悪役令嬢 B面
「だからぁ、悪役令嬢はぁ、僕らの夢であり、ロマンなんですよぉ〜わかりますぅ?」
何を考えているのかわからない相手の本音を引き出す手段…魔法・薬・暴力と色々考えついたが、手っ取り早くて一番安全そうだと試した方法が大当たりしてしまった。用意した蒸留酒の瓶にはまだ並々と中身が残っているのに、フェリクスは既にへべれけである。
「わかるわけないでしょ。説明しなさいよ」
「しょうがないですねぇ。他ならぬ悪役令嬢のアデリナ様ですからぁお話しするんですよぉ〜」
「誰が悪役よ」
失礼な男だと、苛立ちを抑えながらアデリナは彼女にしては根気強く酔っ払いの話に耳を傾けた。
婚約破棄の現場に割り込んできた男は、大声で愛を叫んだくせにその後はオドオドと目を合わせる様子もなかった。王城から叩き出されて質素とシンプルが行きすぎて粗末に落ち着いたような馬車に同乗させられたアデリナは、ふと作りの割には快適な乗り心地であることに気が付いた。
「この馬車、妙に揺れないわね。なぜ?」
「アッ?ソッ、ソレハ、サス…ペンションの構造が少し違うからですね。この世界の馬車のサスペンションは板バネで出来てるんですけど…あ、板を重ねて作ったやつですね。この馬車はそれを楕円形になるように重ねたものを使ってます。あと座席の中も板を重ねてコイルスプリングを仕込んでます。そんな感じでお金をかけたら、内装がこう…なんというか」
「みすぼらしいわね」
「あはは」と頭を掻いて苦笑いする青年に、イライラとしながらアデリナが言い放つ。
「お金がないなら、そのサスなんとかいう仕組みを売ればいいでしょう?」
「うーん。でも既存のものを少しいじっただけですからねぇ。ダンパーとか作れたら売れるかもしれませんけど…アッ、大丈夫ですよ。アデリナ様のドレスを買うくらいのお金はありますから。次の街で宿を取って、それ着替えましょう」
パーティ用の青いシルクのドレスは確かに窮屈で、アデリナは素直にフェリクスの言うことに従った。
公爵令嬢である彼女はいままで既製服を買ったことなどなかったが、店にまで赴いてトルソーに着せられた服を見るのは意外にも楽しかった。
そんな中で「これなんかどうですか?」とフェリクスが指さしたのは目が覚めるような赤いドレスで、金髪の彼女には誰も勧めない色だった。物言いたげに眉を顰めた店員を無視して試着すると、フェリクスは眩しいものを見る様に目を細めた。その反応になんとなく、ほんの少しだけアデリナは気をよくしてそれを買わせた。予算はオーバーしていたようだが、自分で言ったんだから文句はないだろうと。
やっと着いたフェリクスの故郷はど田舎で、訛り倒していている領民たちはアデリナの言うことを聞かなかった。クサクサとしながらそれでも草むした土地を視察していたアデリナはこの田舎では珍しく大きめな建物を見つけた。
「あそこはなに?」
「蒸留所です。ウイスキー作ってます」
乗り込んで試飲したアデリナは「なにこれ…すごくいい香り」と目を見開いた。。「飲みすぎないでくださいね」と慌てながらフェリクスが説明する。
「以前この辺の人たちは自宅でお酒を作っていまして、そういうの役人さんに見つかると税金とかの関係でまずいんですけど、なかなかやめてくれないんです。じゃあどうせならもっと美味しいものを、領主主導で作ってもらおうってことになりまして。まだ始めてから10年くらいなので若いお酒しかないんですけど」
「あなたがはじめさせたの?」
「はい。この辺は水が豊富だからいけるかなと。でも当時は子供でしたので父と兄がほとんどやってくれた感じですねぇ」
「これを領地の外で売ろうとは思わないの?」
「まだ始めたばかりで若いですし、量もないので考えてないですねぇ。それに正直、僕はウイスキーの美味しさってわからなくって」
「あはは」と笑う青年は、アデリナには意味のわからない生き物に見えた。その様子を眺めていた領民たちが「領主様は変ちくりんな人だでねぇ」「よその人にはわからんずら」と口々に頷いていた。
