第一話『城壁の外の奇妙な店』
『週刊・リンデン通信』第百四号――【噂の現場:城壁の外の奇妙な店】
――城塞都市リンデンの西門を出てすぐ、真夜中の街道を進んだところに、その奇妙な魔導具店はある。
夜の街道は、酔狂でもなければ歩く場所ではない。魔物、野盗、そして底冷えする闇。城門が閉じた後に外へ取り残されることは、そのまま死を意味することさえある。
夜の帳に包まれた荒涼たる街道沿いで、そこだけがまるで太陽の破片を落としたかのように、眩いばかりの純白の光を放っている。四角く切り取られたガラスの向こう側は、影一つ残さぬほど明るく、床は白磁のように磨き抜かれていた。
一歩足を踏み入れれば、そこは未知の魔導具の宝庫だ。触れると凍えるような冷気を放つ透明な壁の向こうには、見たこともない色鮮やかな飲料が整然と並び、棚には数時間経っても作りたての柔らかさを保ち続ける魔法のパンが、独自の薄膜に包まれて積まれている。
そして何より――。
「いらっしゃいませ〜! 『ファミリーイレブン』へようこそ!」
店に足を踏み入れた者を迎えるのは、看板娘の元気の良い挨拶と、太陽のように明るい笑顔だ。夕刻の残照を編み上げたようなハニーオレンジの髪をサイドポニーテールに結った彼女の愛想の良さに、荒くれ者の冒険者たちも一瞬で虜になり、夜な夜なこの店へと足を運んでいる。
一方で、店の奥に佇む男性は、お世辞にも愛想が良いとは言えない。常に目つきが悪く、客を睨みつけるような鋭さがある。一部の冒険者の間では「異世界からやってきた迷い人なのでは」という噂まで飛び交っている。だが、ひとたび話してみれば、その頑固親父のような無愛想さの裏に、自分の仕事に対して並々ならぬ誇りと真摯さを持っていることが伝わって――
―――――――――
「おい、ロイ」
そこで低く、冷ややかな声が遮った。
「なんだよ店長、今いいところだろ。ここから俺のイチオシの『からあげ殿下』の魅力に迫る予定なんだから」
カウンターの端に身を乗り出し、インクの染みた羊皮紙を広げていた新聞屋――ロイと呼ばれた男性が、眠たげな目を瞬かせた。
その内側では、段ボール箱をカッターで開けていた店長らしき男性が、鋭い三白眼をロイへと向けた。仕立ての良いシャツの上に、赤と緑のストライプが走る独特なエプロンをきっちりと纏っている。その前腕は、無駄な脂肪がなく、どこか実戦慣れした職人のように引き締まっていた。
「目つきが悪いとか無愛想とか、俺の部分だけ悪口じゃねぇか。まだ親父って年齢でもない。それに、ここは魔導具店じゃない、コンビニだ」
「コンビニねぇ」
ロイは聞き慣れない響きに小首を傾げ、小脇に抱えた新聞のネタ帳をトントンと叩いた。
「街の連中には魔導具店って言った方が通りが良いんだよ。現に、あの冷たい箱だって、傷まないパンだって、俺たちからすりゃ立派な魔法だ。なぁ、ナズナちゃんもそう思うだろ?」
商品を棚に並べていた少女がハニーオレンジの髪を弾ませて振り返った。
「はい! でも、店長が一生懸命『はっちゅう』して届くお品物ですから、私は魔法よりすごいと思います!」
「ほら見ろ、看板娘からの無条件の信頼。ごちそうさまだよ」
ロイがニヤニヤと笑うと、店長は深いため息をつき、開けたばかりの段ボール箱から、レジ裏の棚へ消耗品を補充しながら言った。
「ナズナ、お前は少し俺を過大評価しすぎだ……それからロイ、記事を書いてくれるのはありがたいが、書くならせめて『若き精鋭店長』にしろ」
「ハハッ、そいつは俺の筆が拒否するね」
ガハハと笑うロイは、完全にこの店の空気に馴染んでいた。城塞都市の中で新聞屋を営む彼にとって、最近は平和すぎて大きなニュースもなかった。そんな折に冒険者たちの間で囁かれていた「突如現れた城壁の外の奇妙な店」の噂。怖いもの見たさで訪れたロイだったが、そこで働く二人の人間味と、この白い灯りがもたらす不思議な安心感に胃袋を掴まれ、今や仕事の合間にヤジを飛ばしにくる、立派な常連客の一人となっていた。
