51. 閑話 名前再び
聖都フォートレスを出ると、魔物はいっそう強くなった。以前は見かけた動物もあまり見かけなくなり、飛ぶ鳥も奇怪な声をあげている。
「地図では村があるはずなんだけどよ……」
「見当たらないね」
スナッチが地図を見ながら困ったように頭をガシガシと掻いている。あると信じて無理して進むよりはここらで野宿したほうがいいだろう。
「あの辺の鳥っぽい何かでも落とそうかな」
「あれ、食べられるのか?」
「捕まえてみないことにはわからないよ」
とりあえず落としてみればヤーク先生が見定めてくれるだろう。野宿が多い私たちは、携帯食や干し肉では足りず魔物をよく食べる。鉱石系だったり毒さえなければ魔物も動物も肉であることに変わりない。スラムで食べるゴミ捨て場のカビたパンより全然上等な食べ物だ。
小さく呪文を唱えて光の球を鳥にぶつける。鳴き声のおかしさから鳥ではなく鳥型の魔物だろうなあとは思ったけれど、落ちた姿を見ても妙な色をしていないから大丈夫だろう。剣を突き立ててとどめを刺し、ヤークの元に持っていく。ヤークは鳥型の魔物の死体を手に持った私を見て呆れた顔をした。
「せめて血抜きだけでもしてくれ……」
それもそうか、と辺りを見回す。少し離れた場所まで行けば、沢がありそうだ。そこまで行って近場の木で血を抜いて洗ってしまおう。鳥を片手に一人で移動しようとしたけれど、後ろをリリムがついてくる。呆れ笑いをしながら振り返ると、バツが悪そうに目を逸らした。その手はやっぱり首元に触れている。
「まだ慣れない?」
「う……」
フォートレスで首輪が外れてから、リリムはしょっちゅう自分の首元を触る。どうしても不安になるらしく、前以上に私を目で追うようになってしまった。本人も困っているようだから、注意もやりにくい。
「もう置いていかないのに。信用されてないなあ」
「そういうわけじゃないよ」
私が唇を尖らせると、リリムは眉を寄せて落ち込んだ顔をする。思っていた以上に旅の仲間に執着していたんだろうか。でもリリムが目で追ってしまう対象は私だ。スナッチが一瞬用を足しに行こうが、その目がスナッチを追いかけることはない。
リリムの問題は、夜に眠るときにも影響していた。以前はリリムの毛布に忍び込んで背中にしがみついていたけれど、気付いたらリリムに抱きしめられる形に変わっているのだ。見張り交代のときにリリムを起こさないようにするのが難しく、夜の見張りの順番を工夫することにした。本人は自覚無く動いているのか覚えていないらしい。
ついてきたならしょうがないと鳥を木に吊るす処理を手伝ってもらう。作業を任せるとリリムはちゃんとそっちを向く。首輪がないから手持ち無沙汰になっちゃったのかなあ。その証拠に、血が流れる様子をぼんやりと眺めていたら、リリムが眺める視線はこちらに向いた。手作業じゃなくて、考え事のほうならどうだろう?
「ちゃんと旅の目的考えてる?」
「あ、うん、でもなかなか思いつかなくて……」
「う〜ん、リリムは食べることが好きだよね。世界中の食べ物を探すとかしてみる?」
「別に食べることが好きってわけじゃないよ」
そうなのか、食事中はあんなに興味深げに食べ物を見ているのに。思考が見えたのか、頬を抓られた。痛い。
「じゃ、何が好き?」
鳥から目を離してリリムを見ると、目を逸らして考え込んだ。今度は私がリリムを見つめる番だった。一瞬なにか思いついたように顔をあげたと思ったら、苦い顔をしてまた下げた。その耳は少し赤い。
「何か思いついたのに、言うのをやめたね」
「細かく言わなくていいよ……」
「言いづらい?」
嫌なこと、嫌いなことなら言いづらいのはわかるけれど、好きなもので言いづらいなら何か恥ずかしいものかな。何かあげられるものなら、私がしてあげられることなら、なんだって叶えてあげたい。リリムは眉を寄せて、口元を隠して小さな声で呟いた。勇気を出してくれた言葉を聞き逃さないように耳を寄せる。
「み、みんな」
耳を疑ったけれど、聞き返すと意地悪になってしまうから口を閉じて飲み込んだ。なるほど、これは確かに言いづらい。口元を隠していた手は顔の半分を覆い隠し、今では耳だけでなく真っ赤になっていた。
「そっか、みんなかあ」
置いて行かないでほしいと願ったリリムの好きなもの。納得はするのだけれど、何か引っかかる。忘れているような、ずっと気にしているような。
あっ、名前だ。
そうだ、すっかり忘れていた。気にしていてもしょうがないとも、無意識かもしれないとも思っていたけれど、ここまできたら明らかに不自然だ。おそらくリリムの言う「みんな」には私も含まれているんだろう。嫌われていないことはなんとなくわかる。むしろこれで嫌われていたら何も信じられないくらいだ。
とはいえ、私が、私だけがリリムに一度も名前を呼ばれたことがない!