お酒も美味しかったが、この領地は料理も美味しい。そうアデリナは思っていたが、その日の晩はいつも以上に何かがおかしく、皿の上に薔薇の花が咲いていた。「今日は何かの記念日なのかしら?」と、王宮でも見たことのないくらい美しい盛り付けを眺めていたアデリナは、給仕をするメイドに尋ねた。
「フェリクスはどこにいったの?」
いつも対面で食事をしている男がいない。別に一人の食事が寂しいわけではないが、せっかく料理長が張り切っているのなら、それを味わうのも領主の勤めだろう。ワインの香りがする赤い花弁を丁寧に重ねて薔薇の形にしたそれは、見た目もいいが味も素晴らしかった。
「領主様なら厨房で料理をしておりますよ」
珍しく訛っていないメイドから、今日は料理長が有給休暇とやらを取っていること、そのせいで朝からずっとフェリクスが仕込みをしていたこと、それが使用人にとってはちょっと迷惑なこと等々を聞き出したアデリナは、厨房に押し入った。
「お口にあいませんでしたか?レシピでは土台にはフォアグラを使うのですが、手に入らなくて鳥レバーで代用してしまったせいですかね…」
肩を怒らせてやってきたアデリナを見て、フェリクスはしょんぼりとしていた。
「そうじゃなくて!なぜ領主自ら料理なんてしているのよ!」
アデリナの言い分に今度は虚をつかれたように目を丸くしたフェリクスは、ベラベラと話し出した。
「いやぁ、一度作ってみたかったんですよコレ。今日は料理長がいないから好きに厨房を使えるぞって思ったら、いてもたってもいられなくて。ピューレ状にしたビーツを花弁の形に焼くんですけど、それがなかなか難しくて随分時間がかかってしまいました」
だから何故そんなことに手間を掛けるのかと詰め寄られたフェリクスは、しどろもどろになりながらついに白状した。
「あなたには赤い薔薇が似合うかなって…」
赤い顔をして下を向いてしまった彼に「だったら、こんな所にいたら意味ないでしょう!一緒にいなさいよ!」と、つい言ってしまった彼女を、使用人たちが生温かい目で見守っていた。
フェリクスが仕事で出かけた日、使用人が元々少ない伯爵家の廊下をアデリナは彼女にしてはコソコソと歩いていた。この家に来てから既に1年以上経っているので、たとえ使用人に見られても彼らは特に気に留めないだろうが、これからしようとしている事の後ろめたさが彼女をそうさせていた。
目的地は伯爵の執務室。部屋の主人の心持ちを表すように、鍵のかかっていないドアはあっさりと開いた。手始めにと開けた机の引き出しに目的のものを見つけてしまい、アデリナは拍子抜けした。
王家の封蝋が施された手紙。日付を確認するとアデリナがこの地に来てすぐの頃のものだ。中身を軽く確認すると思った通りの不快な内容で、彼女は眉を顰めた。破ってやりたかったが流石にバレてしまうから、そのままそっと元に戻した。
手紙は第二王子からのものだった。内容は「アデリナを保護するように」というものだが、要するに「お前は絶対に手を出すな」ということだ。いつまでも婚約者のまま、自由にさせてもらっているようで、その実はよそ者として距離を置かれているのはこの為かと彼女はため息を吐く。おそらく第二王子は公爵家の後ろ盾を無くした現王太子を追い落とした後、アデリナを妻に迎えて自分の地盤を盤石にする気なのだろう。
王族の命に逆らえば、伯爵自身だけではなく領民だって危うくなる。だからこの命令にフェリクスは逆らわないと、アデリナは確信できる。当たり前のことだしそれでいいのだけれど、寂しく思う自分に彼女は少し動揺して、その日は部屋に引き篭もった。
アデリナの元気がないと使用人から聞いたのか、帰宅するなりすぐにご機嫌を伺いに来たフェリクスに彼女が突きつけたのは酒瓶だった。
「飲むわよ!」
