お初にお目にかかります (長男)
うつ伏せになって精一杯腕を伸ばし、頭上でけたたましく鳴り響く目覚まし時計に一撃食らわせるところから、僕の一日が始まる。
のそのそとベッドから起き上がってクローゼットからワイシャツとスラックスを取り出し、それらに着替えて部屋を出れば、鼻腔を擽る香ばしいパンの焼けた香り。
表面に塗るジャムはアーモンドかブルーベリーか……そういえばマーマレードもあったかもしれない。朝は和食より洋食派の身としては、こんな些細なことでも少なからず胸が弾んでしまう。
勿論和食も嫌いじゃないけど、ご飯に添えられる一品というのが、僕の中じゃ煮魚だったり肉じゃがだったり豚カツだったり……大雑把に纏めれば腹に重く溜まる概念が強いだけに、何となく夜に食べるイメージで固まっちゃってるんだよね。
僕の代わりに家事をしてくれる弟達の手を煩わせたくないから、敢えて口にしないけど。
「おはよう」
「おはよう、兄貴」
ダイニングキッチンに顔を出すと、ブレザーの学生服にエプロンを付けた三男、リョウが弁当を作っていた。
兄弟の中で一番幼いリョウは、今年高校生になったばかりの十六歳。僕とは十歳離れている。中肉中背の体格でまだまだ成長期ではあるんだけど……普段着姿だと中学生にしか見えない。最近では極稀になったけど小学生に間違われることだってしばしば。所謂童顔だ。
でもそれを言えば悲しいことに、僕や次男のテッペイも強ち論外じゃない。大学生のテッペイならまだしも、僕なんて成人を迎えて六年も経つのに、未だに酒類に手を伸ばせば年齢確認を求められてしまう。
それが嫌であまり一人で飲みに行くことはないんだけど……実は一年くらい前から月に二、三回のペースで通ってる店がある。
その店については……また別の機会に語るとしよう。
リョウが作ってくれたミニサラダにスクランブルエッグ、それとトーストにチェリージャムを塗ったものを腹に収めた僕は、身支度を済ませ仏壇に手を合わせた後、隣りの家の車庫へと急ぐ。
「遅いわよ、ヒロキ君」
「すみません。靴を履く直前に弁当忘れてること思い出して……ちゃんとミキさんのも作って貰いましたから」
「よろしい。じゃあ行くわよ、掴まってて」
思い切りアクセルを踏んで発車した“てんとう虫”は住宅街を駆け抜けて広い国道に出ると、更にスピードを上げて猛進。今でこそ体に順応した速度だけど、初めてこの助手席に乗ったときは何度舌を噛みそうになったことか。
現にテッペイやリョウは、未だミキさんの運転する車に乗るときはアシストグリップから手を離せずにいる。酔ってゲーゲー吐かなくなっただけでもマシになったと思う。
「おはよ~」
「おはようございまーす」
「所長、ヒロキ君。おはようございます」
既に出社してた社員の皆に挨拶を返して、早速作業に取り掛かる。
机の上に山積みにされた書類の山は、もはや見慣れたもの。入社当初こそ見る度にゲンナリしたけど、今じゃもう当たり前。一枚一枚に記された文章を分かりやすく要約してパソコンに打ち込み、データに残す。
「ヒロキ君、朝霧荘事件のファイル、どの棚だっけ?」
「第五資料室、入って左側三つ目の棚の下から二番目、そこの真ん中辺りです」
「これ十部ずつコピーよろしく」
「はい。できたら机に置いときますね」
「ヒロキ君、お茶頂戴~」
「は~い」
プルルルルルル……
「はい。妹尾探偵事務所でございます」
資料作成、ファイリング、コピー、お茶汲み、電話対応、その他諸々の雑用……十年以上やってたらさすがに板がつく。
ミキさんが所長を務めるこの探偵事務所。僕はここで働いている。主に内勤で、どうしても人手が足りないときにだけ、たまに助手という形で外にも出る。……まぁここ半年でそれも滅多になくなったけど。
夕方五時、砂糖とお茶請けが切れてしまい近くのスーパーに買い出しに行けば、そこで見慣れた後姿を発見した。
「お~い、またサボりか?」
「いや~……どうしてもツナマヨ食いたくなってな」
ちっとも悪びれた様子も見せないこの男も、うちの社員だ。何を食べたらこんなに育つんだっていう高身長に広い肩幅。一見白い歯がよく似合う爽やか好青年だけど、中身は単なるマイペース男。
思い立ったが吉日とばかりに、こうして勤務中に抜け出すこともしばしば。当然ミキさんは怒り、その皺寄せが僕に来る。
「お前いい加減にしろよ」
「いいじゃん、いいじゃん。息抜き、息抜き」
「抜き過ぎだっての」
モグモグとおにぎりを頬張る男にただ口先だけの注意をするのみで、結局はそれを甘受している僕もある意味同罪だろうか。
用を済ませて二人で事務所を構えているビルの入り口を潜ったそのとき、視界がぼやけて頭が傾いた。
頭痛や吐き気こそ起きないものの、支えなしでは到底立つことのできない強い眩暈。咄嗟に横に並んでいたタツヤの腕を掴む。
「おい、ヒロキ!」
ああ、くそっ。またか。僕が倒れても、ここにはミキさんやタツヤ、事情を知ってる社員の皆がいるから大丈夫として。
……せめて今回の盗聴器事件の資料だけでも纏めておきたかったなぁ。
*
重くなって閉じてしまった瞼を再び開いたとき、景色は変わっていた。
夕日が差し込んでオレンジ色に染まった廊下。窓越しに聞こえてくる活気に溢れた掛け声。前方には第一視聴覚室と記された教室。更にその奥は第二視聴覚室。
冷たい床に落としていた腰を上げようとして、ふと両腕に何かを抱き締めていたことに気付く。ズシリと重いそれを見れば紙の束で、ホチキスで留められた一番上の表紙には“親衛隊の対応について”の文字。
「あー……」
どうやら眩暈を覚えて咄嗟にしゃがむと同時に、撒き散らさないように抱え込んだらしい。紙は少しだけ皺が寄ってしまっていた。
「リョウ!」
中腰という恰好で固まっているこちらの様子を訝しんだ、この姿の知り合いらしき生徒が、慌てた様子で走ってきた。よく見れば末っ子の親友、カナタ君だ。
「コラ。廊下を走っちゃ駄目だろ」
「いやいや、お前何変な体勢で――――」
そこまで言いかけて彼がハッと息を呑む。どうやら気付いてくれたらしい。
「え~と……今回はヒロキさん?」
「うん。迷惑掛けるね」
僕達兄弟には秘密がある。一部の知人しか知り得ないトップシークレット。
理由なんて分からないけど、僕達兄弟は突拍子もなく、同じタイミングで中身が入れ替わるのだ。
初めましての方も、作者の別作品を見て下さってる方(……いらっしゃるか不安ですが)も、こんにちは。地球儀です。
盛夏妖艶がまだ途中だというのに始めちゃいました、新連載。本当はちゃんと完結してからこちらの話に取り組もうかと思ってたんですが……意思が弱くてすみません。どうしても行き詰まってこっちに取りかかったら、思いの外指が進みました。
しかもこの作品、頭の中である程度は構想してるんですが、ぶっちゃけ見切り発車です(汗)重ね重ねすみません。
盛夏妖艶以上に作者の気まぐれ更新になってしまいますが、もしよろしければ更新した際、続きを読んで下されば嬉しいです。




