表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SHIFT  作者: 鉄箱
6/12

5th day 奪還作戦スタート

眠ることを知らない夜の街は、煌びやかなネオンと客寄せのホスト、ホステス達で飾られていた。

誰も彼もが仕事終わりの夜の街に、安寧と安息を求めて彷徨い歩く。

真冬の寒空の下、家族を持たない人間は、こうして暖を得ようとしているのだ。


厚い化粧と金銀宝石の数々で装飾された女が、客を得ようと通りかかった男に近づく。

すらりと高い身長と、風を切って進む堂々とした姿。

その様子は、女をして声をかけたいと思わせるのには充分だった。


「ねぇ、お兄さん。ちょっと遊んで――ひっ」


夜の蝶を思わせる、派手でしなやかな動きで、男の背に声をかけた。

男はその声に歩みを止めると、首だけ傾けて女を見る。


たった、それだけ。

それだけの動作で、女は息を呑んだ。


刃のように鋭く怜悧な視線。

肩越しにまっすぐと放たれたその視線は、仕事柄“その手の人間”の相手にも慣れていた女を、竦ませた。

飢えた猛獣を思わせるその視線は、女の心を容易に貫く。

女は小さく悲鳴を上げると、腰を抜かしたのかその場でアスファルトに座り込む。

何があろうと他者に感心なく、かつ喧嘩が始まるとはやし立てる夜の住人達が、その身体を固まらせて成り行きを見ていた。


ここは他国よりもずっと治安が良い国、日本だ。

なのに、男は気まぐれに懐から拳銃を引き抜いて女を撃ち殺してしまいそうな、そんな威圧感があった。


呼吸も忘れる程の圧迫感の中、ついに女は泡を吹いて倒れた。

同じ店の仲間が駆け寄り、その女達は勇敢にも男に立ちふさがっていた。


男はその様子を欠片も気にすることはなく、前を向いて歩き出した。

それを眺めていた街の住人達は、安心したように息を吐くと、再び行動を開始させた。


割れる人垣を威風堂々と突き進む男――颯真は、女のことなど既に忘れて、目的の場所へ向かって歩いていた。


黒塗りの携帯電話をポケットから取り出すと、短縮ボタンを押す。

友人が少ないため、ワンタッチの登録も楽だった。


「俺だ。アリア、遠藤京次、蛙のシフター……これに関わることを全部調べておいてくれ」

『え?そ、颯真?』

「頼んだぞ」


情報屋である友人のヴィヴィアンに頼むと、電話の向こう側から困惑を滲ませた声が颯真に届いた。

颯真は自分の要件だけさっさと伝えると、別の場所へも電話をしていく。

自分の持てる限りの人脈を利用するための電話だったのだ。


そして、今向かっているのも、その中の一人の場所。

ネオン街を外れた寂れた時計屋を視界に納めると、颯真は躊躇いなくその店へ、まっすぐと歩くのだった。











SHIFT











大きな磨りガラスの嵌められた木製の扉。

その銀色のドアノブを回すと、甲高い金属音が颯真の耳に響いた。


こちらもエミリーの店と同様に、人が来ていないのか、さび付いた扉は重い。

だが、特に抵抗を感じることもなく開くことが出来た。


実は家主は、この正面の入り口を使わなくなって久しく、蝶番が動かなくなっていたので放置していたのだが、颯真の筋力で開けられないはずもなく、抵抗むなしく開いたのだ。


扉の向こうは、薄暗い。

大きな古時計が針を回す音だけが、チクタクと狭い部屋に響く。

