好奇心で負傷する
へクターが我が家にやって来てから早一週間が過ぎた。……結論から言うと、何も起こらなかった。いや、まだそう思うには早計かな? とは思うけど、少なくともそんなこと思えないくらいには何か小さなことでも起きるんじゃないかって危惧してたのに、それこそ本当に、何も起こらなかった。
なんなら一度も会話すらしていない。数日前に一度屋敷内で遠目に目が合い、あちらが深々とお辞儀をしたのを見て慌ててドレスを摘まんだあれを会話と言わないとするのなら、だけども。
そんなことだから私は彼の情報を何も得ることが出来ず――にいたので、私は本人から情報を得るという方向性を改めて私なりに調べて見ることにした。
まぁ調べると言っても今の私に出来ることはそれらしい情報が載っていそうな本を片っ端から借りて読み漁ることくらいなのだが。
「さて、と」
私はカモフラージュ用に借りてきた他の家の目録を机の端に寄せると、どこかの男子高校生のように挟んで借りた本命であるオールポート男爵家の目録を机の上に広げた。ここには当然内部の詳細までは書かれていないが、それだけでも過去数百年に渡る家の目録だ。これに目を通すだけでも容易にはいかないだろう。
私は気合を入れるために頬を軽く両手で叩くと、レシピを書く用に置いてある紙とペンを手に取った。そしてそこに、さっき得た知識を整理するように文字や記号を書き込んでいく。
「オールポート男爵家……元は戦争で手柄を立てた騎士拍の子息が準男爵位を受け、それを継承し続けて数代後に男爵位に格上げ……」
簡単な知識でも知っておいて損はないしね。私は男爵家の始まりから、没落するまでの重要な部分だけを紙に書き込んでいった。領地は過去に二回変わってる……三回目の領地があの港町か。うん、こうしてみると、本当に平凡な男爵家って感じだ。
あ、これかな? 今から六代前……他家の領地で日照り続き、支援を申し出る……何故かその家の名前が書いてないけど、きっとこれがトワール侯爵家がかつて恩を感じたという時のことだろう。……この時から既に古い名家であるトワール侯爵家の支援をしたのに名前を載せていないことは少し気にかかるけど……。まぁ時代が時代だからね、目録が漏れただけかもしれないし。
そんな風に目を通していくと、遡っていた歴史が漸くつい最近まで追いついてきた。そして途中で止まっている目録の年……それは長き渡り継承されてきたオールポート男爵家が、お取りつぶしになった瞬間。
その辺りは、お父様から教えて貰った通りで相違なかった。水害が原因で借金を抱え、それが返せなくなり二代で没落した……。簡単にまとめるとこんな感じだ。
だがいくら男爵家とはいえ、それまで良好だった領地の運営が一度の水害で没落するまでに至るものなの……?
それに、お父様から聞いたことも引っかかる。あんな言葉が代々伝えられてきたというのなら、一体何故そんなにも早く没落するようなことになってしまったのか。
私はオールポート男爵家の目録を一旦閉じ、その辺りについて書いてある書物を探して机の上にまとめると、書いてある事柄の重要な部分だけを抜き出して紙に書き込んでいった。
完全に気分は歴史を勉強中の学生だが、生憎ここには前世における教科書のように誰が見ても分かりやすくまとめてある資料などは決してない。年代で図案化してある資料などもっての他だ。そこにあるのは起きた事柄を全て載せただけの記録。
重要なこともどうでも良いことも一緒くたにしてこれで資料だなんて言うのだから笑えるな……。いや、今はそんなこと考えている場合じゃないんだけども。
途中でなんで似たようなことを違う言葉で二回書くんだよとか文句を言いながらも、なんとか自分なりに分かりやすくまとめることに成功した。
時間はかかったが、ここにある全ての本を何回も読み直すよりはずっと分かりやすいだろう。これからまた何か有った時に見直すにも役に立つしね。
私はそうして出来上がったものを少しだけ自画自賛しながら、間違いがないかチェックしつつ、重要だと思う箇所に改めて目を通し、その下に線を引いて行く。
すると、そうすることで見えてきたもの。ただ文字の羅列に埋まっている時には分からなかった、漠然と感じていた違和感の正体。それは領地が水害にあってから、3年後のこと。
「王都近くで長期に渡る日照りが発生。そのため王都周辺を主に各地で税が上がり、これを機に他家からの支援が止まる……」
私はそこだけやたら曖昧に、そして不自然に情報の少ないその部分を指でなぞった。
そして思い立ったようにオールポート男爵家の目録を開くと、とあるページを捲る。そこには先ほどは流し読みした、支援が止まるまでオールポート男爵家に支援を申しでていた家系の名前が記されていた。ピウチ子爵、マルマンイ伯爵、プーリン公爵、そして、トワール侯爵……。
