Episode 018 — 偽物の俺に、人気が出てしまった
三日後、俺の机には菓子が七箱あった。
食べきれない。
正確には、俺の机ではない。
ハルフェンの《灰橋》管理所に用意された勇者用の控室だ。
もっと正確に言えば、菓子も俺宛てではない。
七箱とも札がついている。
**勇者ユリウス・レグナート様へ。**
干した果物。
蜂蜜を塗った焼き菓子。
固そうな黒パン。
なぜか塩漬け肉まであった。
「最後のは菓子じゃないですね」
俺が言う。
イレーネは箱の中を確認していた。
「毒見に回す」
「肉も?」
「全部」
「人気者は大変ですね」
返事はなかった。
最近のイレーネは、仕事の話には普通に答える。
それ以外は必要な分だけになった。
困るほどではない。
少し困る。
菓子の隣には手紙が積んであった。
こちらは二十通を超えている。
検査済みの印がついたものだけが机へ回されていた。
封筒の色も紙もばらばらだ。
字が上手いもの。
かなり怪しいもの。
一枚だけ、宛名の《ユリウス》が《ユリアス》になっているものもある。
そこは訂正しなくていい気がした。
「読んでいいんですか」
「勇者宛てで届いたもの。検査済みだけ回してる」
イレーネが言った。
それだけだった。
俺は一番上を取った。
* * *
最初の手紙は、短かった。
ドランの登録所で赤い紙を外された男の家族からだった。
名前を見ても、どの人かは分からない。
文面にはこうある。
父は無事に次の村へ着いた。
再照合の呼び出しには応じる。
まだ疑われているのは怖い。
それでも、所属だけで二日止められなくなったことに感謝している。
最後に一行。
**話を聞いてから決めてくださって、ありがとうございました。**
俺はそこを二度読んだ。
勇者らしいから、とは書いていない。
強かったからでもない。
戦争を終わらせたからでもない。
話を聞いてから決めた。
それは、たぶん俺がやったことだった。
封筒を見る。
宛名はユリウスだ。
少しだけ腹が立った。
それ以上に嬉しかった。
次を開く。
今度は連合側の町の人だった。
**あの措置を弱めたことには反対です。家族を失った者には、慎重という言葉が敵に甘いという意味に聞こえます。**
こちらも勇者宛てだ。
「全部が贈り物じゃないんですね」
「当然でしょう」
「安心しました」
イレーネが一瞬だけこちらを見る。
「何が」
「全員に好かれ始めたら、さすがに怖いので」
「そう」
また箱へ戻る。
会話は終わった。
三通目。
帰還した元捕虜の娘。
四通目。
ハルフェンの商人。
五通目。
ドランの兵士。
書いてあることは同じではない。
でも、似た言葉が増えていた。
以前より話を聞く。
前ほど断言しない。
弱くなったのではなく慎重になった。
負傷して変わったのだろう。
中には、前の勇者のほうがよかったと書くものもあった。
そういう比較をされると少し困る。
前の勇者は本当にいた。
今の勇者も、見た目だけならいる。
でも手紙の中では、二人とも同じ一人だった。
* * *
昼前、《灰橋》の門が開いた。
今日は三刻。
最初の頃よりずっと長い。
門を開ける前に、リーゼが確認票を読み上げる。
西側の後退線。
東側の巡回人数。
通過予定者。
医療枠。
荷車。
緊急停止条件。
全部そろってから閂が外れる。
俺は西側の受け入れ線の脇に立った。
列を分ける係員より後ろ。
帰還票を確認する机より前。
邪魔にならない位置は、リーゼの職員に決めてもらった。
人が近い。
見張り台の上より、ずっと。
遠くの群衆へ見せる時の笑い方は使わないことにした。
こちらを見た人にだけ、少し頭を下げる。
手を上げられたら返す。
声をかけられたら、その人に届くくらいの声で返す。
一人目。
二人目。
三人目。
列全体をこちらへ向かせない。
それでも、人は俺を見る。
「あの人だ」
通過列から声がした。
「変わったっていう勇者」
聞こえた。
聞こえないふりをした。
旧魔王軍側へ戻る家族。
こちらへ帰る元捕虜。
薬を積んだ荷車。
役人。
橋の中央で一度止まり、人数を数え直す。
西側へ渡り終えた女が、俺の前を通る時に手を上げた。
俺も上げる。
「ありがとうございます」
「お気をつけて」
それだけだった。
大きな拍手は起きない。
でも、次の男も少し頭を下げた。
その次の家族は、子供だけが手を振った。
俺は返した。
広場全体に見せる勇者より、この距離のほうがやりやすかった。
そして、たぶん、そのやり方まで《変わった勇者》の中へ入っていく。
橋を渡り終えた人が何人か、管理所の横に置かれた箱へ紙を入れていく。
勇者への意見・要望箱。
前からあったらしい。
今日、やけに目立つ場所へ移されていた。
「位置、変わってません?」
休憩の時にリーゼへ聞く。
「変えました」
「俺のせいですか」
「勇者へ直接言いたい人が増えたので」
迷いがない。
「処理できるんですか」
「全部あなたへ回すわけではありません」
「よかった」
「通行、居住、配給、護衛は担当へ分けます。勇者本人への礼状、批判、面会要望だけ選別します」