――その時。
『ピンポンパンポ〜ン』
店内に、どこからともなく軽妙な鐘の音が響き渡る。入り口のガラス扉が左右へと滑らかにスライドし、夜の底冷えする空気と共に、金属鎧をガタつかせた四人組の男女がなだれ込んできた。
大きなバックパックを背負い、装備のあちこちに緑色の返り血を浴びている。城塞都市の周辺で魔物討伐の依頼を終えて帰ってきたばかりの、見るからにヘトヘトな冒険者パーティだった。
「いらっしゃいませ〜!」
「お、おい! 頼む、まずはトイレを貸してくれ! 限界なんだ!」
先頭の戦士風の男が、藁にもすがるような顔でレジへ突っ込んできた。ナズナがいつもの太陽のような笑顔で、店の奥を指差す。
「はいっ、お化粧室は突き当たりを左でございます!」
「恩に着る!」
男が弾かれたように店の奥へ全力疾走していくのを見送りながら、残されたパーティの一人が、大きく息を吐き出してカウンターに寄りかかった。
「ふぅ……いやぁ、マジで助かるよこの店。この前ここで買った『ライター』って魔導具、本当に大活躍だったぜ」
弓を背負った若い男が、懐から小さなプラスチック製の使い捨てライターを取り出し、親指でカチッと火を灯してみせた。
「今までは火を熾すだけでも、魔導士が呪文を唱えるか、火打ち石で数分格闘しなきゃいけなかったんだ。それが、指一本で確実に火が出る。おかげで夜の森でもすぐに暖が取れたよ」
「それは良かったです! あれ、オイルがなくなったら火が熾せなくなるので、また買いにいらしてくださいね」
ナズナがパタパタとレジカウンターに戻ってきて、愛想よく応じる。
このファミリーイレブンには、異世界の住人から見れば奇跡としか言いようがない構造がいくつもあった。
この深く暗い夜の街道の真ん中だというのに、なぜか店内には電気が通り、蛍光灯や冷蔵ケースを動かしている。それだけではなく、奥のトイレや手洗い場では、蛇口をひねるだけで清浄な水が無限に湧き出てくるのだ。店長自身も「そういうものだ」としか説明できない謎のインフラだったが、冒険者たちにとってはまさに聖域だった。
「さて、と……それじゃあ、夜食といこうか。ナズナちゃん、この『生姜焼き弁当』ってやつ、あの魔法の箱で『チン』してくれ!」
「私はこの、『カップラーメン』にするわ。ええと、『カレー味』のスープのやつ」
冒険者たちがカゴに次々と商品を入れてレジに持ってくる。ナズナの手際よいスキャンが終わり、お会計が済むと、いよいよお楽しみの時間だ。
「お弁当温めますね! 少々お待ちください!」
ナズナがレジ裏にある電子レンジに弁当を入れ、ボタンを押す。数十秒後、『チン』という音が鳴り、扉を開くと、中からじゅわじゅわと音を立てる肉汁と、甘辛い生姜と醤油の香りが白い湯気と共に立ち上った。宮廷お抱えの火魔導士でも、これほど完璧に、一瞬で料理の芯まで均一に熱を通すことは不可能だろう。
「うわぁ、いい匂い……!」
「そちらのカップラーメンには、こちらのポットのお湯をどうぞ!」
ナズナが案内した先には、常に沸騰した熱湯がなみなみと注がれる電気ポットがあった。蓋を開けて熱湯を注ぎ、三分待つ。それだけで、城塞都市のどんな高級宿屋でも味わえない、熱々の極上スープができあがるのだ。
「ありがてぇ、マジで助かるよ……あ、そうだ店長」
ホカホカの弁当を大事そうに抱えたパーティの戦士が、店長のほうを振り返った。
「今夜も、表のあの広い土地を野営地として使わせてもらっていいか? もちろん、他のお客の邪魔にならない隅っこの方にするからよ」
店長は一瞬だけ目を上げ、いつものぶっきらぼうな口調で答えた。
「構わない。どうせこの世界じゃ駐車場なんて誰も使わないスペースだ、好きにしろ。ただし、焚き火をするなら火の後始末だけは徹底的にやれよ。万が一、うちの店に燃え移ったら、お前らのギルドごと出禁にするからな」
