悪夢ふたたび
◆◆結衣視点◆◆
「琴乃っ、大丈夫か!!」
突然、銃声が鳴り響き、悲鳴がこだまする。
駅の前で琴乃を待っていた結衣は、慌てて坂を駆け上がった。
学校から駅までの峠坂は、登下校時間には学生でいっぱいだが、夜になると近くに家が少ないこともあって、殆ど人を見なくなる。
夕方以降、特に女子学生達は連れ立って帰ることが多く、一人で帰る生徒は少ない。
琴乃のように一人で帰る学生は稀なのだ。琴乃だって、いつもであれば友人達と一緒に帰っていただろう。
ただ、結衣がどこかで待っている事を期待して友達の誘いを断って一人で出たのだ。
それにしてもこの学校近くの坂で銃を使うなんて……。
電車で琴乃に起こった事件を思い浮かべる。
サングラスの怪しい男のことが真っ先に浮かんだ。
きっと琴乃に何かあったに違いない。
間に合ってくれ。結衣は必死に坂を駆け登った。
もう少し運動をしとくべきだった。全力で走っているのに、なかなか琴乃のそばに近づかなかった。
坂を駆け上がると白のワンボックスカーが見える。
肩から息をしながら、周囲を見る。
車内から撃ったのだろう窓ガラスが割れていた。
「あっ……」
その先にうずくまっている琴乃。
慌てて駆け寄る。
「大丈夫か……」
琴乃に近寄ると、前の車は大きくクラクションを鳴らし急加速でバック、右にハンドルを切って坂を降りて行ってしまった。
それより琴乃だった。
ハアハアと途切れてしまいそうな息をしながら、額には大きな汗を浮かべていた。
指先を少し上げて、俺の手を触れた。
「……ゆい、くん」
「ウッ」
琴乃は苦悶の表情を浮かべる。
制服の方に視線を移すと、脇の方に小さい穴が開き、そこから血が流れ出していた。
また、死んでしまうのか。
撃たれた弾丸は、ちょうど脇腹に小さな穴を開けていた。
この様子では貫通したのかも知れなかった。
「琴乃、ごめん、俺がいながら」
俺が守るよなんてよく言えたもんだ。考えればわかることだっただろう。それとも犯人は電車にしか表れないとでも思っていたのか。ゲームのモブキャラでもあるまいし。
それでも、今は後悔しているばかりではいけない。涙を流す前にやることがある。
もう一度、やり直すべきか。
眼鏡のタイムリープの装置に手をあてた。
いや、そうではないだろう。琴乃と俺との今の時間はタイムリープでは戻せない。琴乃との出来事は時間を戻してもやり直せないのだ。
だから、俺は手を離した。
それにもう一つの問題もあった。
確かにここで、過去に戻したら、やりなおすことはできるかも知れない。
しかし、あと何回過去に巻き戻せるんだ?
未来の俺は確かに言った。回数が何回かは分からないが、タイムリープには上限があると。
だから、俺は過去へ行くのではなく時間を止めた。
未来の俺も同意見だったのだろう。
目の前の琴乃の流れ出す血が止まった。
制服に血糊がついているところが痛々しい。
この状態ではきっと長くはもたない。
短い時間にしては多量の血が溢れ出てた。
「10分か」
自転車を使えば、間に合う病院が近くにあった。
聖神医科大学附属病院、学校の名前と同じこの病院の医者が、身体検査の時に学校に来ていた。
同じ名前の病院だから、聖神高校と系列の病院だ。病院と併設して聖神医科大学があった。聖神高校の生徒の半分くらいがこの医大に進んで医者になる。
そのため、学生は結衣や琴乃のように一般の生徒もいたが医者の子供も多かった。
俺はコンビニ近くに置いてあった自転車の一台を見る。
すぐに戻るからと思ったのだろう、自転車には鍵がついたままだった。
今まで悪いことと言っても、落書き程度で大したこともしたことのない結衣は、少し躊躇する。
それと同時に琴乃の苦悶の表情が思い出された。
どんなことをしても琴乃は救う。
結衣は自転車に乗り琴乃の元に戻った。
琴乃待たせたな、ごめん。
時間が止まっているとは言え苦痛の表情が痛々しい。
自転車に乗った結衣は琴乃と自分の身体をロープでキツく結ぶ。琴乃の石鹸と香水の混ざった匂いが鼻をくすぐる。後ろに座った琴乃の胸が背中に感じた。
(思ったよりも胸があるな)
一瞬、頭に浮かんだ感想を慌てて取り消す。こんな時に何を考えてるんだ。
俺は琴乃の乗っている後ろの座席をチラリと見る。
