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勇者が死んだので、俺が“勇者だったこと”にされた  作者: 綴木 灯
第四章「名前を返す」

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Episode 027 — 勇者は、もう死んでいる

七十四日目の朝。


会議場には、俺の席があった。


昨日までと同じだった。


中央より少し連合側。


背もたれが高い。


机の前には、勇者ユリウス・レグナートの名札。


右にイレーネ。


少し離れてオスカー。


向かい側にはセレクたち旧魔王軍側の代表団。


D地区席にはベアトリスがいる。


リーゼは中央の進行卓だった。


全部、知っている配置だった。


違うのは、今日で終わらせると俺だけが決めていることだった。


いや。


オスカーとイレーネも知っている。


それでも、会議場は普通に始まった。


係員が封印を確認する。


各席へ最終文面が配られる。


署名用の筆記具が並ぶ。


窓の外では《灰橋》の塔が見える。


橋そのものは建物に隠れていた。


進行卓の脇には小さな運用板がある。


**本日・会議中運用――通常。**


その下。


**批准成立後・拡大準備――待機。**


昨日までは、あの下に予定時刻まで書かれていた。


今日はまだ札だけだった。


会議が終われば、数字が入る。


たぶん。


俺が何もしなければ。


「では、最終文面の確認を開始します」


リーゼが言った。


声はいつもと変わらない。


俺は背筋を伸ばした。


いつもの姿勢だった。


やめるつもりなのに、始まると勝手に戻る。


七十三日もやれば、そうなるらしい。


少し嫌だった。


少し便利でもあった。


* * *


最初の三項目は、そのまま通った。


停戦線。


捕虜・抑留者の扱い。


主要区画の第二段階後退。


読み上げ。


確認。


異議。


修正なし。


次へ。


途中で一度、D地区の留保文言についてベアトリスが確認した。


リーゼが該当頁を戻す。


オスカーが既存回答を示す。


それだけで終わった。


誰も俺を見ない時間も長かった。


かなり助かる。


勇者の役は、見られる仕事だと思っていた。


見られないまま座っている時間の方が長い日もある。


それも今日で終わる。


文面が進む。


帰還。


灰橋。


第一保護期間。


係員が次の頁を開いた。


俺は紙を見た。


知っている行だった。


**第一保護期間中、勇者ユリウス・レグナートは公的活動を継続し、指定された二回の保護確認に出席する。**


前より少し文が変わっている。


でも、意味は同じだった。


第九十六日まで。


俺が昨日、断った未来だ。


係員が読み上げる。


「第一保護期間中――」


声が進む。


「勇者ユリウス・レグナートは――」


俺の名前ではない名前が会議場に響く。


「公的活動を継続し――」


そのまま最後まで読まれた。


リーゼがこちらを見る。


「勇者側、確認を」


ここで俺が頷けば。


次に旧魔王軍側。


その次に連合側。


最後に押印。


まだ、誰も受けていない。


俺は息を吸った。


ユリウスの時の吸い方だった。


胸を大きく開く。


声を低くする。


いつもの準備。


そこまでやってから、やめた。


肩を落とす。


顎も少し下げる。


たぶん、俺の普通の姿勢だった。


自分の姿勢を確認する仕事なんて、今までなかった。


「待ってください」


声も戻した。


会議場の何人かが顔を上げる。


リーゼが手を止めた。


「確認に異議がありますか」


「あります」


俺は名札を見る。


勇者ユリウス・レグナート。


「その前に、言わないといけないことがあります」


オスカーは動かなかった。


イレーネも。


セレクは紙を見たままだった。


ベアトリスだけが、最初からこちらを見ている。


「俺は、ユリウス・レグナートじゃありません」


一度、誰かが椅子を鳴らした。


「ノア・フェルンです」


名前を言う。


自分の名前なのに、会議場で言うのは初めてだった。


「ユリウスは、七十四日前に死にました」


今度は椅子が一つではなかった。


「この仕事が始まった日です。今ここにいる勇者として、俺が表に出る前に」


声を張る必要はなかった。


会議場はもう聞いている。


「俺は戦争中から、勇者の影武者をしていました。囮や、遠くから姿だけ見せる仕事です」


誰かが「何を」と言った。


別の席から「止めろ」と聞こえる。


俺は一度だけリーゼを見る。


彼女はまだ止めなかった。


だから続けた。


「ユリウスが死んだあと、停戦を壊さないために、俺がそのまま勇者として出ることになりました」