壁に掛けられたいくつものアンティーク時計は、その活動を停止させている物も少なくはない。だが、時間がずれている物は一つもなく、ぴったりと同じ時間を刻み続けていた。


「工房か」


颯真はぐるりと見回すと、そう呟いた。

予想が付いていたためか、その声に苛立ちはない。


まっすぐと奥へ進むと、家主に声をかけてみるという仕草など見せず、当然のようにカウンターの奥へ入る。

そこで再び颯真に軽い抵抗を見せる扉を開くと、そこには四畳半の何もない部屋があった。

颯真のすぐ正面にも扉があり、こちらが家主が使っている裏口だ。


颯真は部屋の端までで歩き、足下のタイルを見る。紺色のタイルだ。

タイルの窪みを見つけると、迷うことなく指をかけて、そのまま引きはがした。

するとそこには一から九までの数字が並んでいて、それはさながら金庫のようにも見えた。


入れる数字は、一九九九○七○七。

ノストラダムスの預言が的中した日だ。

それを打ち込むと、番号横の赤いボタンを押す。さらに二秒以内に青いボタンを押した。

これでロックは解除される。


颯真はその手段に、面倒な表情を隠しもせずにため息をついた。

自分が頼み事をする立場だと言うことを、忘れている。


ロックが解除されると、部屋の中央が横へ開いていく。

その動作に音はなく、静かに開いた。


中には階段があり、地下に続いている。

そう、隠し通路である。


颯真は灰色のコートを翻すと、仏頂面を崩さないまま階段を下りる。

薄暗い階段だが、迷うことなく下りる。


この男、夜目が非常に効くという、悪人によく似合いそうなスキルを持っていた。


階段を下りきると、今度は横開きの扉があった。

金属が重ねられたそこへ指をかけると、右にスライドさせて開け放つ。

するとそこには、大広間があった。


時計屋のスペース以上の空間を使っているが、無断使用だろう。

颯真の友人ならやりかねない。


どうみてもがらくたにしか見えない機械や、無頓着に置かれた薬品類。

白い蛍光灯が光る天井は高く、ここが二階分のスペースをとっていることが解った。


ウェイター服に似合ったローファーが、アスファルトを打ち鳴らす。

カツカツと音を立てて奥まで歩いていくと、作業机の上で何かをいじくり回す男の影が見えた。

所々にシミや汚れの目立つ、よれよれのワイシャツに、漂白剤か何かで色落ちしてしまっている黒のズボン。

髪はぼさぼさで、手入れをしているようには見えなかった。


「和彦」


颯真が小さく彼の名を呼ぶ。

すると、その声に反応して、男は小さく肩を跳ねさせた。

手に持っていたパイプのような金属を落しかけて慌てて拾うと、緩やかに振り返った。


健康的な生活を送っていないのだろう、肌は病弱かと思う程に白い。

その顔は煤だらけで、造形は解らない。

また、顔半分を隠すぐるぐるの瓶底眼鏡が、彼の人相をより不明瞭なものにしていた。


彼――和彦は、振り向いた先に颯真が居ることを見ると、満面の笑みを浮かべた。

両手を広げて歓喜を表している辺り、感情表現がおおざっぱな性格なのだろう。


「颯真君っ!君から来てくれるなんて、嬉しいよ!」


足をもつれさせながら、走り寄る。

途中で何度も転びそうになっている辺りで、日頃の運動不足が伺える。


「力を貸してくれ」

「へっ?……何かあった、みたいだね」


言葉こそ頼んでいるが、口調に懇願の感情は見あたらない。

当然頭を下げている訳ではない。慇懃無礼にもほどがある。


