45 アルテイアの朝
太陽が地上に墜ちてきているのかと疑いたくなる暑さであった。
雲一つない快晴の空の下、今日も農夫は汗を拭いながら麦畑に生えた雑草を毟る。あまりにも暑く、少しでも太陽から離れようと腰を曲げ下を向いて歩きもしたが、地面もまた熱を反射していて意味をなさない。
「よし、みんな少し休もう」
男は遠くに居る家族にも聞こえるよう声を張った。
日陰に入りどっさりと腰をかけると、思わずため息を漏らす。というのも、彼が住んでいる村はここ数ヵ月激しい日照りに悩まされ今年度の収穫が危ぶまれているのだ。
「もしこの日照りが続き収穫が無ければ……考えるだけで腹の中がきりきりする。備蓄はあるがそれだけでは一年食いつなげないだろう……」
どうしたものか、皮肉なほどに青い空を見上げて数刻考えたが具体的な解決策は思いつかない。
男はふと尿意を覚え、立ち上がる。目指すは目先に見える木の裏。日陰を出て、嫌になる日差しに刺されながら歩き、木の根に足を踏み入れたところでとある違和感に気付く。
「こんな木、ここにあったか……?」
しかしその感覚も一瞬にして忘れ、木の裏に回る。やけに涼しいそこで用を足した後、家族の元へ向かおうと一歩、足を出す。そして再び気付く、今度は他の物、具体的に言えば、足元に転がる一本の白い枝に。
彼は周りの景色に溶け込まない、明らかに異質なそれを無意識に手に取っていた。
「なんだい、その棒切れは。えらく奇怪な色じゃないか」
話しかけてきたのは隣の家の耄碌老人であった。この頃は呆けている時間も多くなり、こうして普通に話せるのは一日にほんの数回であるという。
「ああ、あんたか。これは今拾ったんだ、白い枝なんで物珍しくてな……そんなことより、今日もこの天気じゃ参ったもんだ。こんな長く続く日照りは今まで経験にない」
「そうだな……こんな日照りは儂も初めてだ。このままだと麦も野菜も何も育たんよ…………おや、今日は雨が降ったのか、儂が座っているところは湿っているが」
「それは俺の小便だ。最近は雨どころか雲ですら見ないからな。ここら辺一帯にざあーっと降ってくれればいいんだが……」
急いで腰を上げる老人を尻目に、男は自分の畑を白い枝で指した。すると彼の畑の上空は忽ち分厚い雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨を振らせる。
それが全ての始まりであった。男は枝が放つ現実離れした神秘的な雰囲気からこの雨が白い枝のお陰だと気付き、その日から日照りが続く度に人目に付かぬようこっそりと白い枝を振って雨を降らせた。自分の畑の上だけだと流石に露骨なので村全体にかかるように。
そこまでして隠れて枝を使うのは、枝の力が周りに広まれば枝を巡り奪い合いや争いが起こるであろうと容易に想像できたためである。
しかし国中が日照りで不作の中、日照りが続かない村の噂はすぐに広まり、時の王の耳に届くまでになった。
「えぇっ……!!王兵がこの村に来るって!?」
「なんでも国中が日照りなのにうちらの村だけ雨が降るってんで、王様がお怒りだってさ」
「どうしてお怒りになるのさ。何も悪いことはしてないじゃないか」
「それが、王様はうちらの村だけに雨が降るのは、邪悪な心を持つ農夫が自分の畑のために国中の雲をこの村だけに集めているとお考えになっているそうよ。それで村の家を一件一件回って調査して、疑わしい村人を処刑するんだってさ」
実際にその翌日から村には王兵が現れ、村中の家を隈なく探索し、少しでも抵抗したり不審な動きを見せた村人を次々に惨殺していった。
噂を聞いていた男は、王が探しているのは自分だと悟り、木の枝を天井の藁に埋め込んだ。どうしてか木の枝を捨てるのではなく、自分の近くに置いておきたかったのだ。
「入るぞ」
数人の兵が槍を持って男の家を訪れる。とうとう、男の家の番になったのだ。家中のあらゆる戸を開け、絨毯を捲り、衣服を脱がせる。僅かな動きで生死が決まるこの状況では、恥じらいなど微塵も感じなかった。
「ここはもういい、次へ行くぞ」
天井は見られなかった。助かったのだ。立ち去る兵達を見送りながら、男は胸を撫で下ろした。もう、これで疑いは晴れた、今度からは雨を降らすのを控えよう。そう思った瞬間であった。
からん、と何かが落ちる音。振り向く王兵。その中には既に男とその家族に向けて槍を構えている者もいる。
男は思わず落ちた枝に向かって走り出していた。そして無意識に、さも当たり前のように、掴んだ枝を鬼の形相で向かってくる男達に向けて振りかざす。