くすねてきたこの町で作られたウイスキーをどかりと置いたものの、飲み方がわからないアデリナに代わって結局フェリクスが色々用意した。氷室から取り出した氷と炭酸水が机に並んだ。
「パチパチしてるわ。シャンパンみたいで不思議ね」
「炭酸水はぁ〜クエン酸と重曹を混ぜるとぉできるんですぅ〜。クエン酸はぁ〜レモン果汁に炭酸カルシウムをぉ混ぜてぇ、あっ炭酸カルシウムはぁ卵の殻とかからぁ〜」
聞いてもいない説明を始めたフェリクスだが、ウィキ⚪︎ディアで知らない単語が出るたびにリンクをクリックしていった時のように、とっ散らかって収拾のつかない有様になっていた。
「そんなことはいいのよ。それにしても、あなたお酒弱すぎない?」
「ええ〜アデリナ様が飲めって言うから飲んだんですよぉ〜。僕普段は酒は飲まないようにしててぇ、あっこれはむかし兄にお前は飲むなって言われてぇ〜、あっ、父さんと母さんにも言われたかなぁ…」
家族のことを思い出したのか、フェリクスの声が小さくなっていった。突然の事故で彼だけを残して亡くなったということは知っているが、アデリナはあまり詳しく聞いたことはなかった。
「今日は洗いざらい話しなさい。あなたのことを全部ね」
肩を落とす姿に苛立ちすら感じて、アデリナはフェリクスの口元に無理矢理グラスを押しつけた。
「父さんも母さんも兄さんも、これはぜったい誰にも言うなって言うからぁ、僕今まで家族以外には言ったことなかったんですよぉ〜」
そんな前置きで、だが滑らかすぎるくらいペラペラと話したフェリクスの話は、やや信じがたいものがあった。
彼曰く、前世の記憶がある。その前世はこの世界より発展している。彼はその世界での知識を転用しているという。
信憑性を疑う話であったが、安普請なのに乗り心地のいい馬車も、妙に美味しいここの食事も、その恩恵を受けているのかと、パチパチと弾ける炭酸水の泡を味わいながらなるほどとアデリナは頷くものがあった。
「それでぇ、アデリナ様がぁ、婚約破棄された時にぃ気がついたんですぅ。ここ漫画の世界だってぇ」
更に怪しいことを言い出したフェリクスに、今度は流石に頷けずにいたが酔っ払いの話は続いていた。
「ふぅん…私が婚約破棄されたくらいで魔族風情に唆されてこの国を滅ぼすと、だからそれを止めたくてアンタはあそこに飛び込んできたってわけね」
酷く不愉快な気持ちでアデリナはフェリクスの話をまとめた。胸の中が重くなってふざけないでと声を上げたくなったが、何に怒っているのか自分でも整理できずに、アデリナはただ黙ってしまった。そんな彼女の胸中など知る由もない酔っ払いは呑気に話を続ける。
「そうなんですけどぉ、そうじゃないんですぅ〜」
「どういうことよ…」
「アデリナ様はぁ、悪役令嬢でぇ、悪役令嬢はぁ、僕の心の支えっていうかぁ、推しなんですう!」
沈んでいた気持ちも吹き飛んで、心から「はぁ?」と低い低い疑問の声を上げたアデリナに、フェリクスは熱い気持ちを切々と語り始めた。
「悪役令嬢モノというジャンルはですね、本来は悪役として逆境に置かれたヒロインが、数々の困難を乗り越えて自らの手で幸せを掴むんです。そこに僕らのような読者はカタルシスを感じるわけですよ。ここまではわかりますか?」
「ああ…まぁ、そうね」
“悪役令嬢”という概念について滔々と説明されるに至って、アデリナは投げやりな気持ちになっていた。
「あなた私のことを悪役令嬢と言うけれど、その条件なら私は当てはまらなくないかしら?だってその物語では魔族に利用されるだけだし、内政チート?でしたっけ、それもどちらかというと、あなたの方が…」
彼の言う悪役令嬢は斬新なアイデアで領民に富をもたらす存在らしい。それで言うならフェリクスのほうが当てはまっているだろうとアデリナは純粋に思ったことを口に出したのだ。
「え?僕は男ですよ。知りませんでした?」
「見ればわかるわよ!バカなの!?」
