第八十一話 交錯する言葉、揺らぐ均衡
艦橋の空気は凍りついていた。
深淵の奥に浮かぶ艦影――〈ノア〉。
その艦から直接送られてきた通信は、確かに「人類」の声だった。
◆通信の開始
「こちらは深淵管理艦隊旗艦〈ノア〉。不明艦、応答せよ。繰り返す、応答せよ」
遼は深く息を吸い、通信回線を開いた。
「こちら、イージス艦〈みらい〉艦長、橘遼。所属は――地球、日本国海上自衛隊……だった」
数秒の沈黙。
やがて、低い男の声が返ってきた。
「確認不能。地球、という単語を使用したな。詳細を述べよ」
遼は視線をユイに送る。
ユイは静かに頷き、暗号化回線を補強した。
◆揺れる対話
「我々は異世界転移の結果、この海域に漂着した。敵意はない」
「……異世界、か。にわかには信じがたい」
〈ノア〉の声は冷徹だった。
「だが、貴艦の技術水準は我々と同等か、あるいはそれ以上。放置すれば、この世界の均衡を崩す危険がある」
遼は即座に返す。
「均衡を崩しているのは北方帝国だ。我々はただ民を守るために動いている」
通信の向こうで、誰かが短く笑った気配がした。
「守る? 軍艦が、か」
◆艦内の姿
その瞬間、ユイが別回線を操作し、映像リンクを開いた。
〈みらい〉の艦内映像が映し出される。
医務区画で治療を受ける老人。
温室で芽を育てる子供たち。
レイリアが子供の髪を撫で、歌を口ずさんでいる姿。
ユイの声が重なる。
「これが、私たちの“戦いの理由”です」
一瞬、相手の声が止まった。
やがて、別の人物――女性の声が回線に入った。
「……信じられない。子供を乗せて戦場に出ているの?」
レイリアが前に出て、強い声で答えた。
「違います。彼らは難民です。〈みらい〉は“家”であり、避難所でもある。戦場に連れ出しているのではなく、戦場が彼らを追ってきているのです」
◆〈ノア〉側の動揺
沈黙が流れた。
〈ノア〉の艦橋でも議論が起きているのだろう。複数の声が交わる雑音が漏れ聞こえる。
やがて、最初の男の声が戻った。
「……我々は“深淵管理機構”。この世界の海底に眠る技術と存在を監視する組織だ」
「監視?」遼が問い返す。
「そうだ。過去に、この力を乱用し、大陸を沈めた文明があった。以後、我々は“門”を封じ、その周辺を管理してきた」
ユイが小さく目を細める。
「つまり、この裂け目と構造物は――」
「旧文明の遺産だ。貴艦が踏み入ったのは、我々が守り続けてきた禁域だ」
◆試される意志
遼は拳を握った。
「だが、俺たちは敵ではない。北方帝国に対抗するためにも、情報を共有すべきだ」
「……容易には認められん。だが、貴様らの姿勢が虚偽でないならば、証明せよ」
その言葉と同時に、〈ノア〉の側から座標データが送られてきた。
「この地点に眠る“封印兵器”の暴走を止めろ。我々が先に動けば全面戦争になる。貴様らが無関係であるならば、対処できるはずだ」
遼は険しい表情を浮かべた。
「人類に“試練”を押しつけるつもりか」
「試練ではない。選別だ」
◆静かなる決意
通信が切れ、艦橋には緊張が残ったまま静寂が訪れた。
ルナが小さく震える声で呟いた。
「……せんべつって、なに?」
レイリアが彼女を抱き寄せた。
「大丈夫よ。艦長は必ず守ってくれる」
遼は艦内の全員を見渡した。
希望の芽を守るため。
子供たちの未来を繋ぐため。
彼らの進む道はただ一つ。
「全員に伝える。これより、〈みらい〉は深淵封印区画へ向かう。……生きて帰るぞ」
艦内に力強い返事が響き渡った。
◆深淵の向こうへ
再び潜航を始めた〈みらい〉。
深淵の闇は彼らを飲み込むように広がっていく。
だがその中で――ユイの温室に咲いた小さなリーヴァの花は、淡い光を放っていた。
その光こそが、暗黒の深淵に挑む者たちの唯一の道標だった。




