14.魔法の力3
ヤーク先生はここまで一人旅してきただけあってそれはもう優秀だった。魔法の知識はもちろんのこと、野営の知識もあるし怪我の手当てもできる、なにより料理ができる。おかげでリリムが小鳥のようにヤークの後ろをついて歩く姿がよく見えるようになった。リリムがめきめきと料理の腕をあげているのを魔法の練習をしながら眺めることが増えた。
ヤーク先生曰く、才能がないやつは鍛えても無駄とのことで魔法は教わらずひたすら筋肉を鍛えるスナッチとたまに手合わせしながら旅は進む。
「マリンベル勇者一行は俺たちより先に出たけど今はどこだろうな」
「次の街に着けばわかるよ」
「まあお前の言うとおり今気にしたってしょうがないんだがな」
スナッチもどうやらすっかり胃袋を掴まされたらしい。まだ数日しか経っていないけれどヤークは本当に人相が悪いことと憎まれ口が多いこと以外に欠点がない。強いて言うなら優等生が過ぎるところか。そこはやはり元々学生だったことからしょうがないと思える。
「どう足掻いても回復魔法が使えないとわかったときのリリムの顔は見物だったけどな」
「可哀相だよスナッチ」
まあ確かに、可愛かったけど。
エルフにいじめられていた割にはエルフであることにこだわるリリムはなぜか出会った頃から回復魔法に固執していた。風魔法は使えるのに親和性が高いといわれる回復魔法が使えず、なぜか魔法に疎いはずのドワーフであるクラリスは安定して使える。度々クラリスにコツを聞こうとしては僕にもわからないとはぐらかされていた。そこでヤーク先生が同行したことでもちろん真っ先に聞きにいった際にはっきりと無理だと言われたのだった。
「えーっと、魔法を授けてくれる相手が違う、んだったっけか」
うろ覚えで首を傾げるスナッチ。
ヤークは魔法は精霊が力を貸してくれるものだと言っていた。回復魔法だけは違う。
回復魔法は神から授けられる物、だそうだ。
精霊に手を貸してほしいとお願いする各元素魔法と違い、神に祈り続けた信仰心の強い者がより強力な回復魔法を扱えるとのこと。クラリスの出自が本格的に気になるところではあるけれどそれはさておき。どちらかといえばリリムは神を嫌ってきたというより居ないと信じてきたタイプのようだ。
― 回復魔法かあ……君は神様を信じているのか?
― いえ、どちらかといえば嫌い……というより居なければいいと思っていますが
― ……じゃあ無理だな
理由を聞いてしばらくは葛藤したようだけれど、自分の信条を捨ててエルフに伝わるらしい毎日の祈りの儀式的なものまでしていた。数日の付け焼刃ではもちろんのこと100年近く憎んできた神様を今更形だけ信仰してみたところでそんなものが受け入れられるのだろうか。
「お前は意外と使えたんだよな」
「そう、教わってみたら意外と。表面の傷が塞がる応急処置程度には」
信仰心なんてモノはないような気がする。でも運がいいなあと思った日にはなにかしらに感謝したりする。その辺だろうか。この神様というのも随分適当な括りだ。ドワーフにはドワーフの信仰する神様が居てエルフにはエルフの信じる神様がいる。人間というのも宗教というものが様々あり、エルフと同じ神を信仰する狩人もいればドワーフと同じ生活を送ろうとする職人もいるし、よくわからない人を信仰する宗教に染められた街も確かあったはず。万物に感謝するタイプは魔法に向いているのだろうけれど、そのなにかしらの中にどの精霊にも属さないようななにかがあったならそれが神様の扱いになるのだろうか。うーん、難しい。頭が痛くなってきた。
ちなみにヤーク先生も回復魔法に関しては私と同じレベルだ。むしろ私よりひどい気がする。
「ありがとうの積み重ねだろ?」
「あー」
人と接してこなかったリリムだから恐らく誰かに感謝することもされることもなかったのだろう。他人に対する諦めが強すぎるから私たちと話すときに多いに困惑する。彼女の“普通”はおそらくエルフにとっても普通ではなかったのだろうと思う。
「前より困惑は減ってよく言うようになったんじゃないか?」
「その向かう先って基本的に私たちだよね」
「そうだな。……そうか、俺たちに感謝しても意味がないよな」
リリムが私たちの流儀に慣れてきてたまに言うようになった『ありがとう』の向かう先は、基本的には私たちの気遣いに対してだ。身体への感謝ならば土の精霊にでもなるのだろうか。では、心に対する感謝は一体どこに向かうんだろう。やっぱり神様?