普通の状態であれば後ろに座っている人は、自分で落ちないように身体を振って調整できるけれども、時間が止まっているし、それでなくても琴乃は意識を失っているからそうは行かない。
意識のない人を自転車で運ぶことは簡単ではないのだ。
ただし、左右への揺れの衝撃は、その重さに比例する。
琴乃は年頃の女の子らしく、ダイエットをしているのか、持ち上げてもそんなに重くは感じなかった。
これくらいなら、大丈夫そうだ。
病院までは下り坂が続くため、二人が乗っていても漕ぐのが大変な場所はない。
自転車があれば充分に間に合うだろう。
その後の事は、着いてから考えればいいだろう。
「琴乃、死ぬなよ!!」
俺は海沿いの道を走り出した。
時間が止まった空間に海の潮の香りがする。
海岸通りには空中で停止したカモメが数羽飛んでいた。
目の前に横断歩道と信号機が近づいてくる。
信号を右に、思い切り姿勢を倒してカーブを切った。
赤信号だったが、時間が止まっているから関係ない。
車の列をすり抜けて走る。
やがて緩やかに見えた坂は勾配を上げていく。
そのまま行くと次のカーブが曲がれない。
ブレーキペダルに力を入れて、歩行者の列をやり過ごす。
行き止まりを左に曲がると、線路。
4両編成の貨物車が前に見えてくる。
その列車を追い抜くと、警告音の鳴っていたであろう踏切があった。
当然に待つ必要なんてない。
結衣は下りかけの遮断機の下を潜り、線路内に入る。
左に振り向くとさっき追い抜いた貨物車が見えた。
「琴乃、頑張れ。もうすぐだ」
踏切を横切り下りかけの遮断機を超えた目の前に聖神大学附属病院の大きな看板が見えて来た。
「そろそろ動き出すぞ」
未来の俺がタイムリミットを伝える。
だいたい感覚的な時間と寸分違わない。
後ろから踏切の警告音が聞こえてくる。世界はまた動き出した。
慌てて救急搬送用の入口で自転車を止めた俺は、琴乃を抱きかかえて入口から入った。
「どうしました」
「友達が……、撃たれた」
「お願いします、助けてください」
「えっ、撃たれたって、どこで」
受付のおばさんが不審げな顔をしながら聞いてくる。
こんなところで話している時間なんてないのに。
俺の焦りを察したのか受付に白衣の男が近づいてきた。
高井龍介とネームプレートに書かれた男は、理由なんて後で聞けばいいだろ、まずは人命優先だと言って琴乃を簡易ベッドに寝かせて手術室に入った。
手術中のランプが赤く灯る。
1分、2分、重苦しい時間がゆっくりと流れる。
暫くすると病院が連絡をしたのか琴乃の両親がやって来た。
「結衣くんか、琴乃を連れてきてくれたのは」
疲れた表情をしながらも、琴乃の両親は深く頭を下げた。
「いえ、僕は当たり前のことしただけで」
無言で手術室の前で待つ三人。
時間だけがゆっくりと流れていく。
緊張がピークに達した琴乃のお母さんが、席を立ち自動販売機で三人分のコーヒーを買ってきてくれた。
結衣に手渡しながら、
「琴乃は、ずっと結衣くんが好きだったのね」
と独り言、肯定も否定も求めていない台詞だった。誰に問いかけているわけでもないことが分かった結衣は、コーヒーの礼を言ってグイッと飲んだ。
「カチカチカチカチ」
時計の針を見ると琴乃が入って1時間ちょうどで目の前の手術中のランプが消えた。
結衣は慌てて席をたつ。
「琴乃は大丈夫なんですか」
手術室を出てきた高井に慌てて詰め寄る。
高井はこちらを一瞥したのちに
「病院ではお静かに」
とだけ答えて行ってしまった。
「琴乃、今日は入院になるらしいの」
「結衣くん、ありがとうね、今日はずっといても琴乃には会えないと思うから、帰った方がいいかも」
診察室を出てきた母親がこちらをちらりと見ながら、琴乃が助かったことと、会うのは難しいことを伝える。
どうやら運が良く、臓器の部分を外れて、何もないところを貫通したようだった。
血はたくさん出たが、今は完全に止まっているので1週間くらいで退院できるのだそう。
良かった、また死なずに済んだ。
ここで長くいても浮いてしまうので、琴乃の両親に別れを告げて結衣は帰宅をする。
帰る道すがら、未来の俺が話かけてきた。
「なあ、琴乃は助かるのだろうか」
「助かったんじゃないのか」
「それはそうなんだが」
何か釈然としない言葉が耳に残った。
