第七十六話 深淵の巨影
深海は静かだった。
だがその静けさは、荒れ狂う嵐の前触れに過ぎない。
〈みらい〉の艦橋に、ユイの声が響いた。
「――エネルギー反応、急速に拡大中。距離五千、接近速度は緩慢……。艦長、これは……艦ではありません」
遼は眉をひそめた。
「艦じゃない?」
スクリーンに映し出された映像は、深淵から浮かび上がる“巨影”だった。
それは艦というより、海底に沈んだ“城”のように見えた。
塔のように突き出た砲門、幾重にも張り巡らされた装甲、そして周囲に漂う光の障壁。
「……要塞か」
遼の呟きに、ユイが淡々と告げる。
「正式名称、《深淵要塞艦バシリスク》。グラディオン海軍の中枢兵器のひとつです」
◆深淵要塞艦の脅威
レイリアが息を呑む。
「こんなの……艦じゃない。ただの怪物よ」
ユイは頷き、データを展開した。
「この艦は通常の戦術では撃破不可能です。海底に固定され、外殻は多層の魔導障壁で守られています。
さらに周囲には無数の無人艦――自律制御の小型艇が展開し、接近する艦を蜂の巣にします」
遼は深く息を吐き、腕を組んだ。
「つまり、あれを倒さない限り、この海域は突破できない……」
◆艦内の不安
居住区に伝わった報告は、すぐに人々を不安に陥れた。
「要塞艦だって……?」「俺たち、本当に勝てるのか……?」
子供たちは互いに不安そうな顔を見合わせ、ルナが声を震わせた。
「艦長さん……あれ、怪物なの? 私たち、飲み込まれちゃうの?」
レイリアは彼女を抱き寄せ、必死に微笑んだ。
「大丈夫よ。ユイと艦長がいる限り、怪物なんてただの影にすぎないわ」
◆作戦会議
艦橋で遼は地図を広げ、ユイと共に分析を進めていた。
「要塞艦の主砲は、広域殲滅型。直撃を受ければ〈みらい〉とて持ちません。
ただし――」
ユイの指が一点を示す。
「障壁の中央制御核は、海底基部に存在します。そこを破壊できれば、要塞全体の防御が崩れます」
遼は頷き、冷静に言葉を選んだ。
「だが問題は、その核に辿り着くまでに“小型艇の群れ”を突破しなきゃならないことだな」
ユイの瞳が揺れる。
「はい。そして、現在の〈みらい〉では――一度の突入で全弾を使い果たすでしょう」
◆ユイの葛藤
沈黙が艦橋を包んだ。
やがてユイが口を開く。
「……艦長。私の演算では、この戦いにおける勝率は三割以下です」
遼は彼女を見やり、短く息を吐いた。
「三割あれば十分だ」
「……十分?」
ユイの瞳が揺れる。
遼は静かに頷いた。
「ゼロじゃない限り、希望はある。お前が“確率”を示すのはいい。だが俺たちは、数字じゃなく意思で進むんだ」
その言葉に、ユイの胸に小さな火が灯る。
「……了解しました、艦長」
◆迫る決戦
その時、スクリーンの中で要塞艦が光を放った。
「エネルギー反応上昇――主砲、来ます!」
ユイの声と同時に、深海を貫く閃光が迸る。
轟音が艦体を揺さぶり、外殻に幾重もの波紋が走った。
子供たちが悲鳴を上げ、艦内の照明が一瞬揺らぐ。
「損傷、軽微! だが、次は直撃します!」
遼は即座に叫んだ。
「全速回避! 反撃準備! ――これが本当の決戦だ!」
深海に、二つの巨影が対峙した。
ひとつは人々を守るための未来。
もうひとつは世界を支配せんとする深淵の怪物。
両者の距離が縮まるごとに、静かな海は激戦の舞台へと変わっていった。




