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天使と呼ばれた魔女は、弟のように可愛がる少年の本性を知らない  作者: 朝山みどり


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09 復讐って!

09 復讐って!


 今日はあの家の代替わりの祝いだ。


 アレクは机の引き出しを開けた。


(祝ってやるとするか)


 引き出しの奥から、母の指輪を取り出した。窓から差し込む光を受け、小さな石が淡く輝いた。


 ここへ来たばかりの頃には、指にはめても大きすぎて抜け落ちてしまった。


 今では小指ならなんとかはめられる。


 アレクは手を持ち上げ、指輪を眺めた。


 紅茶の匂いを思い出した。


 母の部屋には、いつもほのかにその匂いが残っていた。窓辺の椅子に座り、母はアレクの手を取って、この指輪を握らせた。


 笑っていた。


 けれど、その頬には涙が流れていた。


 何と言われたのだったか。


 声を思い出そうとすると、白いカーテンが揺れる光景ばかりが浮かんだ。母の細い指と、手の中に押し込まれた指輪の冷たさ。そればかりは、今でもはっきり覚えている。


 アレクは指輪をはめた手を握り、ゆっくり開いた。


 母の庭も、もう残っていない。


(ふん。あの女。庭をほじくり返して、下品な花を植えやがって……)


 花の色を揃え、季節ごとに少しずつ手を入れていた庭だった。母が大切にしていた株まで掘り起こされ、大ぶりな花に埋め尽くされていた。


 屋敷の様子を確かめに戻るたびに、アレクはそれを見ている。


 今日は、もう隠れて見る必要はなかった。


 アレクは前髪をかきあげると、立ち上がった。


     ◆◇◆◇◆


 アレクは、いつものように温室の裏へ転移した。


 湿った土と、葉の匂いがした。


 人目につかないこの場所は、昔からのお気に入りだった。


 温室の角を曲がると、庭は祝い客で賑わっていた。


 異母弟のジョージが立っていた。豪華な上着に身を包み、胸を張っている。その横には義母がいた。


 父は車椅子に座っていた。


 背後に立っているのは、サミエルだった。


 アレクは足を止めず、石畳を進んだ。


 最初に気付いたのは義母だった。


 こちらを見たまま動かなくなり、次いで、手を口に当てた。


「……アレク?」


 その声に、ジョージが振り向いた。


 サミエルの手が、剣の柄へ伸びる。


 アレクはその手を見て、微笑んだ。


「おや、サミエル。手をかけるだけかい?」


 サミエルの指が止まった。


「あの日は、何も言わずに斬り捨てたのに」


「何を……」


「覚えていない? 君に名を呼ばれ、僕は本を閉じて立ち上がった。そこをいきなりだった」


 アレクは自分の胸元に軽く触れた。


「ここから、脇腹まで。ずいぶん深く斬ってくれたね」


 父の顔が動いた。車椅子の肘掛けを握る手に、力が入った。


 義母は慌てたように一歩前へ出た。


「アレク、どこにいたの? 皆、心配していたのよ」


「そうでしょうね」


 アレクはうなずいた。


「死体がないと、乗っ取りに手間がかかりますから」


「そんな言い方……あなたがいなくなって、お父様もどれほど――」


「それは、母のものですね」


 アレクの目は、義母の首元に向いていた。


 母が夜会の時に身につけていたものだった。それをつけると母が出かけるから、嫌いだった。抱き上げられたとき、頬に触れた石の冷たさまで覚えている。


 義母は反射的に宝石を手で覆った。


「これは……」


「返してください」


「今は、私が預かっているの。大切な品だから――」


「では、ちょうどよかった。受け取りに来ました」


 アレクは手を差し出した。


 義母は父を見た。父は何も言わなかった。


「外せないのですか?」


 アレクが尋ねた。


「手伝いましょうか」