それでも和彦は、颯真の口調から真剣な物を感じ取って頷いた。

彼も颯真の友人だ。これくらいのことは、何度もあった。


「君は僕の恩人だ。そうでなくても、友達だ。力くらい、いくらでも貸すよ」


和彦はそう言うと、力強く笑った。

颯真の友人を続けて、もうすぐ十年。

颯真のことは、理解できるつもりだった。

そしてそれは、間違いではなかった。


「あぁ、頼む」


彼がこうして重ねて言うのは、本当に珍しい。

和彦はその言葉に口を開いて驚くと、すぐに嬉しそうに笑った。

常に独りで臨む友人が、こうして自分を頼ってくれる。

そのことが、和彦は何よりも嬉しかった。


黒の安全靴をかちゃかちゃと鳴らしてアスファルトを走る。

先ほどまでよりもずっと動きが良くて、今度は転びそうになることもなく奥の扉へ入っていった。

上の土地から考えると、その場所は先ほど颯真に睨まれて卒倒した女の居るクラブだ。

おそらく店の従業員は誰も、地下にこんな怪しげな空間が広がっているとは考えてもいないことだろう。


少しすると、和彦は台車に棚を乗せて、戻ってきた。

短い距離を引いてきただけなのに、もう額に玉の汗をかいていた。

息も荒く、このまま倒れてしまいそうなほどふらふらだった。


「で?」


颯真は、そんな和彦を労ったりはしない。

この男が“頼む”と口にしただけでも奇跡なのだ。これ以上は望めないだろう。


「ふっふっふっ……まずは、これだ!」


白い棚の一番下の引き出しを開ける。

そしてそこから、颯真の履いているものと変わりがないように見える、ローファーを取り出した。和彦はそれを、両手で抱えるように持っていた。重いのだ。


「特殊合金仕込みのローファー型安全靴“必殺君”だよ!」


颯真は胸を張る和彦を一瞥すると、無言でそれを受け取った。

そのまま履いていたローファーと換えて、履き心地を確かめる。


「悪くねぇな」

「ありがとう!さぁーって、次は――」


今度は中段の引き出しを開ける。

そこから一メートル近くある、銀色の大きな箱を引っ張り出した。棚の横幅一杯まであるので、何故棚に入れたのかわからない。

よほど重いのか、持っているだけでふらふらとしている。


「こ、これが――」


それを辛うじて持ち上げると、近くの作業机の上に置いた。

鈍い音がしている辺りで、和彦の体力に関係なく重い物だと言うことが解った。


和彦がその箱を開ける。

するとそこには、一丁の拳銃が入っていた。

――回転弾倉、リボルバー式の銀色の銃だ。


「S&WM500――五十口径の弾丸を発射する世界最強の化け物銃。長さは四十センチを越え重量も十キロはくだらない。装填数は五発でクイックローダー付きだよ。本来は一発撃てば鉛が銃身に張り付いて威力が低下するんだけどそこは僕が手を加えて更に――」

「いいからよこせ」


蘊蓄を披露し始めた和彦から、その銃をもぎ取る。

片手で悠々と扱っている辺りで、颯真がいかに怪力か、その片鱗が見て取れた。


「試し打ちは?」

「あっち」


躊躇無く壁を指さして、和彦は耳を塞いだ。

この地下室は、なんどもそんな実験が行われてきたのだろう。

和彦が指した壁は、一カ所だけ妙に頑丈にしてあって、ぼこぼこの鉄板が取り付けられている。


颯真は拳銃を片手で構える。

左手はコートのポケットに突っ込んでいて、その余裕が感じ取れる。


――ガゥンッ!


