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この日の夜明け

「外に……って、屋敷の外!?」

「うん、そう」

「ど、どのくらい!? 少し歩いてってどのくらい少し!?」

 思いもよらない千歳の言葉に、頭が混乱して言葉がおかしい。

 けれど混乱しきった私とは対照的に千歳は冷静。

「んーとりあえず冬の朝じゃ寒いし、庭をちょっと歩いてくるくらいだな。回廊歩くくらいしかしないから俺ちゃんとした防寒具持ってないし。冬の空は星が綺麗だよなー。空気が澄んでてさ。あ、でもあれから七十年も経ってたら昔ほど星は見えないかな」

 楽しげに千歳はひとりごちる。

「明日は晴れだって言ってたから、朝焼けは多分見れないよな。あ、結恵知ってるか? 朝焼けだとその日は雨になるっての。昔はそう言われててな~あとは不吉だとかも……」

 私を見た、千歳の言葉が途切れた。

「……どうした? おもしろい顔になってる」

「その暴言はさておくとして……それってうるさい大人に知られたらえらい騒ぎになるんじゃないの?」

 たとえば鷹槻のお父さんだとか三ノ峰戸主だとか。いかにも頭が堅そうで、綾峰の歪みにはまってそれを正しいものとして生きる人達が知ったら。

 そんな私の心配を打ち払うように、千歳は太陽みたいに明るい笑顔で言った。

「だから誰にも言わずに。いつも鷹槻が来る隠し通路、あれ使えば直接外に出れるし」

 それでも不安が顔から消えない私に、千歳は事もなげに聞いてきた。

「結恵も来るか?」

「え?」

「朝日を拝みに」

 そしてにっこりと笑う。

「朝日を見るのは百……何十年振りだっけか。楽しみだなー」

「本当に行くの? 寒いし見つかったら絶対面倒なことになるし……」

「うん。だからこうして結恵も巻き込んで、共犯者になってもらおうと思って」

 しれっと笑顔でそんなことを言ってのける。

 巻き込んで共犯者……。

 いい様に使うと本人を前に明言するかと思いながらも、それも悪くないと思っている自分がいる。前の私だったら殴って暴言吐いてそれでおしまいだっただろうに、千歳に対してはそれが出来ない。

 本気でただ人を利用しようとしてんじゃないとわかっているというのもあるけど、多分それだけじゃない。

「……コート、私のでよかったら貸すけど。少し大きめのがあるから」

「お。一緒に行くか」

 そんな嬉しそうな顔をされるともう何も言えない。

「桂子達にも秘密だぞ? 誰にも見つからないようにな。今から俺と結恵は共犯者なんだからな」

 共犯者だなんて、少し物騒な響きすら嬉しいと思ってる私は重傷だ。

「……じゃあコート取ってくる」

「おう。頼む。くれぐれも人に見つかるなよー」

「はいはい」

 けど千歳はすごく楽しそうで、それだけで私まで楽しくなってくる。

 笑いたくなってくる。

 ううん、考える前に笑ってる――。



「こっちの回廊使うのは久々だなー」

 私のロングダウンコートを着た千歳は、遠足に向かう子供のような笑顔で回廊の先を歩く。

 私には少し大きめサイズだったおかげで、細身の千歳には難なく着ることが出来た。よかったと言えばよかったのだが、ダイエットしたほうがいいのかと考えたり乙女心は複雑だけど。

「いつもは結恵がいつも使ってくるほう……屋敷内に直結した回廊をうろうろしてるんだよな」

「そんなに頻繁に出歩いてたの?」

 外から流れてくる冷気から逃れるように、今年買ったばかりのコートに顔をうずめて尋ねる。

 千歳は私の前を歩いたまま楽しげに答えた。

「だってずっと部屋にひきこもってたら健康によくないだろー? たまには歩かなきゃな。変わり映えはしない回廊でも、季節によって空気が違うなーとか考えながら歩くのも俺の趣味」