「誰の命令だ!」


今度ははっきり聞こえた。


連合側の後ろの席だった。


俺はそちらを見ない。


「国から頼まれました。オスカーさんたちからも」


オスカーの名前を出したところで、ざわめきが大きくなる。


「でも、全部を命令されたわけじゃありません」


そこだけ先に言った。


「この七十四日で、俺が自分で決めたこともあります」


イレーネの方は見なかった。


「この仕事が始まる前にユリウスがしたことは、ユリウスがしたことです」


「そのあと、俺が勇者の名前で決めたことは、俺が決めたことです」


長くなってきた。


止める。


最後に、目の前の頁を指した。


「だから、これをユリウスがこれから約束することにはできません」


そこまでだった。


謝る言葉はいくつも考えた。


どれを置いても、今は違う気がした。


許してもらうために言っているわけではない。


「この項目の確認を止めてください」


俺はリーゼに言った。


* * *


「会議を停止します」


リーゼの声が通った。


ざわめきより大きくはない。


でも、進行卓の鐘を一度鳴らすと、係員が動いた。


読み上げ用の紙が伏せられる。


押印箱の蓋が閉じる。


運用板の下段に、灰色の札が入る。


**批准成立後・拡大準備――保留。**


「発言は順に」


リーゼが言う。


当然、順にはならなかった。


「詐欺だぞ!」


「ユリウスが死んだ証拠は!」


「本人が錯乱している可能性は?」


「セレスタは何をしていた!」


「停戦自体はどうなる!」


一つずつなら答えられそうだった。


同時だと無理だった。


少し安心した。


俺が全部答える場ではないらしい。


オスカーが立つ。


「停戦命令は現時点で失効していない」


最初にそこを言った。


「各代表は、この会議場の発言だけを理由に部隊配置を変更しないでほしい。正式照会を出す」


「あなたは知っていたのか!」


今度はオスカーへ飛ぶ。


オスカーは答えなかった。


イレーネが立った。


昨日の夜には持っていなかった革鞄を、今日は足元に置いていた。


そこから細い封筒を出す。


封は二重だった。


俺も初めて見る。


「ノアが今言った中心部分について、私から証言します」


声は仕事の時と同じだった。


「ユリウス・レグナートが死んだ時、私はその場にいました」


俺は手を机の下で握った。


新しい話ではない。


でも、人前で聞くのは初めてだった。


「死亡確認のあと、遺体の保全移送に立ち会いました。その後、ノア・フェルンを勇者として運用することにも関与しました」


「あなたも知っていたのか」


誰かが言った。


「知っていました」


イレーネは答えた。


「私も、この偽装を続けた側です」


それだけだった。


俺を守る言葉はなかった。


必要なかった。


イレーネは進行卓へ封筒を差し出す。


「第一日の死亡確認と移送に関する、私の証言記録と引継ぎ記録です。外側の封印番号で照会できます」


リーゼが直接は受け取らず、記録係へ合図する。


記録係が外側だけを確認した。


「封印番号あり。セレスタ軍務・医務共同印」


「開封しないでください」


リーゼが言う。


「この場で内容を独自に開くと、照会経路が混ざります」


封筒は透明な保管箱へ入れられた。


俺の言葉より、扱いが丁寧だった。


少し変な気分だった。


リーゼが係員へ新しい紙を出す。


「セレスタ中央連絡所へ優先照会」


オスカーが何か言う前に続けた。


「照会名義はハルフェン会議進行局。今提出された封印番号と一致する第一日付の記録について、存在確認を求めます」


記録係が封筒の外側を読む。


リーゼが書き足す。


「対象名、ユリウス・レグナート。記録区分、死亡確認および遺体保全・移送。内容開示は求めません。索引と封印番号の一致のみを優先」


死亡確認。


その言葉が出ると、またざわめきが増えた。


係員が照会紙を受け取る。


会議場の横室に《伝文晶》がある。


扉が開く。


青白い光が一瞬見えた。


閉じる。


* * *


旧魔王軍側の席で、誰かがセレクに詰め寄っていた。


声は聞こえない。


セレクは一度だけ短く答える。


それから席を立った。


リーゼが目を向ける。


「アーデン代表」


「未来の勇者保証について、こちらの確認を止めます」


最初に言ったのはそれだった。


「この本人確認が終わるまで、私の側から当該項目への同意は出しません」


「今の発言を信じるのか」


連合側から声が飛ぶ。


セレクはそちらを見る。


「信じるかどうかだけで、帰る人間の安全条件は決めません」


いつもの答えだった。


「存在しない可能性が出た保証を、そのままあるものとして推薦しない。それだけです」