引き金を引くと撃鉄が持ち上がり、弾倉を回しながら撃ち下ろされる。

強力なマズルフラッシュと硝煙が持ち上がり、颯真の視線の先では壁が“抉れて”いた。

ゾウを撃ち殺すのにしか使えないと言われているだけあって、その威力は圧巻の一言に尽きる。


颯真はそれを何食わぬ顔で、五発全弾撃ち切って見せた。


「それ、三発撃てば手から痺れが取れなくなって、五発で骨折するって謂われてるんだけど……さすがだね、颯真君」

「たいしたことねぇな」


そう言ってのけるのは、颯真くらいなものだろう。

使用者の安全をまったく考えていないと説明書に書かれるような銃を、軽々と使いこなしていた。

もっとも、狙いはばらばらで、命中精度は低いようだったが。


和彦は満足そうな颯真の様子に小さく笑うと、今度は棚の上段、ガラス戸を開けた。

そこから銀色の懐中時計を手に取ると、眉根を寄せながら、それを眺めて逡巡する。

だが、すぐに小さく首を振ると、和彦はどこか寂しそうに笑った。


「颯真君、これ」

「あ?……なんだ、これ?」


懐中時計を掲げながら首を捻る颯真に、和彦は説明をする。

そのために、この場に引き留めたくなる衝動を、抑えながら。


「それは警察に依頼されて作った品でね、完成品第一号さ。用途は簡単、服を一セット収納することだよ。あらかじめ、颯真君の好きそうなウェイター服を入れておいたよ」


颯真はここにもふらりと来て、飲んで泊まって帰ることがある。

そのため、自分の着替えをここに置いていたのだ。

それを一セット、和彦は懐中時計型収納装置の中に入れていたのだ。


シフターの能力、その全てを使えば服がダメになる。

そんなことで躊躇する颯真ではないが、人目に付かないために変身したままでいることもあるだろう。


使わせたくないが、そう言って使わない性格ではない。

だからせめて使用時間を短くしようという、和彦の悪あがきのような、抵抗だった。

颯真はその意図を読み取ったのか、皮肉下に小さく笑った。


「ありがとよ」

「うん――気をつけてね、颯真君。僕も妹も、君のことが心配なんだ」

「ハッ――」


真剣な顔でそう言う和彦を、颯真は鼻で笑った。

そして、コートを翻して背中を見せた。


「――誰に向かって、言ってやがる」


背中で語る、大きな自信。

それを見て、和彦は顔綻ばせた。


「そうだね。うん……そうだ」


颯真はコートの裏側に拳銃をしまい、ポケットに弾丸をありったけ詰め込んだ。

そして、懐中時計をズボンのポケットに放り込むと、大きく歩き出した。


その背中に、迷いも気負いもなく。

ただ、堂々たる雰囲気だけが、漂っていた。


「さて、と――僕は僕に、出来ることをしようか」


和彦は、颯真を見送るとそう呟いた。

そして、颯真に渡した懐中時計よりも一回り大きいケース、試作品の収納装置を持って、颯真からは見えない位置にあったモニターを見る。


それは、建物周辺の監視カメラの映像だった。


颯真に気がつかれないように、和彦も外へ出る。

彼のために出来ることは、まだ残っているのだ。















人々の喧噪が響く、繁華街。

そのビルの一つの屋上で、遠藤京次はほくそ笑む。


冷たい風に晒されているが、そんなものは気にならない。

名誉挽回の機会が、転がり込んできたのだ。

その自分の幸運に、京次は舌なめずりをした。


まんまと女性警察官を取り逃がし、特に敵を見つけられる訳でもなく、京次は手ぶらで帰ることも出来ないと繁華街を彷徨いていた。


そこで偶然、一番邪魔になりそうな男――颯真を見つけたのだ。


建物に入っていく後ろ姿を見送り、出てきたところを襲う。

そのため、こうしてビルの屋上で待ち伏せしていたのだ。