「ちなみにリリム、みんなって?」
「え?」
「スナッチとクラリスとヤーク?」
面倒な質問をしている自覚はある。リリムは私が「自分が含まれているか不安になっている」と勘違いしてくれたようだ。表情は柔らかくなっていて少し笑っている。
「もちろん、君も含まれてるよ」
優しい声音につい絆されそうになるけれど、やっぱり名前で呼ばれない。
「リリム、私の名前知ってるよね?」
「もちろん知ってる、けど」
答えてから、私が何を気にしているかが思い当たったらしい。言葉は尻すぼみになり笑顔は固まった。ヤークたちにぼやいたことはあるけれど、リリム本人に直接言ったことはないのにこの態度だ。やっぱりわざとだったらしい。
「本当に知っているのかな?」
「知ってるに決まってるでしょ」
「ほーう、じゃあ言ってみてよ」
明確に意地悪な感じでそう言って見せると、リリムはまた困った顔をして一歩後ろへ引いた。少し考え込んで口を開いて、また閉じた。頬も耳も赤らんでいたのに今は落ち着いてしまっている。首を二回横に振ると、まっすぐに私を見た。
「君は、魔王を倒すために旅をしているんだよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、呼べないよ。もし違っていても、万が一ということもあるし……」
今までは名前を呼ばない理由なんて恥ずかしいか呼びたくないかのどちらかしかないだろうと思っていたけれど、何か事情があるらしい。顔を覗き込んでいたけれど、姿勢を正して真正面からリリムに向き合う。眉尻は下がっていてどことなく悲しそうだ。
「名前を呼べない事情があったってこと?」
「旅を続けるのが困難になるかもしれないから、呼ばずにいたの」
思ったより大変そうな事情だ。エルフについてはリリムしか知らないけれど、なにか種族的なものだろうか。それなら無理強いしてしまって悪かったな。でもなんで私だけ?
「他の三人は大丈夫なの?」
「うん、名前を呼んでるけど実際に問題は起こってないしね」
「えぇ……」
私だけが特別なのだとしたら、もしかして勇者になるから?
紋章が光ることとエルフに何か影響が?
疑問が顔に出ていたのか、リリムは口元に手を当てて声を出さずに笑い始めた。その目はまた優しいものに戻っている。
「嫌いなわけでも、意地悪をしていたわけでもないよ」
「じゃあそう言っておいてくれたらこんなに悩まなかったのに……」
唇を尖らせてそう言うと、リリムが今度は声をあげて笑った。
「そんなに悩んでいたの?」
「そうだよ。私だけがいつまでもリリムに好かれていないんだと思って、クラリスに八つ当たりしたこともあるよ」
「そ、それは、クラリスにごめん」
クラリスに謝るのか……。それなら、私の名前を呼ばなかったのは、もしかすると私のためかも。旅を続けるのが困難になると言っていたけど、どう困難になるんだろう。どうにも言いづらい理由なのか、聞いても唸るだけだった。
「じゃあ、私が魔王を倒して旅が終わったら、名前で呼んでね」
「えっ」
私の名前を呼ぶことを目標にしてもらうのもいいかと思ったけれど、どうもそういうものでもない様子だ。どちらにしろ好きなものが私たちだというのなら、旅が終わった後の生きる楽しみにもできない。リリムが旅の終わりまでついてきてくれるだけじゃなくて、私たちのいない百年後も二百年後も生きていたいと思えるようなものがいい。
だから、名前で呼んでもらうことは目下の悩みに利用しよう。
「あまりにも気になるから、名前を呼んでくれるまで私はリリムから離れられないね」
そう言うと、リリムは私から目線を逸らした。そしてその目はうろうろと泳ぎ続けている。話を強引にやめて逃げ出すこともできるのにそうはしない。意図に気づいたけれど、約束してしまっていいものか真剣に考えて悩んでいるみたいだ。辛抱強く返事を待っていると、耳だけじゃなく首まで真っ赤にして涙目でこちらを見返してきた。
「か、覚悟しておきます……」
何を?
本当に気になるけれど、そろそろ血の抜けた鳥を洗わないと。効果があったのか、その日の夜はリリムが私を抱きしめる腕の力が少し弱くなっていた。




