お初にお目にかかります (次男)
「いい加減起きてよ!この寝坊助っ」
「うぐっ!」
腹にゲロ寸前の重い一撃。俺の朝は大概こんな感じで起こされる。
赤らんだ腹部を擦りながら壁伝いにヨロヨロと階段を下りてダイニングキッチンに行けば、先程強烈なエルボーを喰らわせてくれた弟と、同じ大学に通う赤の他人がいた。しかも奴は当たり前のように、今日もうちの飯を食っている。
……あれまさか俺の飯じゃねぇだろうな?違うよな?そうなら泣くよ?
「オイコラ、リョウ。お前、もうちょっと優しく起こせよ……!」
「だってもう僕、学校行く時間なんだって。それに生徒会の仕事で今日も帰るの遅くなるかもしれなくて……だから夕ご飯……」
「あ~ハイハイ、分かったから。俺が作っとくから。早く行かないと遅刻すんぞ」
「誰が起きなかった所為だよ、馬鹿っ。ムカイ君、行ってきます」
「いってらっしゃい」
「オイコラ!俺には挨拶なしか?!車に気をつけろよ!」
時計を見れば七時半。結構ギリギリの時間だ。あいつ間に合うかな?自転車ぶっ通しで漕がなきゃ無理じゃね?
「なぁ、ムカイ。お前のバイクでリョウ送ってやってくんねぇ?」
「そうしてやりたいのは山々だけど、俺のバイクをパンクさせた奴が何を言う」
プチトマトをフォークでグザッと刺しながらギロリと睨み上げてくる奴の後ろには夜叉が見える。いや、鬼?阿修羅?とにかくそんな感じの威圧感あるオーラ。
こいつのリョウに対する猫可愛がり、半端ないからなぁ。
「兄貴は?もう仕事行ったのか?」
「ああ。今から十五分くらい前にな」
「にしても七時半か。……俺、今日二限からだし、もう一眠り――――」
してくるわ。そう続けようとしたら……。
グワシッ
頭の上に何かが乗せられると同時に思い切り痛みがはしる。
何、これ?!マジ……何、ちょ、痛っ!痛い、いた、いたたてててででででで!
「いでぇ!痛い痛い痛い!痛ぇから!」
「何度リョウがお前を起こしたと思ってるんだ?あぁ?!今日提出のレポート、まだ仕上がってないって言ってたお前を心配してだろうが!」
「うおっ!そういえばそんなのあった……!」
「そういえば、じゃない!」
俺の頭を掴む奴の手に益々力が篭る。割れるっ、マジで割れる!何かギシギシ言ってっし!
つーか俺、レポートのこと、こいつにも兄貴にも、ましてやリョウにも言った覚えないんですけど~!
「昨日酔っ払って愚痴ったの、忘れたか?お前が教授に叱られようが単位落とそうが留年しようが知ったこっちゃないけどな、リョウの頼みでお前の面倒見るって約束しちまったんだよ!つーか、お前!酔っ払ってるのを良いことに、俺のリョウにしがみついて離れなかったのも覚えてねぇだろ?えぇ?!」
確かに覚えてねぇよ。つーか、同じ大学の同い年、同じ回生の幼馴染に留年しても構わないって酷くねぇ?!
いや、それよりも。それよりも……!