ここならば、人気のないところに入るまで、見張ることができるのだ。


「出てきましたね……クックッ」


前回は、油断があった。

だが今回は、それがない。


颯真が進んでいく先を、じっと見る。

なにやら携帯電話で誰かと会話をすると、表通りを外れていった。


これで、チェックメイト。

本気な上に奇襲なのだ。

間違いなくその一撃は、颯真を轢殺してみせるだろう。


「【全因子接続・因子転換・承認・変身】」

「【フロッグアウト】」


スーツが破けて、紺色のネクタイのみが残る。

白と緑のコントラストに黒い斑。

油でぬめっと、てかった身体。

黄色い瞳孔に口から垂れる真っ赤な舌。

二メートルはあるだろう巨大な蛙が、ビルの屋上に鎮座していた。


『この間の借りは、返して貰いますよ』

「そういう訳にも、いかないんだよね」

『――っ!』


耳に響く声に、京次は跳び上がって身体ごと振り向いた。

屋上のドアから入ってきたのだろう。

ぼさぼさの髪に瓶底眼鏡の男――和彦が、そこに立って京次を見ていた。


『誰でしょうか?』

「扇和彦、科学者」


簡潔に名乗る。

どこか抜けたような雰囲気はそこになく、冷徹な空気さえ醸し出していた。


和彦は収納装置を地面に置くと、京次に一歩踏み出した。京次はそれだけで言いしれぬ不安を感じて、一歩下がる。


「へぇ?――野生の勘、かな」

『な、なんですか、あなたは』


ただの人間に、シフターである彼がこうも怯えることはない。

相手がシフターだったとしても、同様だ。

京次は自分の力に自信を持っている。

油断さえしなければ、負けることはないだろうという自信だ。


全身を転換させれば、シフターでも捉えられないスピードで跳ね回ることが出来る。

更にガマの油で加速させれば、大抵の敵は屠ることが出来るだろう。


そんな自信があるのにも関わらず、京次は一歩退いていた。

だがそんな自分でもわからないような警戒心に、京次は屈しない。

目の前の男を轢き殺してやるのだと、前屈みになって飛びかかる体勢をとった。


「あーぁ……野生の勘って、大切だよ?」


和彦はそういうと、肩を震わせて笑う。

そして、眼鏡を外して、放り投げた。

目に垂れかかる前髪で目元を見ることは出来ない。


だがその雰囲気は、明らかに変わっていた。


「【全因子接続・因子転換・承認・変身】」


京次は、和彦に変身させることを恐れた。

だがそれは手遅れで――京次は最悪のタイミングで飛びかかることになる。


「【コブラアウト】」


身体がブラウンの鱗に覆われて、手も足もなくただまっすぐと伸び上がる。

金色の瞳孔は縦に割れていて、時折真っ赤な舌がちろちろと見えていた。


これが和彦の転換因子。

立ち上がれば、身の丈三メートルを超える巨大な蛇。


コブラの因子を持つシフターは、丁度飛び込んで来た京次を絡め取る。

嫌な予感がした時点で、京次は逃げれば良かったのだ。

だがそれは叶わず、蛇に睨まれた蛙は締め上げられる。


『あががががが……げふっ』


短い断末魔。

それとともに、京次は身体から力が抜けたように動かなくなる。

死んだ訳ではなく、締め上げられて気を失ったのだ。


和彦はするすると京次から離れると、長い舌でケースをたぐり寄せた。

そして、変身を解いて、すぐにケースから出した替えの服に着替える。


「気をつけてね、颯真君」


和彦はそう呟くと、携帯電話を取りだした。


「もしもし、警察ですか?――ビルに、全裸の男が……」


社会的に地位を失うだろう京次を一瞥すると、和彦は屋上から去る。

変態に仕立て上げて警察に通報する辺り、彼もやはり颯真の友達らしい人だった。















