負けない心
「ねぇ、聞いてミラちゃん。わたくし、ランドール様が……」
ミシェエラは春の花が咲き誇る庭園で可愛らしい声で紡がれた言葉に驚愕した。
「貴方がフラングル様の威光をひけらかし、ランドール様と婚約したのは知ってます! ランドール様が可哀そうです!」
大きな声で春の茶会がしんと静まり返った。
「ん?」
冬は雪が降るドッシュ国は四か月程の長期休校となる。
それが明けて入学式が始まり、春の花が咲き誇る中庭で茶会が開催される。
そこで男爵令嬢リーリアの独壇場が発生した。
可愛らしい声で反応したカナリアはこちらを指さす令嬢に「どなた?」と小首を傾げた。
カナリアを指さすリーリアは息を巻く剣幕で、声を荒げる。
「黒マリモの癖して、私に散々嫌がらせしたくせに、その態度はこの公平を期す学園にふさわしくないものです!」
「あらあら、その物言いはドリ男爵の」
いつもは取り巻きの令息が周りを囲っていたのに、この茶会では誰もいない。
しかも、リーリアは長期休校前の容姿と随分かけ離れていた。
赤茶けた髪は妙な艶の黒色に変わり、顔は浮腫んで大きかった瞳は腫れぼったく半目になっていて、肌は白粉を塗りたくり真っ白で、ドレスからチラリと見える腕はまだらに赤くなっている。
「ランドール様は、私の伴侶になるべき人なの! あんたなんか、必要とされてないのよ!」
依然と違い、喉に詰まったように叫ぶその姿に周りはより一層リーリアから遠ざかる。
誰もかれもがカナリアを庇おうとするが、それをカナリアの後ろに立つミシェエラが視線で止めている。
「そう仰られても、わたくし、あなたにランドール様を譲る気はありませんわ」
ニコリと不思議な光彩を浮かべる瞳を細め、カナリアが微笑む。
「だって、そうでしょ? わたくし、あなたに負けている要素がなにもございませんもの。学業においても、社交を広めることに関しても。この学園で必要なものすべて。わたくしがんばっておりますもの。それに、ランドール様の隣に立てる良い伴侶になるように」
自分で言っていて照れたのか、頬を染めるその姿はとても可愛らしく、様子を伺っていた令息や令嬢たちがよろめいて衝撃に耐えている。
そんなカナリアの隣に立ったランドールが珍しくその瞳を蔑みに変えて、リーリアを見下す。
「わたくし、ランドール様の愛があってからこそ輝いてられますの。毎日が楽しいの。あなたはこの学園でなにをなさったの?」
可愛らしく微笑んでいた少女が、スルリと隣に並び立っていた青年の腕にその華奢な腕を絡め悪女のような流し目をリーリアに送った。それはどんな色香よりも罪深い、毒のような視線だった。
リーリアは独自に製法した化粧品を身にまとい、その強い刺激から美貌を失った。
見よう見まねで作ったそれはリーリアの呼吸器まで浸食したらしく、春の茶会以降休学していえる。
貴族令嬢にはできなかった制裁を、貴族というより商人に近いランドールややってみせた。そして、まがい物を作ったドリ男爵家はティンバー商会の反感を買い、姿を消した。
「フラングル殿下の威光…」
「おいやめろ、こちらを見るな」
「もし、僕がカナリアへ手を出す奴はフラングル殿下の威光で鉄拳制裁お見舞いしちゃうぞっていう体で潰してもなんら問題ないと?」
「問題しかないな。やめておけ」
「一人潰してもまた十人と増える…その苦労が判るかい?」
「目を開くな! 将来の駒が減るからやめてくれ。私が即位した時に焼け野原しかない未来はやめてくれ」
「僕が伯爵位だからって、カナリアに色目を使うんだ」
「ティンバー商会から出禁をくらった奴らはそろそろ反省をしたようだ。お前の商会の品物が買えない貴族は流行遅れと後ろ指をさされるんだ。それを上手く使ってくれ」
「今度、カナリアの為に作った化粧品を売り出すから、それでなんとかならないかな」
「なるだろう? 正規品でない化粧品を使った男爵令嬢の末路を皆知っている。ティンバー商会に歯向かう貴族なんてこの国にはいない」
だから目を開いてこっちを見るなとフラングルは声高に叫ぶ。
いつもにこやかな奴が目を開くと、ものすごい威圧で居心地が悪いらしい。
最初はカナリアの安全な学園生活を手に入れようと奮闘していただけなのだが、意外にも大物が釣れてしまいフラングルは己の幸運ぶりを感謝した。
ミシェエラの目の前で紅茶を飲む淑女は一年前は野暮ったくて、社交性の欠片もない引きこもりとして名高かった。
その可愛らしいキャラクターと、人好きのする性格から令嬢には好かれていたが、令息たちはてんで相手をしていなかった。
それが、ランドールに調教のような愛情を教えられてから変わってしまった。
長かった前髪をバッサリと切って、特殊な瞳を人前で出すようになった。
恥ずかしがってダンスなんてしなかったのに、パーティーでは率先として踊るようになった。
奉仕の事業では訪れた孤児院で子供たち相手に自慢の歌声を披露するようになった。
すべてがランドールのお陰だと思うのは癪に障るが、カナリアの自信は彼のお陰であった。
今ではパーティーに着ていくドレスをランドールと二人で決めているという。
装飾品にしても、お互いで手作りのものを送りあっている。
この間のお泊りで語ってくれたものは全てがランドールの情報で、カナリアがどれだけランドールを尊敬しているかという内容だった。
「こうやって、親離れをしてくのね…。あたくし、さみしいわ…」
「ミラちゃん、聞いて? わたくし、ランドール様が、好きかもしれないの…」
こっそりと内緒話をするように耳元で可愛らしく告げられて、さしものミシェエラも絶句した。
あんだけラブラブしておいて、まだ好きかもしれないって――?!
絶世の美女が絶句する傍らで、絶世の美少女は内緒話の内容に頬を染め恥じらった。
そして数年後―…。
「ねぇ、聞いてミラちゃん。わたくしね、ランちゃんとね―…」
花が咲き誇る庭園で、花の妖精もかくやという少女は幸せそうに微笑む。