驚いている顔ではなかった。


それを見た人が、今度は別の意味でざわつく。


「お前は知っていたのか?」


聞かれた。


セレクは少し間を置く。


「私が何をいつ知ったかは、必要なら別に証言します」


「今は、帰還側として署名を止めます」


答えなかった。


でも、驚いていないことも隠さなかった。


味方になったわけではない。


俺の方を一度も見なかった。


それでよかった。


* * *


D地区席では、ベアトリスが紙を三枚並べていた。


俺の方ではなく、イレーネの保管箱と進行卓を見ている。


「ハルツ司令」


リーゼが呼ぶ。


「今は発言を求めていません」


「そうですか」


リーゼはそのまま照会記録へ戻る。


ベアトリスは何も言わなかった。


机の上に置いた紙の一番上は、前に見せられた軍の記録紙と似た形式だった。


遠くて、何が書いてあるかまでは分からない。


俺は進行卓へ視線を戻した。


「回答まで?」


誰かが聞く。


「優先照会です。セレスタ側が封印索引へ接続できれば、存在確認だけなら早い」


リーゼが答えた。


「それまでは批准手続きを停止します」


「灰橋は!」


「現在運用は直ちに変更しません」


リーゼは運用板を見る。


「ただし、批准成立を前提とした拡大枠、第二・第三帰還便、第一保護期間の新規実施指示は保留します」


昨日まで白かった札が、また灰色に戻っていく。


オスカーが小声で係員を呼ぶ。


「各前線連絡へ、現停戦命令継続。新規配置変更は各正規指揮系統の確認待ち、と送れ」


「ハルフェン経由で?」


「各政府の既存回線だ。会議の正式結論としては送るな」


そこは分けるらしい。


オスカーは俺を見なかった。


俺も見なかった。


昨日までなら、こういう時は何を言うか聞かれたかもしれない。


今日は誰も聞かなかった。


当然だった。


俺はもう、一番信用できない説明材料だった。


* * *


待っている間に、会議場は三つくらいに割れた。


席を立って話す人。


座ったまま紙を読み直す人。


外へ伝令を出そうとして、リーゼの係員と揉める人。


完全に止められてはいない。


止める権限も、たぶんない。


ただ、ハルフェンから出す正式連絡だけは一本にまとめるらしい。


俺は席にいた。


名札もまだある。


勇者ユリウス・レグナート。


外していいのか分からなかった。


自分で外すと、少し芝居っぽい気もする。


だから触らなかった。


誰かが俺へ近づこうとした。


イレーネが保管箱の横から戻り、俺の席と相手の間に入った。


護衛として。


相手は止まった。


イレーネは俺を庇う言葉を言わない。


でも、殴らせるわけでもないらしい。


仕事だった。


「本当にノア・フェルンなのか」


離れた席から聞かれた。


「はい」


「証明できるのか」


「俺一人では」


それだけ答えた。


「なら黙っていろ!」


別の声が飛ぶ。


黙った。


かなり正しい。


今日は、俺が喋れば喋るほど証明になる日ではない。


* * *


横室の扉が開いた。


会議場の声が少し落ちる。


係員が紙を持って出てくる。


走らなかった。


その方が余計に目立った。


リーゼが受け取る。


紙の上を読む。


一度、イレーネの保管箱を見る。


封印番号を記録係が読み上げる。


リーゼが紙と照合する。


「セレスタ中央連絡所から、第一回答」


誰も完全には黙っていない。


それでも、声は聞こえた。


「照会した封印番号と一致する索引記録の存在を確認」


紙を一枚めくる。


「第一日付」


「対象名――ユリウス・レグナート」


俺の前の名札と同じ名前だった。


「記録区分――死亡確認、遺体保全移送」


今度は、誰もすぐには叫ばなかった。


リーゼは続ける。


「内容の開示、および現物照合には追加承認が必要。確認手続きへ移行する、とのことです」


ベアトリスが初めて椅子から立った。


旧魔王軍側でも何人かが立つ。


オスカーはもう別の紙を書いている。


イレーネは俺の席の横に戻っていた。


セレクは席へ戻っていない。


リーゼが鐘を二度鳴らす。


「本日の批准手続きは停止します」


今度は、誰も聞き返さなかった。


進行卓の運用板から、最後の白い札が外される。


**批准成立後・拡大準備。**


その場所が空く。


俺の名札だけが、まだ机の前に残っていた。


勇者ユリウス・レグナート。


さっきまでなら、俺が違うと言っているだけだった。


今は違った。


死亡確認の記録がある。


俺の声ではないところから、その事実が返ってきた。


勇者は、もう死んでいる。

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