それならそれで何の神様だろうと堂々巡りに陥りかけたところで頭がガシリと掴まれた。見上げるとさっきからリリムと料理していたヤーク先生が呆れたように私を見下ろしていた。
「だから回復魔法は嫌いなんだ。曖昧でふわふわした定義しかない。考えても答えが出ない」
「僕にとっては精霊信仰のほうがよくわからないけどな。魔法だって信仰みたいなもんだろう」
クラリスがケチをつける。こうなると燃え上がるのがヤーク先生だ。覚えたしもう慣れた。
「なんだとー!? 魔法は研究者が地道に精霊と会話を積み重ねた成果だ!」
「会話じゃなくて命令な」
「違う! お願いと感謝だ!」
「感謝ってやっぱ信仰じゃねえか」
「ちがーう!」
楽しそうにからかうクラリス。そう、リリムとクラリスが本当に良く懐いている。これが少し複雑な気持ちになる原因なのだと思う。年単位ではないとはいえ私自身はかなり頑張って時間をかけてリリムとクラリスと打ち解けたと思うのにヤークはいともあっさりと二人を懐柔したように見えてしまう。ヤークの言うように才能の世界だと考えるならこれはきっと才能の差だ。……いや、でも努力も足りなかったのかなあ。
「どうしたの」
思考の海で溺れていると、静かに呼ぶ声が耳をくすぐってきて肌が粟立った。これも気になるところだ。
「ん、ご飯何かなあって」
「今日はスープ。だけど小麦粉で作ったモチモチした物が入っているからよく噛んで食べてね」
「それが今日教わった何か?」
「そう、少し丸めて煮るとあんなに美味しくなるのね。お腹にも溜まりそうだからみんな満足するんじゃないかな」
小さく小さく、よく笑うようになった。良いことだと思えるから私のこの才能への小さな嫉妬には目を瞑ったほうがいいんだろう。誰に何を言ってどうにかなるものではない。もしも次があるなら生かせばいいだけだ。……次、というよりヤークに。しかし彼女、魔法がとても好きということ以外は好みがあまりわからない。男性が好きということもないようで、どちらかというと魔法に全く興味がないスナッチには興味を示さず自分のあまり扱えない回復魔法を扱うクラリスに興味を持っている。それもただひたすらに魔法への情熱によるものだ。
「もうできあがるから」
鍋を囲んでギャンギャンと騒いでいるヤークとクラリス。それを宥めているような油を注いでいるようなスナッチ。リリムは、その輪に入れという。
「リリムはたまに厳しい」
「えぇ? 何の話?」
重い腰をあげてみんなのほうへ。鍋の傍に座ると、隣に座ったリリムがお椀にスープをよそってくれた。受け取って固いパンと一緒に食べると優しい味がした。薬の調合のようなもので教わりさえすればリリムは味付けを間違わなくなった。
「美味しい」
「そう」
つい漏れた私の声に言葉少なく顔を綻ばせて耳を赤くする。長いまつげが伏せられて美人が際立つ。これも才能だなあ。私の持つ才能ってなんだろう。自分のできることを頭に思い浮かべて少し落ち込む。紋章が光るとか普通の女の子よりは身体が丈夫とかその程度だ。
「リリムは偉いね」
空いている手のひらで頭を撫でる。例えば力仕事だとか回復魔法だとかできないものはできないとハッキリしている。そしてできることのほとんどは知識があればできるしその才能は飛びぬけていると思う。エルフは人間より優れているというけれど、だからこそだろうか。スリの技術は一番あると思うんだけど、もしかしてリリムに教えたら優秀だったりするんだろうか。いや、そんなリリムはあまり見たくないかも。
スープの中に確かにモチモチとした何かがある。美味しい。きちんと噛んで味わっているとヤークの視線を感じた。
「君達は武者修行だと言っていたけれど、随分切羽詰った旅をしていたんだな?」
勇者の後を追っている理由をそう告げている。嘘ではない。ただいずれは敵対するだけだ。私のあの失敗はまだ敵対とは言えない。どうせ向こうも言葉以外は忘れるだろう。言葉も忘れていたならまた歯向かうだけだけれど。
「武者修行ってそういうものでしょ?」
「魔法の魔の字も無かった癖に……」
「俺の筋肉の話か?」
「違うな」
「違うと思う」
総突っ込みを喰らうスナッチはスルーしておこう。
「勇者と同じ道を辿れば勇者より強くなれると思ったし、確実に力をつけるために急ぎすぎはしないけれどあまり置いていかれるのも困る」
「それでこの面子か……。スラム街の少年少女が舐められない強さを夢見て武者修行ね」
嘘ではない嘘では。好きにしてくれと首を竦めるクラリス。バレないよう黙々とパンとスープを食べるリリム。
「君達の旅が生活としてあまりにも酷すぎて理由を聞くのが随分遅くなってしまったな」
「面目ない……」
「ただ私の目的は勇者に追いつくことなんだが?」
「まあ着かず離れずで追いかけているから相手も時間を取られることもあるだろうしいずれは会えるよ」
実際は会わなくても済むようかなりゆっくりめに進んでいる。というのは私たちがまだ強くないという理由もある。
「とりあえず次の町では積極的に魔物の情報を仕入れないとね」
「もうこの辺りの野生の魔物は敵じゃないぜ!」
「調子に乗ってると僕の魔法とリリムの回復薬に頼るハメになるぞ」
調子に乗ったのはスナッチだけど、私もそれは嫌だな。治るといっても怪我した瞬間は痛いし、前みたいに毒で苦しむのも嫌だ。それになぜかクラリスもリリムも回復を願ってくれるときに悲しい顔をする。私はそれを見るのがとても苦手だった。そうならないように強くならないと。目の前のスープを一度おかわりしてからみんなが寝静まった後、見張りのついでに剣を振った。