「へぇ」

 こういうところ、やっぱり千歳は少しばかりお年寄り臭い。

「初めて結恵と会った日もそうだったんだよ。鷹槻が来るって言ってた時間までヒマだったから、じゃあ歩いてきて時間つぶすかーって」

「ああ、それであんな所にいたんだ」

「そう、それで結恵に会って、見かけない奴だし使用人でもなさそうだったから声かけたらぶん投げられた」

「……スミマセン」

 そう言えば投げた。無我夢中で投げ飛ばしたんだった。こう、心霊現象の類だと思って。

 ……思い出すだけで顔から火が出そうだ。

「ははっ。あれはだいぶ痛かった」

「ご、ごめんって」

 申し訳ないのと恥ずかしいのとで声がどんどん小さくなっていく。

「本っ当にスミマセンでしたー。て言うか、千歳は予知とかできちゃうんだからそれくらい防いでくれればいいのに」

 そう口にしてから気付いた。

「そう言えば千歳、あの時私に会うって知らなかったよね? 最初私のことわからなかったし」

「うん、わからなかった」

 千歳は顔だけ振り返ってにっこり笑った。

「何で? 千歳って未来のことが分かるんだよね。それくらい分かりそうなものなのに」

「んー前に少し話したけど、俺は予知をある程度コントロールできるんだよな。視たい時に視て、知りたいことを知るって。だから普段は可能な限り予知はしないようにしてる」

「え、何で?」

 純粋な疑問に目が丸くなる。

 すると千歳は苦笑した。

「予知って便利っぽいけどさ、けっこう怖いんだぞ? 俺と常磐が最初に見た未来は、生まれ育った村が火に巻かれて人が焼け死ぬ場面。今も目に焼き付いてる」

 静かに話しながら、千歳はまた前を向いて歩き始めた。

「そんな光景をいくつも視ているうちに、俺は怖くなった。ふとした拍子に近い将来現実になる出来事が俺の意志とは無関係にわかってしまうんだ」

 それは……とても怖いことなのかもしれない。

 嬉しいことだけじゃない。

 近い将来起こる避け得ない悲しい出来事、恐ろしい出来事がわかってしまうということは。

 知ることで回避できるのならそれも良かったと思えるかもしれない。けど、それがどう足掻いても変わらない未来だったら……。

「だから自然と視ないように視ないようにってしていって、気付いたら自分の意志で先を知ること知らないことができるようになった。それが逆に常磐を増長させた。綾峰の未来は俺たちの機嫌次第ってね」

 千歳は軽く息を吐いた。

 そしてほんの少し、後悔を滲ませる声音で言った。

「まぁ俺も似たようなモンだけど。俺達の機嫌を損ねられないのを知ってて随分ワガママ通してきたよ」

「おじいちゃんのこととか?」

 間髪入れずに口にした言葉に、千歳はもう一度振り返った。少しだけ目を丸くして。

「おじいちゃんがこの家を出れたのは千歳のおかげでしょう?」

「んーまぁ、少し、は?」

 居心地悪そうに千歳は目を逸らし、また前を向いて少し早足で歩き始めた。

 私も離されないように歩調を速めてついて行った。

「ありがとう。おじいちゃんを助けてくれて」

「助けてって言うか」

「おじいちゃんとおばあちゃん、すごく仲が良かったんだって。おばあちゃんは私が生まれる前に亡くなってたから話に聞いただけなんだけど。でもすごく仲良かったってお父さんたちから聞いてる。そのおばあちゃんとおじいちゃんが一緒になれたのは千歳のおかげだから。だからおじいちゃん達の分までありがとう」

「……あいつが幸せに過ごせたのなら……良かった」

 微かに笑う気配がして、そして千歳は黙った。

 静かな回廊に二人分の足音。

 冷たく切るような冬の空気が頬を撫ぜる。

 外が近いんだ。

 腕時計を見てみると、日の出時刻が近い。この調子なら夜明けを見れるだろう。

「結恵は」

 前を向いたまま、唐突に千歳が口を開いた。

「結恵はいいのか?」

「何が?」

「義将はこの家を出たがっていた。今さらだけど、結恵もこの家に留まること、後悔してないのかと思って」

 前を歩く千歳がどんな顔をしてそう言っているのかはわからない。

 でも明るい顔で、楽しい気分で聞いてきたんじゃないってことだけはわかる。

「……私はおじいちゃんの血の繋がった孫だけど、おじいちゃんとは別の人間だよ」

「うん」

「だからおじいちゃんがこの家を出たいって思ってたんだったとしても、私もそう思うとは限らない」

「うん」

「実際私は今もまだ、この家を出てやる気なんてさらさらないし。当たりかどうか選べって言われた時から変わらない。あのまま中途半端に退いたら、今私は絶対にものすごく後悔してた」