つまり。支援はしていたのだ。初めは。だが自身の領地経営に支障をきたすと判断しやむなく支援を打ち切っただけで。そこにもその旨はしっかりと記されており、それらしく仰々しい言葉でつらつらと理由が書かれていたが、つまるところ全ては言い訳である。
水害での被害も収まり今が正念場だと帯を結んだその矢先。領地を立て直すにはこれからだという正にそのタイミングで突然打ち切られた支援。オールポート男爵は、一体どう思っただろう。勿論、仕方ないと割り切る部分もあっただろう。
他家への支援に強制などないし、例えそれが原因でどうなろうともそもそも領地の経営は全て領主の責任。他国が攻めてきたわけでもなし、突然前触れもなしに支援を打ち切ろうとも指を指される謂れもない。そこに自身の領地経営が関わっているとなれば尚更だ。
だが他国でもなく同じラヴァンティラ王国に住む貴族同士。例え水面下では睨み合いを続けようともそれが他国が付け入る隙になってはいけない。
故に貴族たちは派閥を組めどもいざという時には手を取り合いお互いを支え合ってきた。勿論そこには陰謀や己の利益なども絡んでいただろう。
だがそもそも貴族の義務は優雅な暮らしを送ることでも自身の領地を栄えさせることでもない。全ては一重に国に忠義を尽くす為。そしてそれはこの国に住む国民を守るためなのだ。
故に、貴族同士の諍いでその領地に住む民たちもろとも見殺しにするなど本来ならあってはいけない。
だが実際に我がトワール侯爵家は支援を打ち切った。|領地経営に支障をきたす《・・・・・・・・・・・》などという分かりやすい理由で。
当時はそれでやむなしと捉えられていたのかもしれない。いや、そもそも王都がそんな状況になっていたのなら、水害から数年が経っている男爵家の支援など誰も気にする術さえなかったのかもしれない。
だが生憎私はこんなもので「あーなら仕方が無い」なんて思うほど脳内で花を咲かせてはいない。
私はその時の現当主……トワール侯爵及びその他支援を行っていた家の行っていた事業が記されている書物と、その交易が行われていたルート及び税率の変化をピックアップして分かりやすくグラフにまとめた。
すると……なんて分かりやすいんだろうか。誰も気づかないのが不思議なくらいだ。――否。今も当時も、きっと気づいていた人はいるのだろう。だがラヴァンティラ王国きっての名家であるトワール侯爵家と、領地経営が波に乗っていたとはいえ片や相手は男爵家である。もしこの時私と同じように全てに気づいた人がいるとしても……それを面切って指を指す人などいなかったに違いない。
それはきっと、今のお父様も。
「わざと、支援を打ち切ったんだ……」
当時から資産のあった我が家。支援を打ち切ったその年の前後、お父様の書斎から勝手に引っ張り出して広げたトワール侯爵家の帳面に赤字なんて文字はどこにもなく。それどころか寧ろ右肩上がりの状態ですらあったというのに。他家に支援を申し出ることくらいなんでもなかったはずなのに。それこそ普段行ってる慈善活動と同じくらいに。
それでも支援を打ち切った。その理由は、至極簡単だった。
「この年から、オールポート男爵が行っていた事業を途中から代わりに引き受けてる」
それはきっと初めは本当に支援の一環で。男爵もきっと、その好意を受け取って。
だがいつしか領地以外の事業に手が回らなくなり、オールポート男爵は全てを当時のトワール侯爵に任せたのだろう。それが終焉の始まりだとは知らずに。
私は先ほど机の端に寄せ、流石にいらないだろうと判断した本を広げて捲った。
「ああ、やっぱりそうだ。ピウチ子爵も、マルマンイ伯爵も、プーリン公爵も……」
家ごとに紙を変えて事業を年表にしてまとめる。そしてトワール侯爵家のものと一緒に、机に広げて並べた。
子供でも分かる間違い探し。分かりやすい数字。何がきっかけ? なんてそんなの、尋ねることすら馬鹿馬鹿しいまでに。
「――オールポート男爵家が没落してから、一気に資産が増えてる」
経営が上手く行っている港町の領地。そこにやってきた、突然の水害。申し出た支援……最初はきっと親切心から……。もしかしたら、当時の当主もお父様と同じように先祖代々の言葉を思い出して行動したのかもしれない。最初の年、資料に記されている支援金はどの家よりも多く、少しだけでも力になれればなんてそんな額じゃなかった。それなのに、
「欲に、目が眩んだ」
もし男爵家がこのままお取りつぶしになれば。この事業は正式に自分たちのものになる。それだけじゃない。途中まで支援していた自分たちには領主のいなくなったかの領地の恩恵を受けることが出来るかもしれない。そう考えたのがどの家が最初だったのかは分からない。だが、最終的にそれを全ての家が選んだことは確か。
事業というのは全て、初めにお金と手間がかかるものだ。波に乗ってしまえばあとは簡単。当時支援をしていた貴族たちは、このままこの事業を自分たちのものに出来れば甘い蜜だけを吸えることに気づいてしまった。
