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あやかし病院の研修医  作者: ずんだ千代子
第1章 消化器研修 〜憧れの玉緒先生とアルコール関連肝臓癌〜
9/11

8話目 実感

 初夏を思わせるような陽が差し込む部屋に、空気の抜ける音だけが響く。ピッとなった血圧計には、三つの数字が並んでいた。


「血圧116の60。脈数も問題なし。経過は良好ですね」


 腕から血圧計を外して言う陽菜の顔には笑みがこぼれる。昨日あれだけ青い顔をしていた阪井から生気が戻り、喜ばずにはいられなかったのだ。


「今日の夕方、再出血などがないかを確認する内視鏡を行いますね。それで問題がなければようやく食事が出来るようになりますから」

「食事! 入院してから全然食べていなかったものね。いよいよ退院が見えてきたわ」


 窓辺に座るハルエも立ち上がって喜んだ。

 しかし当の本人阪井は、未だにベッドで寝たまま天井を見つめている。瞬きのみする人形のような姿に、ハルエは溜息を吐いた。


「お父さん、食事ですって」


 言っても反応を示さない阪井に痺れを切らしたのか、「もう」と言いながらハルエは彼の肩を強めに叩いた。するとゆっくりと阪井の左腕が動く。


「痛い、な」


 ぼそっと言って叩かれた肩をさすると、首を回してハルエの顔を確認し、また口を動かす。


「なぁかーちゃん。肩、痛かった。痛かったよ。ってことは、俺、やっぱり生きてるんだな」


 単調に言う阪井に、ハルエは再度ふぅっと息を吐いた。


「そうね。生きてるわね」

「俺、助かったんだな。てっきりもう目覚めないと思ってた」


 阪井は再び天井を仰ぐと、さすっていた肩を強く握る。その痛みを確かめるように目を閉じ、深呼吸をした後、阪井は記憶を辿りつつゆっくりと話し始めた。


「あん時トイレでちょっと力入れたらよ、喉がカーッと熱くなって、口から血が出てきたんだ。こりゃまずいと思ったけど、パンツ履いていないのは恥ずかしくて、まず必死にパンツ履いた。それから外出ようとしたけど、もう力入んなくてよ。俺このまま死ぬんだなってホントに思ったね」


 感情を感じさせないほどに言葉を並べるだけの阪井だが、息をついた時に少しだけ口角をあげる。


「したっけドアが開いて、研修の先生が俺のこと呼んでんだよ。見つけてくれた、助かったかもって思ったけど、そっから先はもう覚えてねーんだよな。

 狐の先生に肩叩かれてて起こされた時は驚いたね、あの世じゃねーんだから。今までのは夢だったのか聞いたら笑われちまったけど、笑ってくれる方が俺には良かったのかもな」


 そこまで言うと阪井はスッキリとした表情になり、血圧計を持って立つ陽菜の方へ顔を向けた。


「研修の先生いなかったら本当に死んでたかもな。今まで強く当たって悪かったよ。その……ありがとな」


 少しだけ頬を赤らめて彼は言った。陽菜はその言葉に慌てふためく。


「私は阪井さんに直接処置を施したわけではありませんから、感謝は玉緒先生に」

「バカヤロー! 恥ずかしいの我慢して言ってんだから素直に喜べ!」


 眉間に皺を寄せて更に顔を赤くした阪井が、怒りと笑いが半々になったような表情でまくしたてた。傍にいたハルエやドア付近で壁に寄りかかる玉緒はそれを見てクスッと笑うが、驚いた陽菜はピンと背筋を伸ばして変な声をあげた。


「へぁっ! ありがとうございます!」

「ケッ、なんだよそれ。なんか興が醒めちまったな。なんかあったらまた呼ぶから、かーちゃんと二人にしてくれ」

「ごごごめんなさい! 失礼します!」


 そして血圧計を落としそうになりながら陽菜は小走りで病室を出る。コミカルな様子にドアを閉めた玉緒はニヤニヤが止まらないが、咳払いをして整えた後、陽菜の肩をポンと叩いた。


「ほっほ。阪井殿に少し認められたようじゃな」

「そんなこと……」

「謙遜せんでいい。患者からの感謝を素直に受け止めるもの一つの技術じゃぞ」

「で、でも、実際に静脈瘤を止血したり薬剤調整したりしたのは玉緒先生や魔玖亞先生で……」


 陽菜は小さな声で俯きながら言う。どうやら阪井からの言葉をまだ受け止めきれていない様子だ。

 そんな陽菜に、玉緒は聞かせるように言った。


「宮城君、救命の場において第一発見者がどう動くかはとても重要じゃ。その人次第で助からん命も出てくるくらいにの。

 君は彼から目を離すことなく、応援を呼び、彼の全身管理に努めた。それだけと思うかもしれんが、とても大切なことじゃ。

 一人で出来ることには限界がある。処置は出来る人がやれば良い。医療は何よりチーム力が大切じゃ。とっさの判断じゃったかもしれんが、それは間違いではない。宮城君はきちんと第一発見者としての責務を果たした。阪井殿はそれを分かって礼を言ったのじゃ。じゃからもっと自信を持って良いぞ」

「玉緒先生……」


 言い切ったところで玉緒は再度陽菜の肩を叩く。いつも見ていてくれた玉緒のこの言葉が、陽菜の“感謝されるほどのことは何もしていない”という思いを解きほぐしていく。


 患者さんの急変(きゅうへん)を目の前にして何も出来なかったと思っていたけど、玉緒先生の言う通りかも。病院の中なら対応できる人がたくさんいるし、みんなで助けられればそれでいいんだよね。

 阪井さんが言ってくれた言葉、素直に受け取ってもいいんだ。


 陽菜はやっと実感が湧いたのか、喜びを噛みしめるように声を絞り出した。


「……はい! ありがとうございます!」

「うむ、それでよい」


 玉緒もわしわしと陽菜の頭を撫で、研修医の頑張りを存分に褒める。育てる側の喜びを数年ぶりに感じさせてくれたことに、玉緒も感謝をしているのだ。


「せ、先生、私はそこまで子供では」

「ワシから見たら研修医は子供みたいなものじゃ。親にとっては子の成長は嬉しいものじゃろう。まぁ大人しくしておれ」

「うう……はい」


 そうして陽菜は顔を赤くしながら仕方なしにされるがままになる。玉緒の栗色の狐耳も無意識にピコピコと動いており、二人の様子が丸見えなナースステーションからはほっこりした笑顔が見られた。

 その時、玉緒のポケットから雰囲気を損ねる着信音が鳴る。


「誰じゃまったく……。玉緒じゃ。うむ、む……分かった今行く」


 PHSを切った玉緒は最後にわしゃっと陽菜の頭を撫で、白衣を整えて言った。


「ICUに下血患者がいるようじゃ。出張カメラをするかもしれんが、宮城君も来るか」


 玉緒からの誘いに陽菜も目を輝かせる。

 出張内視鏡だなんて波乱の予感がするが、それもまた経験。阪井の件で多少は鍛えられた根性と僅かな自信で、今なら何でも乗り越えていける気がしていた。


「はい、是非!」


 元気よく返事をした陽菜の顔は晴れやかだ。玉緒もそれを見て微笑むと、そのまま歩き出す。

 こうして次は何を学べるのかという期待を膨らませ、陽菜は忙しなく消化器病棟を後にした。

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