34 越境
ミラノから鉄道で三時間弱、アルプス山脈を間近に臨む小さな街は昼の賑わいを過ぎ、落ち着きを取り戻しつつあった。
三日の間緯度の低い所に居たからだろうか。頬に触れるおろし風のキリっとした冷たさにいつも以上に身震いを誘われる。防寒対策にコートを羽織り、首元にはマフラーも巻いてきた彼であったが、それでも十分ではなかったようだ。
「……頼むから運休だけはやめてくれぇ」
イタリア・ティラーノ、山に囲まれた小さな町である。そこにある唯一の駅の小さなホームで直登は電車を待っていた。
出発予定時刻はすでに過ぎ、彼を含めホームに立つ乗客は祈るような目で左方を望んでいた。彼らが最も恐れているのは、遅延による急な電車の運行取り止めである。都市部では頻繁に見られ誰も文句を垂れることの無いことだが、極寒の地で更に40分に一回しか電車が来ないティラーノでの運休は訳が違う。
「……おっ!来た来た。なんとか最悪は免れた」
ふう、と白い息を吐く。現代的な民家の隙間を縫い視界に現れた赤い車両。アルプスの山麓を超え、イタリア・ティラーノからスイス・クールを五時間かけて結ぶその急行を彼は待っていたのだ。
「なにげに真っ当にイタリアから出るの久しぶりか」
そんなことを言いながら、彼はもう一度白い息を吐いて深く吸う。空気が美味い。それはボローニャや今住んでいる魔術都市・アルテイアよりも澄んだ、穢れの無い純粋な空気であった。
「それにしても、しんどい……」
既に長時間の鉄道度で寒さ関係無く足が震えていた。何故こうなってしまったのだろうか。
———
転移は無事成功した。直登的には無事成功”してしまった”感があるが、それはもうしょうがないと割り切っていた。三日前のことを思い出すに、転移で彼女に会えるかどうかは彼女の気まぐれなのだろうと予想出来ていたからだ。
早朝の冷え込みの中、三人は転移紋が刻まれている大部屋出て廊下を歩いていた。
「今日は、このまま解散ですか」
直登がそう尋ねると、賀茂は低い天井を見上げ一瞬考え込む。
「いや……うん、ま今のところそうかな、まあ……」
歯切れの悪い、含みのある返事の後に彼はにやりと笑う。あまり見たくない顔を見た二人は、賀茂の後ろで目を合わせ「流石に何もないでしょ」と半ば祈りの言葉を交わし、互いの気を紛らわせた。
「おう、魔術事件課からメールですねえ」
一瞬にして楽観的な予想は崩れ、直登はわざとらしく腰を後ろに反って天を見上げる。
「『スイス・クールで人形使いと思しき魔術師による殺人が相次いでいる。賀茂劉基とその担当生徒は本日午後7時より現地にて———』とまあ、こんな感じだから14時間後に現地集合で、細かいことはそこで話すから」
賀茂はそう言うと、二人を置いてそそくさと走り去って行く。その背中はどこか嬉々としていて、走るというよりかは弾むと言った方が正しいように思えた。
———
ふぅ、と何度となく目の前を曇らす。この一日で特に何かをした訳でも無いが、二日に渡って慣れない戦闘を繰り返したせいか心身ともにかなりの疲労が溜まっていた。今ここでふらりと倒れたらどうなるだろうか、途轍もなく気持ちいいのは確かだろう。そんな妄想までもが頭を過る。
「———やばッ!」
呆然と立ち尽くす隙に、いつの間にか到着していた電車の扉が閉まりかけていた。直登は一歩左足を踏み込み体を沈めると、その反動を使って前蹴りを入れるようにして飛び乗った。
「(ギリセーフかな……座席は……っと)」
彼はスマホを見ながら指定席まで向かう。外からも見えていたが、観光列車ということもあってとにかく窓が広い。膝下の高さから天井に食い込むくらいまで一枚のガラスが張られていて、窓と窓の間には僅かに幅20センチほどの仕切りがあるだけだった。そしてウィンタースポーツのシーズンだからか人も多い。ほぼ満員ではないだろか。
「(まずいよなあ……こんだけの人が連続殺人が今起こっている地域に行くって。しかも、魔術関連の事件だから報道も出回らないもんな)」
友人と、家族と、恋人と旅へ向かう乗客を左右に直登は歩き続ける。
「……ここか」
ぽつりと呟いた直登はスマホに目を向けたまま二人席の前に立っていた。どうやら隣にも客がいるようだ、深緑のコートと赤く染まる長髪が視界の端で揺れている。
「(……うん?赤髪……?)」
どこかで見覚えがあるような、と思うと同時に悪寒が走り顔上げる。
「うえ”ぇ!?」
「げぇ……」
そこには半開きの口のまま、その大きな目を更に開いて直登を見るルネ・ルロワが座っていた