そして見捨てた。自分たちの、利益の為だけに。
――ああ、お父様は私にこのことを隠したかったのだ。
三代前の当主。それはつまり私の祖父。そしてそれはつまりお父様のお父様である。
あの様子だと父は既にこの卑怯極まりない祖父の悪事を知っていて、知った上で、真実を告発することは出来なかったのだろう。
それも当然だ。例え他家から告発されようとも別に国の法に背いたわけではないため処罰はされないが、明るみに出ればそれは決して良い風を生みはしないだろう。それだけじゃない。貴族らしからぬ面を持つ優しい父のことだ。きっと自身には関係のないことに罪の意識を感じ、それを息子や娘にまで背負わせたくはなかったのだろう。
ましてやご先祖さまから受け継がれてきた言葉を無視し、過去の恩人の子孫を見殺しにしたも同然の罪なのだから。
裏切り裏切られるのが貴族の常とはいえ、それはあまりにも――重い。
当然ながら、実際のところ当時まだ爵位を継いでもいなかった父には何の罪もない。
だがオールポート男爵家の最後の子孫であるヘクターが最後の一人になるまで支援をしてこなかったのもまた事実だ。
いや、あの父のことだろうからきっとずっと気にかけてはいたのだろう。罪の意識に苛まれながらも……だが生まれた時から既に貴族ではなかったヘクターと違い、ヘクターの父は没落し爵位を失うその寸前までは確かに貴族だったのだ。どの面下げて今更支援などと申し出られるというのか。
例え男爵家が真実を知らず終いだったとしても――お前たちのせいだというその視線が自分に向かないとは言い切れない。
つまるところ、父はそれを恐れて逃げたのだ。そしてそれが永遠に後悔することとなる唯一の罪となる。
ヘクターの父が死に、彼が最後の一人になったと聞いた時、父はきっと思ったに違いない。
ああ、もっと、早く――。
しかしどんなに後悔したところで時既に遅し。死んだ者は戻らない。父は何も知らないヘクターをまるでいつもしている慈善活動の一環のように連れてきた。いつものように笑う父の心は、あの時一体どんな気持ちだったのだろう。
『爵位がないから貴族として扱うことは出来ないが……丁度シンディと同い年と言うことだし、仲良くしてやっておくれ』
どんな気持ちで言ったのだろう。もし彼がまだ貴族だったなら……同い年の貴族として友達になれたのだろうか。使用人としてではなく、かつて交流のあった家の子息として。正式に招待され、同じ机に座り、同じ食事をして、最高級に整えられた客室で眠っただろうか。シンディだけでなく、ニックやアルヴィンとも剣を片手に遊んだかもしれない。馬で駆けたかもしれない。あんな風ではなく、もっと笑う子供だったかもしれない――そんなありもしない未来を、思い浮かべて。
「……」
私は、先ほどまで死ぬほどトワール侯爵家の今までの事業を読み漁ったから知っている。父が当主になってから数年後に行ったとある事業のことを。
水害が起きた時の対処を研究している施設への支援。日照りの時用の備蓄に先陣切って参加し、孤児や行き場のなくなった子供たちが居場所を作れるように領内に新しい教会を建て、今の今までその支援を惜しまず――。
きっとそんなことで罪を償えるとは思っていない。我がトワール侯爵家にはそれでも余りある資産があるのだ。娘の一人が王太子妃に選ばれるほどの名声があるのだ。領地は王都と比べてもなんら遜色ないほど栄えていて、当主であるトワール侯爵は王都で重要なポストについている。
|一つの家とその命を踏み台にして《・・・・・・・・・・・・・・・》。
私はくらりと眩暈がするのを押さえて本を閉じた。もう今日は、暫く何も考えたくない。好奇心で手を出すんじゃなかったと後悔した反面、知っておいて良かったと思う部分もある。もし本当に何も知らないままだったら、後で知った時私は今よりももっと知りたくなかったと叫んだだろう。いや、全て知ってしまった今、更に彼と目を合わせづらくはなったのだが。
……いやはや、それにしても。
「これ、ヘクターが本当に復讐者だとしたら妥当な理由あり過ぎて私に死亡フラグしかないんだけど……」
ヒロインや主人公とかそのレベルで悪役令嬢と向かい合うポテンシャルあるじゃん。まさかの実家が没落した理由が悪役令嬢のその実家。因縁には十分過ぎるほどだ。いや、それで言ったらニックもトワール侯爵家の人間だから復讐対象にはなるんだけど、あの兄は最終的にはヒロイン側だからなぁ……。いや、そもそもそんな対面作らない為に現在奮戦中なんだけども。
「はぁ……もう寝よ……」
ヘクターを少しでも知る手掛かりになればなんて軽い気持ちで手を出し、最終的に頭と利き腕と心を盛大に負傷した私は、そのままエミリが夕食を呼びに来るその時間まで起きることはなかった。ああ、明日お父様とヘクターの顔を平常心で見る自信が、ないよ……。