始業式
頭から一気に血の気が引く感覚がして、
私は心の中で(このポンコツ野郎!)と毒吐く
それでも残り少ない気力を振り絞って力の入らなくなった足を踏み締める。
腕がかすかに痙攣してしまうから、ぎゅっと拳を握って、色の無くなった顔色が見えないように下を向いて左右の髪を垂らしてカーテン代わりにする。
ゆっくり、ゆっくり細く息を吐いて、
手の先に熱を送るつもりで
自分で自分に暗示を掛けるように言い聞かせる。
これは少し前にお母さんと調べた貧血対策で、今までも何度か効果があった方法。
本当は座った方がいいんだけど、まだ生活指導の先生が話してるから、経験上の推測で終わるまでたぶんあと7分くらいかかる。
俯いて呼吸に集中していたら、周囲の視界にあったローファーの足たちがばらばらと思い思いの方向に動き始める。
完全に音声が遮断されてたみたい。
ざわめきが頭に戻ってくる。
やった、立っていられた…、倒れなかった。
ホッとして気を抜いた瞬間、ざぁーと頭から冷や水をかけられたみたいな感覚がして、膝がカクッと折れた。
あ、だめだった
そう、ポンコツ野郎はこの私。
すぐぶっ倒れるこの憎たらしい身体。
そのまま固い地面に倒れるはずだった身体は、横から伸びてきた手に脇の下から二の腕を掴むみたいに支えられる。
「…あっ、ぶね、ギリ。」
もう私の身体は、脳の指令を無視して、全身が弛緩する寸前状態だ。
かろうじで横から支えるこの手のおかげで、衆目の場でぶっ倒れずに済んでいる。
この手の持ち主が誰なのかとかは、確認する余裕もなく、私は必死にこの手に縋る
「すみません、あの、端っこに連れてって、もらえませんか、ただの、貧血です。」
手の主は、すぐに私の腕をそのままグイっと自分の肩に担いで、迅速に校舎の影を目指して歩いていく。
背が高いのか、私の身体はほとんど担ぎ上げられたみたいな状態でほとんど足を動かさずに済んだ。
よかった。変におんぶとかされたら恥ずかしくて死んでた。ただでさえ学年の切り替わりの新学期で悪目立ちしたら今後の平穏な学校生活の難易度が爆上がりする。
校舎の隅の、水道の近くのコンクリートの階段に座って、頭を低くして蹲っているとだいぶ血の気が戻ってきた。
はあー、とため息がでた。
気持ち悪いのも治ってる。
これはもう大丈夫なやつだ。
少し横にずれて、水道の石の部分に頬を当ててヒヤッとする冷たさに気持ちが静まっていく。
「あ、もう大丈夫な感じ?」
目を閉じていたから、声にハッとして顔をあげる。
男子生徒が、たぶんすぐそこの自販機で買ってくれたであろう、よく冷えたポカリのペットボトルを持って私を見下ろしていた。
たぶん同学年の人。
見たことある気がするけど、ほとんど面識はない。
「あ、もう大丈夫です。助けてくれてありがと。時間大丈夫?」
「別に大丈夫だよ。今日はもう帰るだけだし。ポカリ飲む?」
「わっ!ありがとう。いくら?」
「100円」
「あ、カバン。教室か。」
「カバンあるよ。伊勢谷さんの友達が持ってきた。花江さんだっけ?」
さらちゃん、カバン託して帰っちゃったのか。
人見知りだし、この状況が気まずくて逃げたな。
ありがとうとカバンを受け取り、中のお財布から百円玉を取り出して、差し出してくれた手のひらに置く。
「伊勢谷ひかり、さん、で合ってるよね?」
いきなりフルネームで呼ばれてギョッとする。相手は受け取った百円玉をニギニギしながら、こちらを興味深そうに眺めている。なんでこの人、なんか楽しそう?
「そうだけど。」
「俺は鈴木宗馬っていうんだ。宗馬でいいよ。」
「あ、うん。」
私は急に距離を詰められて、体調が治った直後のこともあって頭が回らず困惑しかない。
私が男子を下の名前で呼ぶことなんて、保育園以来ないし、学校でもごく一部のコミュ強の派手目なグループの人たちだけだと思う。
あ、もしかして鈴木くんはそういうグループの人で、面識のない私を同じ属性の人と勘違いしている?