「……そっか」

柔らかな声が相槌を打つ。

「そうだよ。それにね、おじいちゃんに言われた。自分で決めたことなら貫き通せって。私の座右の銘なの。だから、貫き通す」

 力を込めてそう言うと、千歳は少しだけ振り返って微笑んだ。

「そっか」

「うん」

 強く頷くと、千歳はまた笑って前を向いた。

冷たい風が前から流れ込んでくる。行き止まりのように立ちはだかった回廊の終着点でもある壁を前に、千歳は立ち止まって壁に手をかけて押した。すると庭に繋がっている隠し扉が開かれる。

 今まで以上に冷たくて強い風が吹きこんできた。

 そして薄い藍色に染まった夜明け前の空が、視界に広がる。澄んだ空気が肺いっぱいに満ちる。

「……外」

 ぽつりと漏らしたのは私。

 そんな声に後押しされたかのように、千歳はゆっくりと石の廊下から芝生の地面へと一歩踏み出した。

 枯れた芝生を踏みしめて千歳は空を見上げ、大きく息を吐いた。

「変わらないなーこの家の庭は。俺が最後に見た時のまんま!」

 振り返って千歳は歯を見せて笑った。

「あの外灯とかもそうだし。屋敷の外観も大きくは変わってないのな」

「明治時代に建てられて以来、出来るだけ外観を損なわないように補修しながらやってきたって聞いてるよ。庭もそうみたい。古い写真を見たら大きくは変わってなかったから」

「ふーん。なんか変な感じだな。俺が最後に外に出たのって生物的に言うとけっこうな時間が経ってるはずなのに、ついこの間のことみたいだ」

 いつも千歳は基本的に笑顔だけど、今日は特に楽しそうだ。遊園地に来た子供みたい。

「あーせっかくだしこのままコンビニとか行ってみたい! 一日中空いてて何でも売ってるんだろ!? 人類の進化すごいよな。俺の時はまだ楽市楽座だったのに!」

「え、コンビニって人類の進化?」

それはちょっと違う気がするが。そして千歳は戦国時代初期の生まれなだけあって楽市楽座経験者か。

「あとな、ほらあのデカイ耳のネズミがいる遊園地行きたい! 上に東京ってつくから東京にあるもんだと最近まで信じてたんだよな。それからー……いっそ京都とか行って変わってない物探しとか、でもそれならついでに海外とか」

 本当に本当に、楽しそうに嬉しそうにそんなことを言う。

「俺、飛行機って乗ったことないんだ。あんなでっかい鉄が空飛ぶなんて理論説明されてもさっぱりだし。結恵は乗ったことあるか?」

「何回かはあるよ」

「マジで? どんな感じだった?」

「最初は耳鳴りしたりするけどあとはフツーだったよ? 窓の下に雲が見えてようやく空にいるんだなって思ったくらい」

「へーっ! いいなぁ本当に空飛べるのか! 不思議だなー空飛ぶっていったら鳥か妖怪くらいのものなのだったのにな!」

 飛行機なんて今を生きる私達からしたら珍しいものでもなんでもない。こんなに目を輝かせて、珍しがって楽しがるほどのものじゃない。

 改めて千歳が遠い昔に生まれて、本当に長いこと隠されて生きてきたんだということを思い知る。

 少なくとも屋敷の地下のあの部屋に七十年。きっと屋敷が建てられる前から似たような状況ではあったのだろうけれど。

「……」

 小さく両手を握り締める。

 白み始めた空を背にはしゃぐ千歳を見て、今まで何度も何度もしてきた決意を改めて口にする。

「千歳」

「んー?」

 空に浮かんだ星を数えていた千歳が振り返る。

「絶対にこの家の呪いなんて全部ぶっ壊すから」

 千歳はこの家で最も大切にされている。大切に大切に……そういった名目で綾峰の小さな檻に閉じ込められたままである事は変わらない。綾峰内部の人間ですら未だにほとんどが千歳の存在すらを知らないことがそれを示している。

 それが先々代当主の取り決めだったらしい。危険な世になってきたから、千歳の存在はごく一部の間の者達以外には知らせてはならないと。出来る限り千歳をこの屋敷から、あの部屋から出さないこと。