「ハハッ、そいつは勘弁だ! 炭一つ残さず完璧に消火するよ。ありがとな、店長!」
冒険者たちは嬉しそうに笑うと、ほかほかの弁当とスープを抱えて店の外へと出て行った。
この店の前には、馬車が何台も停まれるほどの広い駐車場がある。普段はほとんど利用されないその広大な敷地は、今や冒険者たちの絶好の野営地と化していた。
本来、この世界における野営は、いつ魔物に襲われるか分からない命がけの危険行為だ。しかし、ファミリーイレブンの純白の灯りに見守られ、いざという時には建物に逃げ込むことが出来る、この駐車場だけは別世界だった。
宿代を少しでも節約したい冒険者たちにとって、安全が保証された上で「出来立て熱々の極上飯」にありつけるこの場所は、これ以上ない贅沢なオアシスなのである。
駐車場に焚き火が熾され、遠くから「うめぇ!」「生き返るわ……」と至福の笑い声が風に乗って聞こえてくる。
そんな様子を店内から眺めていたパーティのリーダー格の女性が、少し残念そうな顔でレジの店長に話しかけた。彼女だけは、仲間たちが外で火を熾す間、もう一つ気になっていたお目当ての品を探していたのだ。
「ねぇ、店長。今日はあの『アイスクリーム』の『マルチパック』は置いてないの? ほら、箱の中に小さめのがたくさん入ってるやつ。討伐成功の記念にみんなで分けて食べようって話してたんだけど、冷凍ケースに見当たらなくて」
店長は手元のタブレットから目を離さず、淡々と画面の数字をタップしながら答えた。
「ああ、あれか。申し訳ない、あれはファミリー層向けのパック商品だから、普段はあまり在庫を置いてないんだ。だが――」
店長の指が、タブレットの画面上でささっと動く。発注数量を入力し、確定ボタンを押した。
「――今、発注を入れた。明日の今頃には、うちの店の裏のバックヤードに届いてる。明日また来てくれれば、いくらでも売ってやるよ」
「えっ、本当!? やった、明日また絶対来るわ!」
女性は嬉しそうに手を振り、仲間たちの待つ外の駐車場へと駆けていった。
この店独自の発注システムもまた、異世界の理を完全に超越していた。
タブレットで商品を注文すると、この世界では入手不可能な現代の品が、正確に二十四時間後、店のバックヤードにある納品スペースに、何もない空間から突如として現れるのだ。
流通の概念を根底から覆す、まさに神の御業。ただし、一日ごとに発注制限という枠が決まっており、それを超えて物資を出すことはできない仕様になっていた。
「……ま、お前がその魔法の石板で頑張ってくれてるおかげで、あいつらも高い宿代払わずに、夜でも凍えずに済んでるってわけだ」
カウンターの端で一部始終を見ていたロイが、羊皮紙のノートをパタンと閉じ、インクの蓋を閉めながら小さく笑った。そして、壁に掛けられた時計をチラリと見て、慌てて荷物をまとめ始める。
「おっと、いけね。長居しすぎた、もうすぐ城門が完全に閉まっちまう! ナズナちゃん、いつもの缶コーヒー一本! 急ぎで!」
「はーい! ありがとうございます! ロイさん、門が閉まる前にダッシュです!」
ロイはトレイに小銭を叩き込み、受け取った缶コーヒーをポケットに突っ込むと、「またな、店長!」と言い残して脱兎のごとく店を飛び出していった。
『ピンポンパンポ〜ン』
軽妙な電子音と共に滑らかに閉まった自動ドアの向こう、ロイが夜の街道を城塞都市の門へ向かって全力疾走していく後ろ姿が見える。
入れ替わりに入ってきた夜の底冷えする空気の中には、外の駐車場から漂ってくる、ほんのりと香ばしい焚き火の煙と、カレーの匂いが混ざっていた。
「ナズナ、惣菜パンの賞味期限チェックが終わったら、少し休憩にしろ」
「はいっ、店長!」
店長はエプロンの紐を小さく結び直し、手元のタブレットに視線を戻した。
こうして、深く暗い異世界の夜が、ファミリーイレブンの穏やかな光の中で、ゆっくりと、深く更けていった。