「リョウはお前のじゃねぇよ!あといい加減痛ぇから離せ~~~~っ!」
ムカイのスパルタの元、どうにか時間までにレポート終わらせ――去年この講義受けてたあいつの資料を六割方パクらせてもらった――提出して、後は六限を受けるのみ。
「テッペイ君。良かったら今日飲みに行かなぁい?あっちに友達三人いるんだけどぉ~、五人いないと割引にならない所でさぁ」
席に着いた途端、どこかで見たことあるようなないような女の子が隣りを陣取ってきた。間延びした喋り方ってぶっちゃけ苦手だけど、毛先クルクルの茶髪とか、プルプルの唇とか、ムチっとした体型なんかは結構タイプ。
あっちにいる友達ってのを見ると、別の講義でも同じの受けてる野郎一人と初めてみる女子が二人。こっちに気付いて手を振ってくる。おお、あっちもなかなか可愛いぞ。
「おー。いいよ、行く行――――」
「ごめんな~。こいつ、これ終わった後真っ直ぐ帰んなきゃいけないんだよ」
大丈夫だと親指立てるジェスチャーをしようとした瞬間、思い切りその手を捻じられた。
ちょ、痛い、痛い、痛い!朝にもこんなんあった!マジやめて!
つーか、俺に対する扱い酷い!何で?!
「お前がリョウとの約束破ろうとするからだろ」
「俺の心読まないで!」
「顔に出てるだけだっての」
「あ~……ええっと、用があるみたいだから、また今度誘うね」
そう言ってムチムチ女子はそそくさと去ってしまった。ああ、折角の女子が……。
その直後に講義が始まって、この講義を取ってないはずのムカイも素知らぬ顔して俺の隣りで准教授の話を謹聴している。……こいつ、俺が寄り道しないように連れて帰る気だな。
リョウに対する溺愛ぶりに堪らず溜息を吐けば「昨日も合コンだったんだろ?」と思い切り顔を顰めて訊ねられる。
そうだよ。でも俺が行ったときには狙ってた女子は帰ってやがったよ。残ってたのは既に別のと楽しそうにしてたよ。俺が入る隙間なんてなさそうだったんだよ。
でもこいつが俺の合コン行きに良い顔をしないのは、今回みたいにリョウからのお願いがあるからってだけじゃなくて、もっと他に理由があるからだ。
その理由ってのは、俺だけじゃなく、兄貴にもリョウにも、本当にイイ迷惑なもので――――
「………っ」
脳味噌を撹拌されてるような強い眩暈。気持ち悪ささえないものの、上半身を起こしたままでいるのが辛くて思わず突っ伏す。
「オイ、テッペイ。まさかアレか?」
小声で訊ねてくるムカイの言葉に返答する余裕なんてない。
そうだよ、アレだよ。つーか、お前、声のトーンが少し上がってるって気付いてるか?期待してんの丸分かりだぞ、馬鹿野郎。
あ~でもリョウだったら、晩飯の支度しなくて済むなぁ……。
*
――――なんて呑気なことを思ってた自分を殴りたい。
「ヒロキ……じゃないんだよな?」
女なんてイチコロにしちまいそうな低い、腰にクるテノール。そして開いた目に飛び込んできた、ちょっと汚れた革靴と灰色のスラックスの裾。それだけで頭の中で警鐘音が鳴り響く。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ……!
けれどもこのまま俯いているわけにもいかず、恐る恐る顔を上げれば、眼前には精悍な男前の顔。一見すれば歯磨きとかミネラル水のCMにでも出てそうな爽やかな印象だけど、俺はこいつがどんな奴か、不本意ながらも嫌というほど骨身に染みて存じている。
「もしかしてリョウ君……かな?」
「あ……」
こいつは俺をリョウと間違えている。
それに便乗して頷こうとした瞬間、目の前の、兄貴の同僚である男前はニヤリと、それはそれは不穏な予感しか与えない厭らしい笑みを与えてくだすった。
兄貴もリョウもミキさんも、こいつのことをマイペースだなんて言ってたがそれは違う。そんな甘ったるい表現で済むもんか。
こいつは自己中な暴君で、ムカイなんて足元にも及ばないドSだ。
……俺限定で。
これは呪いなのか。人によっては絆なんて馬鹿げたこと言う奴もいるかもしれない。
俺、兄貴、リョウ。俺達三人には時と場所を選ばず、人格が入れ替わる……なんて、普通じゃ有り得ねぇ現象が起こっている。