第六十話 地底への門
深海の静寂の中、〈みらい〉は推進を落とし、海底近くをゆっくりと滑っていた。
周囲は漆黒。艦外カメラが捉えるのは、わずかな発光生物が描く淡い光の線だけ。
その光が、夜空の流星のように海中を漂い、消えていく。
◆作戦前夜の艦内
民間人の避難区画では、食事の準備が進んでいた。
保存食と異世界で手に入れた乾燥野菜を組み合わせたスープが、大きな鍋でぐつぐつと煮えている。
湯気の香りは、金属と機械油の匂いが残る艦内には不釣り合いなほど、暖かかった。
ルナが子供たちに囲まれ、艦外で採取した発光石を見せていた。
「ほら、暗くすると光るんだよ」
小さな手が石を受け取り、目を輝かせる。
「わぁ……夜でも怖くないね!」
その声に、ルナも笑顔で頷いた。
一方、医務区画ではレイリアが簡易診察を続けていた。
「喉の痛みは?」
「うん、だいぶ良くなった」
異世界での避難生活と艦内の閉鎖環境は、体力のない者には堪える。だが、今は全員が何とか踏ん張っていた。
◆遼とユイの準備
艦橋では遼とユイが並び、前方に映し出された海底地図を見つめていた。
ユイは指先で地形をなぞり、説明を始める。
「この先、およそ二十海里に“フォールゲート”と呼ばれる地形構造があります。自然の裂け目に見えますが、実際には安定した通路です」
「通路ってことは……あの先に地底層がある?」
「はい。ただし、航行には特殊な推進制御を行う必要があります」
ユイは映像を切り替え、艦の断面図を表示する。
「まず、艦底のフィールド発生器を稼働させ、船体全体を分子摩擦低減フィールドで覆います。同時に、前方に高出力の局所振動を発生させて地層を一時的に流動化します」
「……つまり、岩の中を泳ぐようなものか」
「正確です。ですが、制御負荷は海中航行の十倍。私が全神経を集中させなければ、船体が耐えられません」
遼は短く息をつき、ユイを見やった。
「無理はするな」
「了解しました。ただし、艦長……覚悟はしておいてください。地底層の環境は、私にも完全には予測できません」
◆民間人代表の意見
そこにカラムが入室した。
「準備は整ったか?」
遼が頷くと、カラムは視線を艦外映像に移した。
「俺たち避難民にとって、この艦は命綱だ。だが……大地の下に行くなんて、誰も経験がない」
ユイが淡々と答える。
「私にも記録はありますが、それはあくまでデータです。未知の危険があるのは確かです」
カラムは少し黙り、やがて低く言った。
「だからこそ……俺たちは艦長に従う」
その言葉に、遼は静かに礼を返した。
「ありがとう。必ず、全員を無事に連れて行く」
◆温室のひととき
会議後、遼は温室に立ち寄った。
ユイが花に水をやっており、芽吹いた“リーヴァ”が柔らかく揺れていた。
「……きれいだな」
遼が呟くと、ユイは振り返り微笑んだ。
「地底でも育てられるでしょうか」
「光さえあれば、きっと育つ」
「なら……私たちも同じですね」
その言葉に、遼は少し笑った。
「そうだな。光があれば、人も育つ」
温室の外では、レイリアが子供たちを寝かしつけていた。
雨音のように穏やかな艦の機関音が、子守唄のように響く。
◆地底への出発
やがて、艦内放送が鳴った。
「全員、所定の区画に。これより地底航行を開始する」
避難民たちは静かに移動し、防護区画のドアが閉ざされる。
艦橋で遼が指示を出す。
「ユイ、推進準備」
「フィールド発生器、始動」
低い振動音が艦全体を包み、外界映像の色調が変わっていく。海底の砂が舞い、視界が金色に揺れた。
ルナが息を呑む。
「……これが、地底への道……」
遼は視線を前方に向け、短く言った。
「行くぞ――〈みらい〉、潜航」
次の瞬間、艦は海底を抜け、大地の中へと滑り込んでいった。
闇の中で、未知の光が彼らを待っていた。
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