明らかに戸惑ってコミュニケーション不全になっている私を気にする様子もなく、鈴木くんは今度は自分の鞄から取り出したファイルから、私にプリントを渡しつつハキハキと話しを続ける。
「あ、これ新しいクラス編成のプリントね。俺同じクラスだよ。これからよろしくね。」
渡されたプリントをざっと見ると、確かに私の名前が書かれたクラスに鈴木宗馬の名前もある。
他には知ってる名前も数名いるけど、前クラスの仲良い子は誰もいないな。こういう時部活入ってなくて知り合い少ないの辛いなー。まぁ毎日の学校の往復で精一杯だから、たとえ文化部でも部活なんて出来る余力ないんだけど。
「えーっと、保健室は行きたい?」
クラス名簿を見て完全に意識が持っていかれて、まだ鈴木くんを目の前に待たせていたことにハッとする。
「いや、よくあることだから行かなくて大丈夫!ていうか、待たせててごめんね!私ももう帰るから先帰っちゃっていいよ!」
「うん、じゃあ一緒に帰ろうね、駅?チャリでは、ないよね?」
チャリなら俺が漕ぐかなぁ、と思案するように呟いている。
え?一緒に帰る感じなの?
気まずいよー。責任感強いタイプの人に助けられるとこういうことが起こりがち。
学校から駅までの道はいつもはパラパラと生徒がいるけど、私がへたばっていたことでだいぶ時間が経ったのか、もう誰もいない。
鈴木くんと2人で下り坂を歩いていく。
今年は桜が遅咲きだったからか、今はまだ満開に近いしたくさん散る花びらが幻想的だった。
中学も高校も共学に通っているものの、持ち前の虚弱体質もあり、通学と学業をこなすので精一杯な私の生活に、青春に華やかさがあるわけもなく。
普段から男子と交流なんて、授業の活動で少し話す程度で、ほぼ無いから、男の子と2人で下校なんて当然初めてなわけで。
これは白昼夢か何かかなと、ぼんやりした気分で、駅のホームで電車を待ちながら隣の鈴木くんを観察していた。
鈴木くんは、助けられた時に肩を借りた感覚の通りで背が高いけど、細い感じだから大きな男子特有の威圧感みたいのは無い。
黒髪で前髪がふわっと真ん中で分かれてて、日本人形並みにど直毛の私からすると羨ましい。
口が常になぜかずっと薄ら笑ってるみたいな表情をしていて、なんかずっとちょっと跳ねてる?みたいな軽い足取りだし、帰り道も何が楽しいのか私に関して色々と質問をしていた。
「今日みたいに倒れたことは今までもあるの?」から始まり、前クラスに、部活の所属、得意な科目から苦手な科目まで。
何のための調査か分からないけど、とりあえず聞かれて困るものでもない内容ばかりだったし、質問に回答さえしていれば、帰り道も気まずくてならなくて済むと判断して、私は聞かれるままにどんどん答えた。
プルルルルルと電車がくる電子音が響く。
向かいのホームを眺めていた鈴木くんが私の方に顔を向けて、私も彼の方を眺めていたのでばっちり目があってしまう。
なんかめっちゃ人のこと見る人だな。
恥ずかしい〜。
「あ、俺反対側の電車だから、ここでバイバイだね」
「え?そうだったの?」
ホームで待っている間に反対側の電車をすでに一本見送っていた。
ホームに電車が入ってくる。
鈴木くんは正面から目を逸らさずに私の目を見つめてきた。
なぜかその顔は薄ら頬を染めて、瞳に熱が籠っている。
プシュッと電車のドアが開く。
私は乗り込んでから、不思議に思ってもう一度振り向いて鈴木くんを見た。
「俺、具合悪そうな伊勢谷さんみてすごいドキドキした!またいつでも倒れていいよ!」
プシューッとドアが閉まる。
ドア越しに笑顔で鈴木くんは手を振っている。
初対面のクラスメイトに、おかしな性癖をぶつけられた私は、空いた口が塞がらないまま呆然と電車に揺られていた。




