55.水の都フィルマール1
見渡す限りの水の都。噴水や水路がそこら中にある。青や白の建物は、海を通した日の光で煌めいていた。どういった魔法だか建築だかわからないけれど、空気はあり海水は雪崩れてきていない。水の流れる音はするけれど、生活の音や人の気配はないように思う。
「壮観だな」
言いながらヤークが後ろの三人を呼び寄せていた。綺麗だねと呟くリリムと天井の海に怯えるスナッチとクラリスに、少し安心した。二人は何かの拍子に海水が入ってきて溺れるんじゃないかと怯えているようだ。ヤークが崖壁の削れ方や建築物の様子から問題ないだろうと説明しているけれど、万が一を考えると確かに怖い。
「信じられないが、元々は外にあったようだ。都市ごと、海の底に沈めたのか」
「あぁ、だから……」
ヤークに相槌を打とうとしてやめる。だから、記憶と少し違うのか、と口に出したくなかった。なぜかここを知っているということを認めたくなかった。
「うん?」
「あ、だから、えっと、ボロボロなんだなって」
苦し紛れの言葉は、おかしくなかったようだ。ヤークは頷くと一番近くにある柱に近寄りゆっくり手を添えた。
「確かにボロボロではあるが、朽ちてはいない。爪痕や傷が多くあるから、魔物か何かの侵攻で滅んだのではないかな」
そう言われてみると、都市からカビや埃といった古い匂いはしてこない。水音がするし息もできるけれど、時間が止まっているかのようにも感じてしまう。でも柱や建物についた傷跡の量はとても多い。激しい戦闘があったことがわかるのに、何もなかったかのような空気が、気持ち悪かった。
「俺としては長居したくないが、今は魔物もいなさそうだと思うとここで一泊するか?」
「ありだな」
「調べたいからって即答すんなよヤーク……」
魔法が使えず鎧も重たいスナッチは、溺れた場合に一番命を落とす可能性が高い。それを自覚しているからみんなよりこの状況が怖いんだろう。水魔法や風魔法が使えるヤークとリリムのほうが怖がっていない。クラリスは「僕は泳ぎ方を知らないんだけど」と口を尖らせている。
「君も怖いの?」
リリムは私の顔色を見ているようだった。確かに怖い。でも、怖いのは——。
「うん、怖い」
素直にそう告げると、リリムは「そう」と短く呟いて私の隣にぴったりと並んだ。仲間を見ていると安心する。さっきから、自分で自分を疑うような嫌な感覚が続いているからだろうか。建物や景色が目に入ると、記憶が答え合わせをしようと勝手に考え始めてしまう。記憶の建物に傷はなかった、この水路の水の流れは違った、空は海ではなかった。
そして、人がいたはずだった。
騒がしくはなく、大人しい静かな住民が住んでいたはずだった。人がいたと思う場所には、どこもたくさんの傷跡が残っていた。不思議だなという気持ちで済んでいるのは遺体がひとつも無いからだろうか。ヤークが先導して歩いてくれているけれど、ひとまず中心地に向かっているのだろう。それでも骨のひとつもないのだ。人の物も、魔物の物も。
「ひとまず城から見るか。この都市、いや、国か? 何が起こったかわかる文献があるといいんだが」
「建物の状態がとてもいいから、本とか資料も読める物がありそうだな」
「じゃあもう長居することが確定してんじゃねーか……」
そわそわと落ち着きなく後ろをついてくるスナッチ。
「別にスナッチだけ洞窟の入口で寝てもいいと思うけど」
「冷てぇ!」
軽口を叩きながら城の入口まで着くと、既視感はもっと強くなった。小さな城ではあるけれど、堅牢な造りの建物だ。けれど、ここも床や壁があちこち抉れていた。中へ入ると、物々しい傷跡に反してスッキリするような空気を感じた。海底の閉じた空間のはずなのに新鮮な空気を吸っている気分だ。スナッチは深呼吸をすると落ち着いたのか、さっきより表情が和らいだ。
「不思議なぐらいに危険が無さそうだな」
「生き物の気配がまったくないからね」
そう言ってリリムを見ると、頷いてくれた。リリムからしても他の生き物の気配が無いようだ。
「海の底だからかな、風も無いよね」
あぁ、それで時間が止まっているように感じるのかも。人どころか物が動く気配すらない。水だけが流れ続けている。屋根も崩れていて日が差しているおかげで明るくはある。
「ここは……玉座か?」
「王様が座ってそうな椅子だな」
「なら近くに書庫もあるだろう」
ヤークの言葉に、左奥の扉を見る。その視線に気付いたスナッチが、見ていた扉を開けに行った。
「書庫だな」
記憶通りだ。溜息をつくと、スナッチが首を傾げた。
「知ってたのか?」
「認めたくないけど、そうみたい」
私がスラムでダウルに拾われたのは、話せる年齢になってからだ。スラムの子どもたちのまとめ役だったダウルは、名前の無い子には自分で名前をつけていた。私の名前は元々私自身がそう名乗っていたと言っていたはずだ。
