4.ルートリア1
弱った。
なぜか怯えるエルフを前に、ベッドの上で呆然としている。
男二人は買い物にでかけていった。
リリムを押し付けようと自分の腕輪を外してスナッチに渡そうとしたものの爽やかに断られ、必要な薬草だけを聞きだしなぜかわからないけれど“楽しそうに”出て行った。二人を奴隷扱いしているつもりはないけど、信頼もしていなかったつもりだったのにヤツはそうでもないらしい。
昨日慌てて揃えた解毒薬は一人分しかなかったため、症状の軽い私は後回しにした。だから寝るだけなら一人でいいんだけど……。
看病をするでもなくただ私を見守る視線。
正直、警戒して寝ていられない。昨日私が寝ているうちに何を語り合ったのか旅の仲間のような態度に軟化したクラリスならともかく、目の前には幸の薄そうな美人エルフ。
こっちは毒の残った死にかけの身体なのに。
『クラリスは軟化したし、リリムは人を殺せそうもないし、大丈夫だろ』
何が大丈夫なんだろう。
昔から、あいつは本当にお人好しだと思う。喉がゼロゼロと鳴って気持ち悪い。緩慢な仕草で立ち上がるとビクリと震える身体。水を飲みに行きたいだけなんだけどな。宿屋を出るつもりはなく、裏の井戸まで歩く。私が出かけると思ったのか慌てて後ろをついてきた音がする。この距離なら喉が絞まることはないと思うけど……。水を汲み上げるのもしんどいなと思っていると、細い指が横から伸びてきてカラカラと紐が軽くなる。
「ありがとう」
手伝ってくれたリリムに礼を言って、水筒に移して2、3口飲む。とても美味しかった。思っていたより喉が渇いていたみたいだ。
視界の隅で赤い糸が可視化する。リリムが離れたのかと思ったけれど、意外と近い距離に居てびっくりした。首元から触れてほんの少し魔力を流せばこのリードは見えるらしい。自分より身長が高いからすぐ近くにいると見下されているみたいでちょっとだけ嫌だ。
「……少し、少しだけ」
エルフの喉ってどうなってるんだろう。小声なのに頭に響く。
「本当に、本当に少し手を貸しただけなのに、感謝するのね」
不思議なことを言う。
あぁ、そうか。
「薬を作ってくれたこと。お礼を言ってなかったね」
綺麗な顔が間近で歪むと結構怖い。
「ありがとう。できればこれからもお願いします……」
あっ、これも間違ったっぽい。少し可哀相な目が心に痛い。
てっきりそれだと思ったのに。なんて言葉が正解だったのか悩んでいると、リリムは長い睫を伏せた。綺麗な眼は隠れても綺麗に見える。凄いな。じっと眺めていたら短い溜息が聞こえた。
「昨日は、役に立てなくてごめんなさい」
その言葉に少し思い当たる部分があった。別に役に立たなかったとは思っていなかったけど、怖がっていたのはそのせいだったのか。だるい身体を鞭打って、手を伸ばして頭を撫でる。少し耳が赤く染まる。
「昨日のは私の準備不足と、バカの油断のせいだから」
毒をバカ正直に喰らったスナッチが一番悪いと思うんだけど……、でも攻撃を引き受けるのは彼の仕事だ。気にしていたのなら、悪かったな。
それにしてもその毒を喰らったバカな私の身体もなんだか冷たくなってきたような気がする。水は必要だったけど長居するのはよくなかったかもしれない。部屋に戻るとリリムもついてくる。凄く眠たいけれど、寝たくない。けれど、自分が寝るために彼女を部屋の外に出すのは自分の中の何かが許さなかった。
眠たい……。
心配する目が、やけに気に障る。
いっそ昨夜のように気を失えたら楽なのかもしれない。起きたときには20万が飛んでるかもしれないけど。
「……少し寝たら?」
誰のせいだと思ってるんだろう。いや、クラリスならまだしも本当に彼女は私を襲ったり襲うと疑われているという考えがないのかもしれない。そんな希望に縋るような考えはできればしたくなかった。
「他のエルフと会話はあった?」
「もちろんあったけど……」
無視されていたわけではないのか。会話が繋がらないのは、私だけのせいじゃないと思っていたのに。いや、エルフと人間の常識はきっと違うんだろう。もしかしたらエルフっていうのは全員底抜けのお人好しなのかも……。いや、ないな。だとすれば彼女の名前はリリムじゃなかっただろう。響きは可愛いと思うけど、スナッチ曰くおとぎ話の悪魔の子の名前だそうだ。エルフ自体がそういう種族ってわけじゃないなら、きっと彼女自身が良い人なのかも。
「寝たら、逃げそうだなって」
頭を使うのはやめた。正直にそう告げると、エルフ特有のとぼけた表情で首をかしげた。本当に考えていなかったのか。殺して首輪を外せば自由になれるのに。
「奴隷だって自覚ある?」
「あるけど……敬語をやめろって言ったのはそっちでしょう」
「確かに」
リリムはベッドに腰掛けて、上半身を起こしたままの私の胸を押した。毛布をかけられる。
「逃げる場所もないから、大丈夫」
売られるまでの時間は長くなかったと思うけど、もしかすると捕まるまでの時間のほうが辛かったりしたんだろうか。伏せた眼には諦めしかなく、それがなんだか悲しかった。その眼に自分が映っていないことがなんだか悔しかったので見返して薄く笑って見せた(たぶんうまくは笑えていない)。
「顔が綺麗だからどこにでも行けると思うけどなあ」
「やっぱりそういう趣味なの?」
真正面から褒められたことがないのか、耳を真っ赤にして目を潤ませた。……何の趣味?
「人間って変……」
「んん?」
何の話だ。
どうもリリムには私が頭のおかしい生き物に見えるらしい。納得がいかなくて口を尖らせたらリリムの口元が緩んだ。エルフ特有の綺麗な顔が綻んで、花のような笑顔が見えた。
「思っていたより、頭が悪いね」
本当に楽しそうに笑ってそんなことを言うものだから文句を言えなかった。遠のく意識の中、耳に心地良い歌が聞こえて、ここで死ねるならいっそ幸せなのかもしれないと思えた。
遠く、昔の記憶だ。
まだスラムで生活する前、スナッチにも会っていない頃。
私は自分を育ててくれた女性が大好きだった。両親の顔は覚えていない。もしかしたら、最初から居なかったのかもしれない。似たような歌を聞いていた気がする。
目が覚めると、奴隷が二匹、私を覗き込んでいた。
「起きたか」
間抜けな顔だぞ、と言われた。普段から間抜けな顔をしているスナッチには言われたくない。
「いつから……?」
「陽は沈んだな」
長い時間寝ていたようだ。ただ、確認したかったのは私が眠っていた時間ではなく二人が覗き込んでいた時間だったのだけれどこの男にはこの乙女心は伝わらなかったようだ。
「リリムが多めに薬を作ってくれたからケチらずに飲んでおけよ。旅の間の予備も作ってくれたからな」
有り難い。渡されたものを飲むと身体が軽くなる。さっきまで重たかったのが嘘のようだ。今更だけど身体が腐るタイプの毒じゃなくて良かった。
「生きていたから良い勉強になったな」
「慎重なぐらいが丁度いいってことか~」
「おいおいやる気をなくすな」
面倒だなあ。仲間、奴隷、荷物、どんどんと荷重になっていく。まだ始まったばかりだというのに、旅が終わるころには一体どれほどの重責がこの身体に乗ってくるのだろうか。明日にはまた街を出る。本物の勇者にはまだ追いつけそうにない。