第0話
プロローグ
目が開いた。
死んだはずの、人間の目が。
足が動いた。
血が通っていないはずの、死体の足が。
立ち上がり、空気を吸った。
すぅ、と音を立て、破裂したはずの肺に新鮮な空気が入り込む。
(……まずい)
空気が、不味い。
味が違う。匂いが違う。
例えるなら、そう。
まるで、海外旅行で飛行機から降り立ったときのような感覚。だろうか。
異国の地で、人が最初に感じる違和感は匂いだと言う。
俺のいた日本は、外国人にとっては大豆の匂いがするらしい。
……のだが。
ここではただ、青臭い木々と濁った雪の匂いが鼻をついた。
(俺……なんで、生きてんだ?)
俺は今、たしかに生きている。
そして、たしかに死んだはずだ。
(もしかして……ここが、あの世ってやつか?)
身体に異常がないことを確認した後、ゆっくりと周りを見回す。
傾きかけた太陽が、種類もわからない木々を照らし。
足元の砂利道は、真っ直ぐに空との境界線へ続いている。
(森……いや、山?)
どうやら、ここはどこかの山道らしい。
俺が死んだはずの場所とは、明らかに違う光景。
どちらにせよ、それらの景色が一般的な死後の世界のイメージとかけ離れていることだけは間違いなかった。
(あの世じゃないなら……夢?
にしては、感覚がハッキリしすぎてるな……)
だが、もし。
この世界に俺以外の人間がおらず、目の前の殺風景がどこまでも続いているだけだとしたら。
それは間違いなく、地獄と言って差し支えないのだろう。
(ってか……俺は、本当に死んだのか?)
頬を撫でる風の感触。
最近散髪に行っていなかったせいで、揺れるたびに瞼をくすぐる鬱陶しい前髪。
疑いようのないリアルな感覚に、自分が死んだという事実さえも嘘だったのではないかと考えてしまいそうになる。
果たしてここは、あの世なのか。
そうでなければ、どの世なのか。
それを確かめるために、俺───烏兎凍矢は、自らの心臓が貫かれた時の記憶を克明に思い起こそうと試みるのだった。