 祖父と大叔母様の父親……私の曾祖父のその言葉は今も生きている。

 本人はもうとっくの昔に死んでいるのに他の綾峰の人間にまでその言葉は浸透し、今もそれが法となっている。

 娘である大叔母様よりも重く扱われる、近代における綾峰の繁栄に一役買ったという先々代の言葉。

 いつまでもいつまでも、千歳を縛る言葉。

「私がひいじいさんの言葉なんて絶対撤回させてやるから! そうしたらコンビニでも遊園地でも海外旅行でも好きに行くといいよ。絶対に近い将来、そうさせるから!」

 一族が何も言えないくらいこの家の当主にふさわしくなって、先々代を凌ぐくらいに強くなって、そうして私が綾峰の王になる。そうしたら今度こそこの家の呪いなんて解けるんだ。

 ずっとはしゃいでいた千歳はいつの間にか落ち着いた大人びた笑顔になっていた。

「頼もしいな」

「……もしかして、余計なお世話?」

 こう息巻いていても所詮それは私の勝手で、千歳がそれを望んでいるのかはわからない。

 けど千歳は笑って首を横に振った。

「いや。そうなったら嬉しいよ。異界帰りでもなく、予言の子でもなく、隠された存在でもなく、ただの人として生きられたらそれはとても幸せなことだ。けど」

 声のトーンが微かに落とされ、千歳の瞳が幾分鋭くなる。

「この家の呪いはきっとまだ他にもあるから」

「……リクのこと?」

「さぁ」

 千歳はポケットに両手を突っ込んで、肩を竦めた。

「何、どういう意味? はぐらかさないでちゃんと教えてよ」

「俺もわかんないから」

「え?」

 自分でも声が刺々しくなるのがわかった。

 鼓動が早まり、冷気のせいだけじゃなく体温が下がる。

「あの時、義鷹達の引き際が随分あっさりしてたろ? 結恵が呪いをぶっ壊すって言った時」

「……まぁ、そう……なのかな」

 千歳は小さく笑いを零して続けた。

「まだ何かあるんだろうな。例えば俺がいなくなっても平気な保険とか」

「何か、って何? 千歳に代わるものなんてないでしょ!? だからこの家はずっと千歳を閉じ込めて……」

「うん。そーなんだよな。けどさ、この数百年で何度かそういう感じがしたことはあるんだ。俺の代わりになる『何か』を一族は隠し持ってるんじゃないかーっていう感じ」

 強い風が高い庭木を揺らし、轟音と共に突き抜けて行った。

 その後に残るのは冷たい空気。

「この家の呪いはひとつ、ふたつじゃないのかもしれない」

「そんな……」

 この家は底無し。

 以前鷹槻が言った言葉が蘇る。

 もし千歳の言葉が本当だとしたら……だったら、本当だったとしてもまた壊せばいい。

「いくつ呪いがあろうと関係ない。この家の呪いという呪いは全部私が跡形もなく壊す! 千歳が大手を振って出歩けるように、そんな辛気臭いものは全部片付けて焼却処理してやる!」

「焼却……」

 唖然と千歳は呟く。

 私は頷いて、自分にも言い聞かせるように声を張り上げた。

「私は千歳の呪いを解くって言ったんだから解く! でもって、千歳は幸せすぎて涙が出るまで幸せにしてあげる!」

 千歳の目が大きく見開かれた。かと思えばにやりと意地悪げに笑って私を見てきた。

「それ、プロポーズってやつ?」

 そんな風に冗談めかした言葉を口にした。

 途端、顔中に熱が集まってくるのがわかった。

「わっ、私は本気で言ってるの!」

 人が真面目に行っているのにこの本来ならギネス記録ご長寿は!