和彦のビルから出た颯真は、人混みに苛立ちながら歩いていた。

まずはどこかで、ヴィヴィアンと落ち合って情報を聞き出す。

それからでないと、動くことは出来ないだろう。


そうして歩いていると、コートから機械音が鳴る。

携帯電話を取りだし、そこに表示されるヴィヴィアンの名前に、颯真は顔を歪めて笑った。

瞬間、モーゼの十戒の如く人垣が割れる。その笑顔があまりに怖く、人々が退いたのだ。


『今どこにいるの?』

「和彦のところに居た」

『そう、それなら近くまで行くわ。国道の方へ出て頂戴』

「わかった」


簡潔に会話済ませると、表通りを外れて裏通りから国道へ抜けようと歩く。

そして、人目が付かなくなると、コートの裏側に縫い付けられたホルスターから拳銃を引き抜き、背後のビルの屋上に照準を合わせた。


だが、すぐに屋上から大きなコブラが見えて、銃をしまう。

殺気に気がつくという映画の俳優じみた真似をして見せたのだ。


はからずとも、京次は撃ち抜かれて死ぬことなく、締め上げられて社会的に死ぬだけで済んだのだ。


どっちがマシとは言わないが、生きていればいいことだってあるだろう。


颯真は右手で頭を掻くと、再び歩き出す。

今度は先ほどまでよりも早く、大胆に歩く。

背中を守る友人がいるのなら、警戒をする必要はないからだ。


裏通りを抜けて、居酒屋や寂れた映画館を通り越し、線路の下のトンネルを潜る。

やがて人気が無くなると、周囲にあまり建物がない、国道に出た。東京と言ってもぎりぎりで、この辺りは畑があったりする。


その小さな街灯の下に、オープンカー――ルージュのポルシェが停止した。

左ハンドルの運転席には、ヴィヴィアンが座っている。

さらに、二人乗りのポルシェの、後ろの狭いスペースにはヴァンがいた。


「こっちよ」

「あぁ」


颯真はヴァンを一瞥して、すぐに右側に回り込んで座る。

ヴァンにも協力要請はしていたので、おそらく道すがらヴィヴィアンが拾ったのだろう。


「話は移動しながらで、いいわね」

「あぁ、そうしてくれ」


一言も喋らないヴァンを気にした様子もなく、話を進める。

ポルシェが発進すると、高級車らしい心地よい揺れが颯真にも伝わる。

金があるのならベンツくらい欲しいなどと、颯真は取り留めもないことを考えていた。


だが、それは止めておいた方が良いだろう。周辺住民の精神の平穏的な意味で。


「遠藤京次から周辺を調べてみたら、どうも最近S県の怪しげな研究所に通っていたことが解ったわ」


颯真は話を聞きながら、タバコを取り出す。

店やアリアの前では吸わなくなったが、他人の車なら別だ。

特に吸わない理由もない。


「タバコの臭いを服につけて、会いに行くのか」

「ちっ……火、忘れた」


ヴァンの言葉に気がつかないフリをしながら、颯真は言い訳じみたことを言ってタバコを窓から投げた。環境破壊である。

飛んでいくタバコをヴァンが掴み取り、コンビニの袋に入れて車内の端に置いておく。妙に律儀である。


「その研究所の主は、永戸天人っていうんだけど、裏の事情に関わりのある学会で“シフターは世界を支配すべきだ”って嘯いて、追放されたみたいね」

「牢屋にぶち込んどけよ。イカレてんだろ、どう考えても」


颯真がうんざりとそういうと、ヴィヴィアンは「犯罪行為の痕跡はなかった」と苦笑しながら付け加えた。危ないことを言い過ぎたため、取り調べは徹底的にされたようだ。


「で、何年か前からその付近で失踪事件が起こるようになったんだけど、疑われても証拠がないから野放しにされてきたみたい。で。どうやら結婚したみたいなんだけど、近くの街に住む人は、誰も奥さんを見たことがないそうよ」