 義母の手が首の後ろへ回った。留め金がうまく外れないようだった。


 ようやく外した首飾りを、アレクは受け取った。


 掌に置いて確かめてから、上着の内側へしまう。


 サミエルが、一歩前へ出た。


「アレク様。まずは落ち着いて、お話を――」


「僕は落ち着いているよ」


 アレクはサミエルを見上げた。


「お前は、そうでもないらしいけど」


 剣の柄を握る手が震えていた。


 アレクはさっと動くと、サミエルの腰から剣を鞘ごと抜き取った。


「なっ……!」


 サミエルが取り戻そうと手を伸ばした。


 アレクは鞘に収まったままの剣を振り、その手首を打った。


 鈍い音がした。


 サミエルの口から悲鳴が漏れた。砕けた手首を抱え、膝をつく。


「今、アレク様と呼んだね」


 アレクは剣を下ろした。


「あの日も、そう呼んだ。だから僕は、何か用があるのだと思って立ち上がったんだ」


 サミエルは答えられなかった。額に汗を浮かべ、腕を押さえている。


「護衛に呼ばれて立ち上がったら、斬りつけられた。あれは、なかなか驚くよ」


「ぼ、僕は関係ない!」


 ジョージが声を上げた。


 アレクは弟へ目を向けた。


「まだ、何も聞いていないけど」


「サミエルが何をしたのかなんて、僕は知らない!」


「そうだろうね」


 ジョージの上着へ目を落とした。


「代替わりをするんだってね。おめでとう」


 アレクの指先が、わずかに動いた。


 光は出なかった。ただの仕草だ。それでも、ジョージは後ずさった。


「無理することないよ。弱い人間は引っ込んでいたほうがいいよ」


 ジョージは悔しげな顔をしたが、動かなかった。


「ジョージに、何を言うの!」


「大声を出さなくても聞こえます」


「失礼よ! 取り消しなさい」


 アレクは、義母を見つめた。


「では、どちらが跡継ぎにふさわしい強さを持っているか、試しますか?」


 アレクはそう言うと、芝居がかった仕草で手を挙げた。


「風よ。ごみを片付けろ」


 風が巻き起こった。風は義母自慢のバラ園へ襲いかかり、花の首を次々に折っていく。


 舞い上がった花は、やがて地面へ降りた。一輪、また一輪と、並べられるように。


 花が文字になっていた。


 ――おめでとう ショージ


 頭の「シ」の右上だけが、ぽかりと空いている。


「祝いの品を持ってこなかったおわびだ」


 アレクは鞘から剣を抜き、空へ放り上げた。続けて、手に残った鞘も投げる。


 剣と鞘は並んで落ち、「シ」の右上に突き立った。


 庭一面に広がる花文字の上で、剣の柄頭と鞘の石突きが、二つの点になった。


 ――おめでとう ジョージ


 文字が完成した。


「父上」


 車椅子の前へ立った。


 父は青ざめた顔で、アレクを見ていた。


「……生きていたのか」


「はい」


「どうして、今まで……」


「帰ってこなかったのか、ですか?」


 父の唇が閉じた。


「僕を斬った男が、まだここで働いている。僕の死を望む者が複数いる。帰りたくないですよ」


 アレクは車椅子の横を通り、背後へ回った。


「ほかにも、母のものがあるはずです。遺品を貰いたいので、部屋へ案内してください」


「アレク。待ちなさい。まず、話を――」


「押しますよ」


 父の返事を待たず、アレクは車椅子を動かした。


 車輪が石畳の継ぎ目を通るたびに、車椅子は小さく揺れる。 


 義母が大声で「皆さん、聞いて下さい」と言っているが、客の騒めきは大きくなっていく。


「……お前は、何をするつもりだ」


「今、申し上げました。母の遺品を貰います」


 屋敷の扉が近づいた。


 アレクが車椅子の取っ手を握り直すとき、指輪が光った。


「捨ててはいないでしょうね」


 父は答えなかった。


 アレクはその後頭部を見下ろし、静かに続けた。


「庭は、すっかり変えてしまったようですけど」



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