第13話 静止
昼休み、賑やかな食堂に足を踏み入れた。国際色豊かな人々が多く座り、食事を楽しんでいる。原因ははっきりとしないが、その界隈では“おいしい日本の食堂”として口コミで広まっているらしい。
「あ、鳴海さん!こちらにどうぞ」
すっかり仲良くなった響は、そう言いながら椅子を引いて私を座らせようとする。
「そんなことしなくてもいいのに。恥ずかしいよ」
「だって、鳴海さんのおかげで食堂回ってるんですから」
真心こもったおいしい定食を出しているから回っているのであって、少し英語を教えただけの私の貢献度は低い。それなのに、蒼井家にはとっても優しくしてもらっている。
「私は基本的なことを教えただけ。身に付けて活かしてるのは響くんだよ」
響は、思っていたよりも飲み込みが早かった。だからきっと、勉強が好きだったら相当偏差値が高い人だ。
そう考えていると、響が呆れたような表情でため息を吐いた。
「鳴海さんは謙虚に生きすぎです。もっと自分に誇りを持っても良いと思いますけど」
「そういう響くんも謙虚すぎるよ。だって、あんなにおいしい定食が作れるんだもん」
「俺は父さんの言う通り作ってるだけですって」
週に一度訪れるたびに、お父さんがサービスだと言って定食を出してくれる。最初に出された時は遠慮したが、逆に食べない方がもったいないと思うようになり、結局毎食いただいてしまっている状態だ。
「で、今日は何にしますか?」
「うーん…いつものもやし炒め定食ください」
「もやし好きですよね。毎回これで飽きないんですか?」
うちでは人気ないメニューですけど、と言いつつ、響はメモを取った。
「飽きないよ。おいしいし、なくなったら困る」
ここまでは普通だったけど、私は少し気が緩んでいた。
「碧斗も好きそうだなって思ってさ…」
そこまで口に出して、自分の発言の不自然さに気づいた。いくら熱烈なファンでも、こんなことは言わない。すぐそこに立っている響も困った顔をしている。
「ごめん。碧斗の見すぎでしょうもないことしか考えられない女になってる」
そう笑い飛ばそうとしていると、私の笑い声を遮る声が聞こえた。
「そんなことないですっ!」
見上げた先にいる響が、真っ直ぐ私を見ている。
「鳴海さんは、すごく、本当に…素敵な女性です」
言い切った途端、みるみる首から耳が赤く染まっていき、響は目を逸らした。
たぶん、褒められた。けど、慣れていないせいか、どういう反応をすればいいのか分からない。
「あ、ごめん。兄ちゃんの愛の告白邪魔しちゃったかも」
後ろから聞き覚えのある明るい声が飛んできた。七海が帰ってきたのだ。
七海は嬉しそうにニヤニヤしながら響と私を交互に見ている。
「ち、違う!違います!変な意味は何もっ!」
慌てて否定しつつも、響の顔は紅潮していった。
帰宅後、私はずっと彼のことを考えていた。
分かりやすく赤くなる肌。真剣な眼差し。震えているのに一直線で届く言葉。
素敵な女性だなんて言ってくれたのは、今までで彼だけだった。そして、私のことを鳴海晴香として見てくれているのも、彼だけ。
こんなに嬉しいことはないはずだけど、彼じゃない。そう思ってしまう。
頭から碧斗が離れない。意識せずともテレビに写るから、距離を取るなんてできない。何があっても、嫌いになれない。
だから彼には、私の気持ちをちゃんと伝えなきゃいけない。
振り回された分、辛くなるから。期待した分、傷が深くなるから。
私は、意を決してメッセージアプリを開いた。そこで“あおい”の文字を探し、文字を打ち込んだ。
《ごめんね 好きな人がいるの》
そして、迷いなく送信ボタンを押す。効果音とともに現在時刻が表示された。
「ごめんなさい……ん?」
送信履歴をたどると、最近やり取りを始めたばかりなのに、いくらスクロールしても始まりが見えない。
誰かと間違えたのかと名前をもう一度見た。そして、頭が真っ白になる。
「嘘……だめだめ!」
一瞬、心臓が止まったかと思った。
だって、私がメッセージを送った相手は、“あおい”ではなく“あおと”だったから。
「まだ間に合う…よね」
既読がつく前に急いでメッセージを取り消し、スマホを裏返す。
送る瞬間よりも心臓がうるさくて、手が震えた。
結局、“あおい”のアカウントは開けなかった。
食後の休憩という名目でだべっていた。この雰囲気にすっかり馴染んだ私は、家と同じくらいリラックスしてしまっている。
食堂の人出が落ち着いてくると、響がニコニコしながら私の斜め左側に座った。
「アー写更新されたの見ましたか?」
「見た見た!えっとね…これでしょ?」
スマホでPRISM CLOWNの公式サイトを開いて響に見せる。
「はい。それです!最初見た時、マジで泣きました。かっこよすぎて」
そろそろ新曲を出す頃だなと思っていたが、今回はいつもの“キラキラな王子様”じゃない。闇夜を背景に儚げな表情を浮かべる3人は、まるで失恋でもしたかのようだ。
「想介は黒髪に戻ってイケメンが増してるし、瑠璃は前髪切りすぎててかわいいし」
「分かる~!っていうか、今回全員黒髪だね」
「ですね。碧斗は髪伸びてもやっぱかっこいいっす」
緩く巻かれた髪の隙間から、碧斗はこちらを見ている。正確にはカメラだけど。
でも、その視線が、胸を苦しくさせる。
『晴香、好きだよ』
あの時も、こういう目で私を見ていた。
自ら消したはずの出来事を思い出していると、スマホにネットニュースの通知が来た。
「え…」
数秒じゃ理解できない、信じがたい文章に、響と顔を見合わせる。
私たちは、改めて通知の内容を見た。
「“PRISM CROWN石原碧斗と実力派俳優桜沢美月 隠しきれない親密な関係”って、熱愛だよね」
心音がバキバキと割れるように鳴る。その間、妙に冷静な指で記事をタップした。
そこには仲良さげに腕を組む華奢な女の子と碧斗がいて、すごく楽しそうだ。
「写真もあるし、事務所もノーコメントってことは…」
無言は肯定であると、大人になってから知ってしまった。
「鳴海さん、笑わなくていいんですよ。泣いても大丈夫です。2人きりだから」
そう言われてから、不自然な笑みを浮かべていると気づいた。碧斗のせいで変な癖がついてしまった。
悲しそうな顔で私を見る響は、手をきゅっと握って唇を噛んでいる。
「泣きたいのはそっちなんじゃない?」
響は視線を上に上げて、水の膜が破裂しないように目を開いていた。
こうやって泣けなくなったのはいつからだろう。私だって泣きたいのに。