「風よっ!!」
自らも聞いたことがない言葉を、男は発していた。
———
「それでも結局、農夫の男は逃げ切れずに捕まり炙り殺され、捕まる直前に枝を丸呑みしたため怪しい術は誰も使わなくなった———っと、こんなところね。しかし学ぶ順番が滅茶苦茶ね、ナオト君。結界術と基礎魔術は高等教育レベルまで知ってるのに、魔術史の基本の《き》は知らないなんて」
「(え、小便のくだり必要あった?)……ま、まあその二つだけなら大体一科目分くらいだから、対抗戦の準備期間に死ぬほど勉強したし。魔術史は必要じゃなかったから後回しにしてたんだよ」
朝の静けさの中、大学までの道のりをルネと直登は歩いていた。歩行者天国となっている大通り、左右に見える全面ガラスの中はまだ明るくなっておらず、軒下に並ぶ椅子にも誰一人として座っていない。
「でもその話おかしいよね。その話が本当なら俺らが使っている怪しい術はどうやって説明するのさ」
直登はそう言いながら慣れた手つきで結界を出す。
「お、いいところに気がついたわね。実はこれは3000年くらい前の話と言われていて、あっちの世界の人達が魔術を使うようになったのは1000年前なんだよ」
「それって、つまりどういうこと……?」
「門が見つかったのが1000年前ってこと。1000年前に世界にある7つの門が見つかって、次々に開かれたの。そしてすぐにあっちの世界の人達は魔法界に移り住んで、都市を築いた。その時に、門の鍵として門に掛かっていたのが今でいう魔剣なのよ……はいっ!これで歴史の授業は終わり!もう疲れたから、続きは図書館にでも行って自分で調べなさい!」
唐突に話の終わりを告げるルネに対して、直登はいくつかの疑問を持ちながらも、これ以上長い説明をさせるのも申し訳なく思い、それを承諾するしかなかった。
程なくして周りには店や集合住宅が並ばなくなり、建物の密度が薄くなる。家と家の境目は背の高い柵で区切られ、装飾が豊かな一軒家が並ぶ。魔術都市アルテイアは魔術大学であるルーデウス大学を中心に広がる街だ。大学の周辺は一等地となり、高級住宅街であるが通勤通学のため人通りが多い。
その人の群れの中で一人、ぽつんと佇む少女がいた。
「あ、ナオト。おはよう」
彼女は偶然を装い、直登に声をかける。
「おはよう、アリア。一昨日の怪我は大丈夫?まだ痛む?精密検査を受けたって聞いたけど」
直登が心配を露わにすると、アリアは首を大きく横に振った。頭を左右に動かす度に彼女のポニーテールはゆさゆさと揺れ、果実のような華やかな香りを香らせる。
「大袈裟なだけだよ。傷もほとんど残ってないし、魔力ももう戻ったから」
気のせいか、直登には少女の声が少し上擦り、緊張しているようにさえ見えた。目も合わない、というよりもずっと下を向いているように見える。思えば、これが対抗戦後初めての会話であった。
直登達は事件の翌日、治療、事情聴取、現場検証とやることに追われていた。特に直登とルネの二人は、イタリアとスイスの国境付近での戦闘についても事情聴取と現場検証をさせられ、アリアとは話す機会も無かったのだ。
「そう、それならよかった。本当に一昨日はありがとう。アリアがあれだけ耐えてくれなかったら俺達も死んでいたかもしれない。あの場にアリアが居てくれて本当によかった」
「わ、わたしもナオトに感謝を伝えたくて……あの時、助けに来てくれてありがとう。あの時のナオトすごく、かっこ———」
アリアは顔を上げた瞬間に固まった。
「私からも、もう一度お礼を言いたいな、ナオト君。助けてくれてありがと、すごくかっこよかったよ」
「どういたしまして、アリア、ルネ」
赤髪、呼び捨て、言いたいことを先に、何で一緒に、様々な感情が目まぐるしく頭の中を駆け回る。時間にして一秒にも満たない間であったが、アリアの思考は完全にパンクしていた。
そして最後、残った感情は一つ、「何とかして誤魔化さなくては」というものだけ。
「すごく、カッコつけてたねナオト」
「え……」
直登の中に浮かぶ、疑問符。
「(???)」
それは少女にも浮かんでいる。
言葉を発した瞬間に後悔した。自分は何を言っているのか。話の流れ的にももう会話は終わっていたのに。これではまるで急に直登に対して嫌なことを言ったみたいではないか、それも思ってもないことを。しかし彼女のそんな思考を「恥」という一つの大きな感情が支配する。
「あ、アリアさん行っちゃった」
気が付けば金髪の少女は、顔を真っ赤にして学校へと走り去っていた。




