離れた。
「ご、ごめんなさい!」
「いや……別にいいですよ」
俺は一生懸命平常心を保った。内心、心臓がドキドキしていた。
「う……気持ち悪い……」
「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょ……うっぷ」
彼女は口を押えトイレへ駆け込んだ。便器に向かって思いっきり吐いているようだった。俺は彼女の背中をさすりながら介抱してた。どうやら相当飲んだようだった。彼女は全て吐き終えると息を整える。
「あ、ありがとうございます」
それから俺達は再び酒場に集合した。俺とシャーリーを見てガトーがニヤニヤしながら言う。
「おはようお二人さん。昨夜はお楽しみか?」
「ち、違います!」
シャーリーが慌てて否定した。だがガトーはからかうように笑う。シャーリーは不安げに俺の方を見た。
「違います……よね?」
いや、俺に訊かれても。
俺が困惑してるとパウロが咳払いする。
「それより……これからどうするんですか」
パウロの言葉に俺達は静まり返った。とにかく、無事に夜を越すことができた。問題はここからどうすべきかだ。
俺は窓の隙間から外を見る。やはり外にはゾンビがウロウロしていた。ゾンビには睡眠も必要ないのだろう。
町はゾンビだらけでどこも塞がれている。町を出ることは難しい。
「大通りも裏通りもゾンビで一杯……どうすれば……」
シャーリーは困惑した表情で呟く。みんながこれからどうすればいいか思案している中、ガトーが声を上げる。
「思ったんだが……なんであいつらは共食いしねーんだ?」
「え?」
俺はそう言われてみて気付いた。確かに共食いをしているゾンビは見たことない。
「ゾンビは生きた人間しか食べないからじゃないですか?」
シャーリーは首を傾げながら言うと、ガトーは言い返す。
「じゃあどうやって生きた人間とゾンビを見極めてる?」
「それは……」
シャーリーは言葉に詰まった。確かにゾンビと人間は見た目はほぼ同じだ。視覚で判断しているならゾンビ同士で殺し合ってないとおかしい。
するとパウロが眼鏡をかけ直し呟いた。
「臭い……でしょうね」
「臭い?」
俺は思わず聞き返した。パウロはゆっくりと話し出す。
「ゾンビは恐らく、嗅覚で人間とゾンビを区別しているんですよ。野生動物でも人間の何千倍もの嗅覚を持ち獲物を見つけるものがいます。やつらも同じように優れた嗅覚を持っているのでしょう」
「だから隠れても無駄ってわけか……クソッ!」
ガトーが悔しそうに呟く。ゾンビは狩る側で俺達は獲物というわけだ。
「まあ見たところ知能は低そうですし……全くの無駄というわけではないでしょう」
「でも臭いでバレるなら……暗闇に紛れて町を脱出するのも難しそうですね……」
「そうですね……。でも……僕の仮説が正しいなら……うまくいけばゾンビの目を誤魔化せるかもしれません」
パウロの言葉に俺達は驚いた。
「なんだって!?」
俺達は身を乗り出しパウロに詰め寄った。この状況から逃れる術があるとうのが信じられなかった。パウロはそんな俺達を見て少し言いにくそうにする。
「あまりいい案とはいえませんが……」
「いいからさっさと言え!」
ガトーが急かすように言う。パウロは溜息を吐くと落ち着いた表情で言った。
「……分かりました。奴等が臭いで人間を判別しているなら、臭いを消せばいいんです」
「臭いを消す?」
俺は思わず声を上げた。
「どうやって?」
「獣を追う狩人は、自らの臭いを消すために獣の皮を被るそうです。だから、僕らも同じことをすればいいんですよ」
パウロはあっけらかんとそう言った。俺達はそれを聞いてシン……と静まり返った。
獣の皮を……被る? それって……。
「じょ……冗談だろ?」
俺は思わずそう願った。そんな作戦、正気とは思えなかった。だがパウロの目は正気を失ったそれではなかった。
「いいえ。僕は本気ですよ。幸いなことに、ここにはゾンビの死体がある」
そう言ってパウロは酒場の隅に転がる店長の死体に目を向けた。死体は腐っているのか腐臭を放っており蠅が周りを飛んでいる。
俺達は無言でその死体を見つめた。
「ほ、他に方法はないの……?」
シャーリーが今にも消え入りそうな声で呟く。だがこれ以外に方法はないことはここにいる全員が分かっていた。生き残るためにはパウロの作戦が最善なのだ。
「やるしかないのか……」
そう言って俺はみんなに目を向けた。シャーリーは今にも泣きそうだ。さすがのガトーも気が滅入った表情を浮かべている。パウロは意を決したように頷いた。
俺は大きく息を吐く。そしてガトーに向かって言った。
「ガトーさん。斧を貸してください」
「お前……」
「俺がやります」
ガトーは無言で斧を手渡した。俺は呼吸を整えると、斧を振り上げる。そして勢いよく店長の死体に向かって斧を振り落とした。
肉が潰れ骨が砕ける生々しい音が朝の酒場に鳴り響いた。