「うんうん。嬉しい話だ。いい子だなぁ結恵は」

「子供扱いすんなぁっ!」

「してないしてない……あ」

 にこにこと頷いていた千歳の視線が上へ向く。

 つられるようにして私もそちらへ視線を向けると、いつの間にか薄い藍色だった空に光が漏れ始めている。

「夜明けだ」

 遠くに見える緑と点在する家々の間から眩しいほどの光が昇り始めている。

「……こんなに、太陽の光って強かったか」

 千歳はごく薄い藍色から明るい色に変化を始めた空を、夜闇を切り裂くような強い朝日に目を細め、深い感慨を込めた声を出した。

 彼が今何を思っているのかは分からない。

 想像もつかないくらい久しぶりの夜明けを前に、何を感じているのかなんて分からない。

 けどその横顔がとても綺麗で、とてもとても綺麗で胸が締め付けられた。

「……ねぇ千歳」

「んー?」

 お互い朝日からは目を離さない。

「私、千歳好きだよ」

 空気に溶けてしまいそうなほど、自分でも不思議なくらい自然にその言葉は口から出た。

 千歳は一度私を見てから、また相好を崩した。

「俺も結恵が好きだよ。大事な大事な俺の子供。おんなじ血の、大切な子」

 そう言って頭を撫でられた。

「遠い遠い、子孫。我が子も同然の」

 そんな意味で言ったんじゃないのに、ものすごくいい笑顔で言ってくれる。

 ……本当にちゃんと伝わってるのだろうか。私がどういう意味で言ったか。

 小さくため息をついて、ただ自棄になってもう一度口にする。

「大好きだよ」

「うん。俺も」

 頭を撫でる手が強くなって、いい様にあしらわれる子供みたいだ。

 やっぱり千歳の中で私は子孫で子供か。予想はしていたが悔しいというか、悲しいというか。

 そんなことを考えていたから、遠くで轟々と鳴る風の音に紛れた千歳の言葉は聞こえなかった。

「鷹槻に恨まれるな」

 苦笑混じりに落とされたその言葉は耳に届かない。

「今、何か言った?」

「んー特に何も?」

 胡散臭いまでの笑顔で言われるとそれ以上聞く気も失せる。

「朝日、綺麗だなー。まさかまた太陽拝める日が来るとは思わなかった!」

「良かったねぇ」

「人間わからないものだなー」

「そうだねぇ」

 千歳の楽しそうな顔を見ていたら何だか気が抜けてきた。

「時間が動きだしたって感じだな」

「は。時間?」

 あまりに唐突な言葉に、つい眉をひそめる。

 けど千歳は気にした様子もなく笑顔のままだ。

「俺にとって未来はずーっと同じようなもので興味なんてなかったけど、外に出たからかな。あー明日はまた違うんだろうなとか、今そんな風に思ってる」

「それは……前向きになったようでよかったよ」

「うん」

 満面の笑みで千歳は頷いた。それから少し意地悪く笑って言う。

「だから明日、明後日、一年後は今とは違うかもなって。もしかしたら鷹槻と火花散らす日も来るかもしれないし」

 その言葉の意味は、まだまだ自分のことで精いっぱいの私には理解できなくて。

「何それ? 鷹槻と火花散らすって……ケンカでもする気?」

「ケンカってほど可愛らしいものだといいなー。泥沼になりたくないよな。あいつだって俺の子だもん」

「わけわかんない」

「うん。わからなくていいよ」

「何それ」

 千歳のマイペースな喋りっぷりに和むと同時に笑いが零れる。

 本当にこの不思議な空気、嫌いじゃないんだよな。

「そろそろ戻るか。けっこう冷えるな」

「まだ二月だからね。冬真っ只中」

「あーそりゃ寒いよな」

 言いながら千歳は隠し扉を開けて、私の手を取った。

「じゃあ帰るか」

「うん」

 その手を握り返して頷いた。

 明日、明後日、一年後、五年後、十年後……先がどうなるかは分からない。閉ざされた扉は開かれて、新たな時を刻み始め、少しずつ、少しずつ変わっていく。

 呪われた予言の子も、盤石を誇った絶対王制の家も。

 この先がどうなるかなんて知らないし知る気もないけど、出来るなら少しでも楽しくて優しい未来を。

 分からないからこそ、私は祈る。

 好きな人達が幸せな時を過ごせるように、少しでも多く笑って過ごせるように。

                                           

 不可侵区域、これにて完結です。ここまでおつきあい下さった読者の方には心からお礼申し上げます。

 以前携帯小説として書いたものを気休め程度に手直ししてこちらで公開させていただいたのですが、こちらでも自分で思っていた以上の方に読んでいただけたようで作者冥利につきます。

 数年前、少年マンガの打ち切りエンドみたいに「俺達の冒険はこれからだ!」みたいなノリの終わり方をさせたいと何となく思い、絶対的なハッピーエンドではない、今後にまだ何かありそうな雰囲気を残した終わらせ方をしようと不可侵区域を書き始めました。

 そんな自分本位で始めた話ではありますが続編をと言って下さる方もいらして、書けないかとも考えたのですが当時も今現在も私の技量では到底納得のいく終わらせ方はできないと、この曖昧な終わり方で不可侵区域は完結しています。

 本編とは関係のない番外編のような短編はいくつか書きましたし、今もこの不可侵区域のキャラクター達には愛着があるのでいずれこちらでも公開させていただくかもしれません。もしその機会がありましたらまたお目にかかれればと思います。

 それでは最後にもう一度、読者の方に心からのお礼を。

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