◆◆琴乃視点◆◆
夢を見ていた、悪夢だった。
わたしは幾度となくサングラスの男に押され列車から突き落とされる。そして、身体を列車に打ちつけられ、身体をえぐられる痛み……、電車のブレーキ音、繰り返される何度かの悲鳴の後、夢から覚めた。
慌てて体を起こした。右脇腹に激痛が走る。
「いたたたっ」
「琴乃、良かったあ」
「お、おかあさん」
びっくりした。目の前の知らないベッドに寝かされて、わたしの手をぎゅっと握った母親がいた。
母親は、ずっと泣き腫らしてたのか目にはっきりとクマを作り、涙の跡がついていた。
「もう起きないんじゃないかと……」
そうか、わたしあの時撃たれたんだ。
サングラスの男、轟く銃声、身体に激痛……、そのまま、道端でうずくまっていたところまでは覚えていた。
その後どうなったのか分からない。
ただ、誰かの叫び声を聞いたような……。
ゆい、……くん、ここで意識が途切れたんだ。
「助けてくれたのは、ゆい……、くん?」
「そうよー」
「お隣の結衣くんが病院まで連れてきてくれたの」
やっぱりそうだったんだ。あの時駆け寄ってきたのは結衣くんだったんだ。ということはわたしが来るのを待ってくれていたということになる。
顔が熱ってきた。深刻な事態だったというのに、なんて単純な反応なんだろう。
それにしてもあの血の量、一気にソースをこぼした時よりも出ていたと思う。
あんな状態でよく助かったなと思う。脇腹の血糊の量から考えて動脈が切れてたかもしれない。ここの病院まで自転車を使っても10分。さすがに10分も持たないんじゃないだろうか。
救急車を呼んだ可能性もあった。しかし駅前通りは混雑していて、救急車両はかなり時間がかかると聞いたことがある。すぐに来る可能性は低かった。
助かったのは、運が良かっただけなのだろうか。
なんか釈然としなかった。
それにしても、結衣くんのおかげだ。本当に感謝しても仕切れない。もし結衣くんが来なければ、確実に死んでた。考えただけで背筋に冷たいものが走る。
それと同時に胸がドキドキとした。
(結衣くーん、……大好き。前までも好きだったけれども、このまま結婚式を挙げたい勢いである)
にへらーという顔、その表情を母親に見られる。
真っ赤になって慌てて隠した。部屋が暗いので見えていないかも知れないけれども、あんまり見られたくはなかった。
「もうちょっと寝てなさい」
気づいたか気づいてないか分からないが母親は優しい声で髪の毛を触った。
なんかわたし子どもに戻ったみたいだ。
「わたし、もう高校生だよ」
「高校生でも、わたしにとってはまだ子供……」
「警察にお父さんが被害届出してくれてるけど、暫く登下校は気をつけた方がいいと思う」
そして、少し考えてから、
「私が一緒に登校できればいいのだけれども……」
「毎日というわけには行かないから」
「大丈夫だよ」
「……」
「そうね、結衣くんがいるものね、今朝も何隠してるのかと思ったら」
「この、色気づきおって」
頭をコツコツと叩く、ちっとも痛くないけれども、
「お母さん……、いたいよー」
照れ隠しに言った。
大変な1日だった。
しかし、起こったことのわりには、琴乃はホッとしていた。
確かにあの男はまた、わたしに近づいてくるかも知れない。ただし、あそこまで騒ぎを大きくしてしまったのだ。流石に警察も限界態勢で警備にあたるだろう。
なんと言っても今回のは殺人未遂だ。
警察は大したことのない事件の時は殆ど動いてくれないが、事件性が高くなってくると多くの人員で警備にあたる。
それに、と思う。
これからは、結衣くんと堂々と登下校を一緒に行ける。両親に見つかったらとか、本当今までの考えがバカバカしくなった。
少し安心したら眠気が襲ってくる。
「わたし、もうちょっと寝るね」
わたしの言葉に母親がおやすみと優しく髪をさすった。嫌な気はしなかった。
電気の消えた夜中の病室前。
走る影が一人。
どこから忍び込んだのかピンクと黒の服に長い髪、音を立てずに目的に向かって走っていた。
102号室、103号室……204号室。
「ここか」
目的の病室の目の前に来ると、扉につけられたネームプレートを確認する。
204号室 白石琴乃。
見たことのない道具を使い一瞬で鍵を外し女は、病室に入った。