この見渡す限りの水の都をはっきりと覚えているわけではない。水の流れる綺麗な噴水。建物、王様の座る椅子。書庫。スナッチと昔話をするときに「そういえばそうだったな」と思い出すかのように、視界に入れるたびに懐かしく思えてしまう。
「どうして認めたくないの?」
「お前の消えた記憶と出生がわかりそうってんなら喜んでいいんじゃね?」
ヤークとクラリスが興味津々に書庫へ入っていく。スナッチとリリムはどうせ文字が読めないということもあって、書庫には興味がないようだ。面白い物を見つけたら二人が呼んでくれるだろうと思い、私も書庫には入らず今いる部屋を眺めた。私も初めての感覚だから、どうにも説明がし難い。
「……全然覚えがないことを、思い出話にされてるみたいな……、それ私じゃないよって言いたくなる気持ちというか……」
スナッチもリリムも自分に当てはめて考えようとしてくれているのか、腕を組んだり顎に手を当てたりしながら目を瞑った。
「あー……んー……酔っぱらった爺さんにこないだ奢ってやっただろと言われたけど、それ俺じゃねーよ、みたいな感じか?」
「まあ、そんな感じかも」
「ほ、本当に?」
適当に相槌を打ったけれど、リリムはどちらも経験がないのかずっと首を傾げている。
「……スラム育ちのルートリアでいたいんだよ」
小さな声でそう言うと、スナッチに乱暴に頭を撫でられた。スラムで過ごすまでの頃の記憶を取り戻したところで、今までのことが無かったことになるわけではない。それはわかっている。わかっていても納得し難い。
それにもしここが本当に私の故郷だということなら、滅んだのは最近だということになる。確かに建物や書物が風化していない。でもここはおそらく、長く発見されてこなかった廃墟だ。ヤークが言っていた通り魔物か何かの侵攻で滅んだのなら、この規模の都市ならひとつも噂を聞かないのはおかしい。
「光魔法どころか闇魔法の書物だと!?」
「ヤーク、うるさいぞ! と、これは歴史書か。知らない年号だな、いつのだよこれ……」
書庫を探索している二人は大はしゃぎしていた。有益な情報があっても聞かせてもらえるまで時間がかかりそうだ。ゆっくり休めそうな場所でも探そうと部屋を見回す。書庫とは反対側に、たぶん寝室とかがある気がする。
「やっぱりここで寝泊まりするのか?」
「王様とかの寝室って気がするからちょっと気が引けるけど、ボロボロの街中よりここの方が良さそう」
「空気も綺麗な感じする」
リリムもそう感じるなら本当にそうなんだろう。一番端の扉を開けると、大きなベッドがあった。王様とか王女様とか一番偉い人の部屋のようだ。不思議なのは、それすら見たことがある気がすること。頭をよぎるのは、勇者の紋章は二国の王族にしか反応しないはずだった、こと。眉間に皺が寄りそうになるのを自分の指で押して伸ばす。
その隣にも部屋が並んでいるけれど、確かどれも子ども部屋だったはずだ。端から開けて、忘れていた記憶が正しいことを確認する。最後の一部屋を開けると、広めのベッドの横に赤子用の小さなベッドがあった。
「小さいベッド、可愛い……」
リリムは初めて見たらしく、興味深げに部屋を眺めはじめた。なぜか娼館にも置いてあったなあと思いつつ、ベッドに近寄る。枕元に手帳が落ちていた。
「日記かな」
書庫の物より、一番状況がつかみやすいかもしれない。心の中でごめんねと謝りつつ中を開く。乳母の物らしい。都市の状況や子どもの成長記録の部分は読みやすいけれど、知らない土地の名前ばかりが出てくるためにどれが何の話かわかりづらい。
「えっと、今世代の王子と王女の成長は、別に読まなくてもいいか……。いやでも世代?」
「その人、もしかして長命種じゃない?」
リリムの声に顔をあげると、リリムが立っているそばの棚に同じ手帳が何冊も並んでいた。背の部分に数字が書いてある。試しに何冊か読んでみると世代ごとに数冊分かれているようだった。ずっとここで王子やお姫様を育ててきたのかもしれない。目を通すのは最初の数冊と、今まさに持っている最新の物で十分だろう。
まずは本当にここに危険がないかを確認するために手元の手帳を再度開く。後ろからパラパラとめくっていると魔物の侵攻がひどくなってきたという文字が見えた。ここから読もうとしたところで、書庫のほうから自分たちを呼ぶ声が聞こえた。
「ルートリア、すまないが自分で確認してもらっていいか?」
ヤークが大きな声で呼んだために、全員が書庫に集まった。クラリスはなんだか難しい顔で額をトントンと叩いている。わざわざ「自分で」と言われたことに拒否感を持ちつつ、ヤークが指さした場所を見た。壁に石板が並んでいて、数字と名前が並んでいる。一番端の石板、その一番下に書いてある名前を読み上げる。
「……第一王女、ルートリア・フィア・フィルマール」
その名前の上には第一王子やら第五王子やらのたくさんの似た名前があった。いや、まだ偶然同じ名前という可能性もある、と思おうとしたところで石板の色が紋章と同じであることに気付く。自分の名前らしきところに触れるとやはり淡く光りはじめたのだった。