この上なく怪しい情報だ。

颯真は禁煙用のパイプを咥えると、苛立たしげに頭を掻く。

そこまで怪しければ、行かない手はない。


「カチコんで確かめればいいか」


違ったらどうしようとは考えない。

ここまでお膳立てされて、違うと言うこともないだろう。


頬に当たる冷たい風を気にすることなく、颯真はバックミラーを見る。

ヴィヴィアンも気がついているのか、ため息をついて見せた。


「どうする?」

「俺が行こう」


ヴィヴィアンが小さく問いかけると、後ろのヴァンが頷いて見せた。

ポルシェの背後から迫る、一台の黒いバン。

研究所が近づいてきたため山道に入り、周囲に人影は無い。


颯真はコートから拳銃を引き抜くと、振り向きながら狙いをつけた。


「また、そんな化け物銃を用意して……まったく」


運転しながらため息をつくヴィヴィアンを一瞥することもなく、引き金を引く。


夜の闇に光るマズルフラッシュと、それによって一瞬浮かび上がる硝煙。

至近距離で放たれてはたまらないと、ヴィヴィアンは危険を承知で発射の一瞬だけ両手をハンドルから離して耳を塞いだ。ヴァンも同様に、両手で耳を塞いでいる。


多少ぶれながらも、弾丸はバンのタイヤを貫いた。

スリップを起こす車から人影が飛び出すのを見ると、ヴァンも車から飛んで追いかけた。


シフターならば、無力化しておかないと後顧の憂いとなる。

そして、スリップした車から飛ぶことができるような人間は、シフターだろう。


「頼んだ」

「任せろ」


短い会話。

それだけで全て伝わったのだろう。

それきり振り向くことなく前を向く二人に、ヴィヴィアンは少しだけうらやましそうに微笑んだ。


目指すは山奥。

永戸天人の研究施設である。















空気を揺るがす、爆発音。

夜の闇を彩る真紅に、男は肩を震わせた。

筋肉質で小柄な体型、サングラスをかけたスキンヘッドの男。

彼の名は小山三成といい、天人に二束三文で雇われた小悪党だった。


警察を時間稼ぎのために足止めしろと言われたのに、妙にすばしっこい女性警察官二人をまんまと逃がしてしまった。

小柄で素早いシフターと、移動速度は遅いが飛行能力とこちらの視界を潰してくるシフター。

その二人を京次と協力した上で逃がした。


このままでは報酬も貰えない。

危ない端を渡ったのだから報酬が欲しくて、三成は何か手土産はないかと探していた。

そこで見つけた颯真を遠くからこそこそと尾行して、車に乗り込んだところを見た。

盗んだ車で追いかけて、あわよくば体当たりをしてやろうと迫る……そこまでは、順調だった。


それが、たった一発の弾丸で、覆された。

それだけではなく、身軽な男が自分を追いかけているという恐怖感。

スリップしたバンが爆発する音で過剰に驚く程、三成は周囲を警戒していた。


よく考えれば、京次達の脱走の手引きなどで報酬は貰えそうなものだが、三成はそれに気がついていなかった。

ひとえに、京次の焦りに釣られたのだ。


足場の悪い山を走る。

だがやがて、自分が地中に潜ることが出来ると言うことを思い出して、地面に両膝を付いて項垂れた。

どうやら、そこまで焦っていたようだ。


「【全因子接続・因子転換・承認・変身】」

「【モールアウト】」


全身をモグラに転換させる。

鋭いかぎ爪のついた両腕と短い足。黒いサングラスがチャームポイントだ。

身長は三成の時と変化が無く、百五十センチあるかないか程度だ。


早速、穴を掘ろうと地面に腕を突き立てる。

だが、それは叶わなかった。


「逃がすとでも、思ったか?」

『ちっ!』


低い声が後ろから聞こえて、思わず跳ぶ。

前方へ宙返りしながら跳ぶ、大きなモグラの姿は、必死さに反してどこかコミカルだ。


いくら素早く掘れると言っても、流石に敵の目の前で穴を掘ることは出来ない。

こうなったら、ヴァンを打ち倒すしかないだろう。


「【腕部・脚部・頭部接続・因子転換・承認】」


構える三成に対して、ヴァンもまた前屈みに構える。

その顔面と両腕両足に白い体毛が生えて、形を変えていく。


「【ウルフシフト】」

『狼の、シフターか!』


白い体毛の狼。それが、ヴァンの転換因子だ。

低く呻り声を上げる、その姿。両腕両足に頭部だけ狼になっているため、まるで狼男のよう見えた。


『グルルル――――ガァッ!!』

『嘗めるな!』


飛びかかるヴァンに、三成は叫びながら爪を地面に突き立てた。

そして地面の土を、礫のように用いてヴァンを攻撃した。


『ガゥッ』


ヴァンは低く呻ると、左にステップをして避ける。

そのまま反復横跳びのように左右に動きながらも、速度を緩めることなく突進してくる姿は、恐ろしい。

三成はその威圧感に押されて、一歩退いた。


ヴァンは敵の精神が乱れたことをその一歩で読み取ると、速度を上昇させる。


『く、くるなぁッ!?』


ついに背を向けて走り出そうとした三成に易々と追いつく。

そして、混乱から振りかざした短い右腕に、鋭い牙を持って噛みついた。


『い、いたいッ』


そのまま強靱な背筋と顎でもって、持ち上げた。

頭上でわめく三成を一瞥すると、ヴァンは握り拳を作る。そして、手を離されて自由落下する三成の腹を、打ち据えた。


『ギャフッ』


小さく悲鳴を上げて、倒れ伏す。

ヴァンはその三成を左足で踏みつけると、両手を広げて遠吠えをした。

踏んだのは、ノリである。


あっさりと打ち勝ったヴァンは、そのまま三成の上に座る。

椅子としては、中々座り心地の良いものだった。


人間の姿に戻ると、ヴァンは空を見て大きく息を吐いた。

月を見ながら願うのは、ただ友人と少女の、安全だけだった。


夜がゆっくりと、明けようとしていた。

五日目終了です。

残すところは、六日目と七日目。

七日目は扱いとしてはエピローグになります。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

次回も、よろしくお願いします。



追記。

三月十六日九時四十七分、こっそり誤字修正。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