「批判も来るんですね」
「来ます」
即答だった。
やっぱり少し安心した。
リーゼは箱を見る。
「以前は、勇者への投書はほとんど要望か嘆願でした」
「今は?」
「意見が増えました」
「違いが分からないです」
「頼めば何かしてくれる人と、自分の話を聞いて判断する人の違いでしょう」
俺は返事をしなかった。
その言い方は、少し効いた。
* * *
午後、子供を連れた女が管理所へ来た。
面会申請を通していた。
警備が確認したあと、俺の前まで来る。
子供は五歳くらいだった。
俺を見るなり母親の後ろへ隠れた。
赤ん坊よりは勇者が効いているらしい。
悪い方向に。
「すみません」
女が言う。
「この子が、どうしても渡したいって」
子供の手に紙がある。
折り方がかなり雑だ。
受け取る。
中には絵が描いてあった。
橋。
人が二人。
大きな人が一人。
大きな人の髪だけ妙に丁寧だった。
俺だと思う。
たぶん。
「上手ですね」
子供が母親の後ろから少し出る。
「お母さんが、勇者さまはちゃんと聞くって言ってた」
母親の顔が赤くなる。
「私が言ったのは、前より……その」
「大丈夫です」
俺は絵を見る。
「ちゃんと聞けてるかは、自信ないですけど」
子供はそこを気にしなかった。
「これ、もらっていい?」
「うん」
「ありがとう」
今度は子供が笑った。
母親が頭を下げる。
俺も少し下げた。
二人が出ていく。
机の上には《勇者ユリウス・レグナート様へ》と書かれた手紙がある。
手元には、名前の書いていない絵がある。
なぜか、絵のほうが困った。
捨てる理由がなかった。
* * *
夕方、管理所の奥の会議室で、俺の予定が増えた。
オスカーが持ってきた紙は三枚だった。
一枚目。
各地からの面会要望。
二枚目。
帰還・交換事業での勇者立会い要請。
三枚目。
報告書。
「数字が出た」
オスカーが言う。
「何の?」
「勇者がいる日のほうが、帰還登録の途中離脱が少ない」
紙を見る。
率が並んでいる。
俺には、それが大きい差なのか分からない。
「俺がいるから?」
「そこまでは言えない」
オスカーはすぐ答えた。
「開放枠が大きい日ほど勇者を置いている。人員も多い。条件が違う」
少し安心する。
この人が急に何でも勇者のおかげと言い始めたら困る。
「ただ、聞き取りでは出ている」
別紙を指す。
「勇者が以前より話を聞く。無理なことを簡単に約束しない。そういう声は増えた」
「速報紙と同じですね」
「あれよりは細かい」
オスカーは面会要望の束をめくる。
「問題は、昔の勇者を知っている人間まで、その変化を使い始めたことだ」
「使う?」
「“今の勇者なら一度話を聞いてくれる”と言えば、会談の入口を作りやすい」
嫌な言葉ではない。
むしろ、かなり良い話に聞こえた。
俺がいるだけで、誰かが話し合いの席へ来る。
本当にそうなら、役に立っている。
オスカーが一枚を抜いた。
「これはまだ予定ではない」
日付を見る。
八十日目。
場所はハルフェン東側の帰還登録所。
戦勝後会議のあと、拡大帰還の最初の登録日。
「勇者が顔を出せないか、と」
八十日。
今受けている範囲の中だ。
「何をするんです」
「登録開始を見届ける。短い挨拶。問題がなければ一刻で終わる」
「俺がいないと止まる?」
「止まりはしない」
「いると?」
「来るのを迷っている家族が少し動くかもしれない」
かもしれない。
そこは、ちゃんと残した。
俺は机の端に置いた子供の絵を見る。
橋と、人と、髪だけ丁寧な勇者。
それから面会要望を見る。
全部、ユリウス宛てだ。
でも、その人たちが会いたいと言っている相手の中には、たぶん俺がいる。
そこが前より厄介だった。
「八十日なら」
俺は言った。
「行きます」
オスカーが頷く。
「助かる」
その言葉も、前より嬉しかった。
* * *
会議室を出る前に、リーゼが入ってきた。
紙を二束持っている。
「次の保護回廊枠です」
机へ置く。
一束目。
ヴェルサ方面へ移す旧魔王軍側の家族。
高齢者。
負傷者。
持病のある子供。
医療優先の印が多い。
二束目。
連合側の避難農家。
戦争中に村を離れ、今はハルフェン周辺の仮設区画にいる。
畑へ戻るための種、農具、家畜の記録がついている。
「同じ日に?」
俺が聞く。
「希望は」
リーゼが答える。
「通せるのは?」
「一方です」
短かった。
「護衛と荷車が足りません。両方を同じ窓へ入れると、どちらかの外側警備が薄くなる」
オスカーが紙を見る。
「次の窓はいつだ」
「今の予定なら四日後。ただし天候とD地区の巡回次第」
四日。
紙の上では短い。
待つ側には違うのだと思う。
リーゼが俺を見る。
「明日の協議で、先に通す側を決めます」
二束の紙が、同じ机に並んでいる。
片方には医療の印。
もう片方には、帰る家と畑の住所。
「勇者殿にも、判断材料を見ていただきます」
今日一日、俺は話を聞く勇者だと褒められていた。
次は、聞いたあとでどちらかを待たせる番らしかった。