声を荒げるアデリナにフェリクスが目を細める。彼がたまに見せる眩しいものを眺めるようなその顔は、アデリナに色々期待させてきた。今このタイミングでされてもなと思わなくもないが。
「アデリナ様は悪役令嬢ですよ。来たばかりのこの土地のいいところを探してくれたでしょう?領民が味方にならなくても気にせずに…挫けもしなかった。このお酒だってどこかに売り込もうとして、くすねてきたんでしょう?」
うぐっと黙り込んだアデリナに「やっぱり」と笑うフェリクスは、年齢以上に大人びて見えた。
「僕の前世は今と同じで家族もいなくて、日々の仕事も辛くて、でも悪役令嬢の物語に勇気をもらっていたんですよ。自分の力で未来を切り開くヒロインは…“悪役令嬢”は、夢とか希望とかそういうものの象徴なんです。僕も家族を亡くしてからずっと…無くしていたものを…あなたが…」
息を呑んで話を聞いていたアデリナは、だが俯いたフェリクスが規則正しい寝息を立て始めたことに気が付いて脱力した。
「なんでこの肝心なタイミングで寝るのよ!」
ビシビシと殴ってもまったく目を覚ます様子のないフェリクスの、ボサボサした茶色の髪をアデリナは諦めたように撫でたあと、仕方なくこの領主をベッドに運ぶようにと使用人を呼びにいったのだった。
3年という月日は長いようであっという間だった。
ついにやって来た第二王子にアデリナは大人しく従った。王子に手を引かれるアデリナを見つめるフェリクスの顔は、誤魔化しきれない感情で少し歪んでいて、それは彼女に束の間の満足を与えた。
アデリナには王子妃教育で得た知識があった。荒唐無稽に聞こえるフェリクスが前世に読んだ物語を否定しなかったのもそのせいだ。建国王が従えていた魔族は、王に相応しい大いなる魔力を持つ者が従えれば国益をもたらすが、心の弱さを見せれば飲み込まれてしまい王国を滅ぼすことになる。だからこそ建国王の死と共に封じられることになったのだと、王家に伝わる文献に書かれていた。
王宮に着いた彼女は第二王子を早速撒いて、建国王の墓を訪れた。
これから自分のすることは賭けだと、彼女は封印の解かれた石碑を前に生唾を飲み込んだ。
もし、魔族を甦らせることができなかったら。
もし、フェリクスの読んだ物語の自分のように、魔族に取り込まれてしまったら。
…もし、彼の気持ちが自分になかったら。
だが迷いは、すぐに無くなった。彼はアデリナのことを“悪役令嬢”だと言ったのだ。悪役令嬢とは自分の手で自分の幸福を引き寄せることの出来る者。そのついでにフェリクスを、あの家族を亡くした孤独を抱える男も救ってやろうというのだ。
「私の幸福な人生に付き合わせてあげるわ…ありがたく思いなさい!」
アデリナは世界に宣言するように足を踏み出したのだった。
それから先は拍子抜けするほど簡単に進んだ。
建国王が従えた魔族は難なくアデリナを主人と認めた。「教えたでしょう?餌が欲しければ何て鳴くの?」と踏みつけるだけで、喜んでアデリナのために働くのだ。
邪魔くさい王家をサクッと追い出し玉座につくのにも何の抵抗もなかった。そもそも無能の極みな第一王子と、それを廃するのに何年も掛ける臆病な第二王子に、臣下達は失望していたらしい。そこに現れた血筋も能力も確かなアデリナは、大歓迎で迎えられてしまった。
こんなんでこの国は大丈夫なの…と思わなくもなかったが、アデリナにはそれ以上の気掛かりがあった。
満を持して迎えに行かせた彼女の“気掛かり”は、気絶した状態で後頭部にでかいタンコブをつけて簀巻きにされゴロリと床に転がされた。連絡ミスがあったらしく、罪人のように連れられてきたフェリクスに彼女は血の気が引いた。
どんなロマンチックな再会を演出しようかと浮き足立っていた気持ちが急速に萎んでいく。いくら人の好いフェリクスでも、ぶん殴ってふん縛って床にゴロンするタイプのサプライズには、驚きより怒りが勝つんじゃないかと。とりあえず簀巻きを解いて傷を魔法で癒していると、意識を取り戻した彼の目が開きそうになって、慌てた彼女はなぜか、玉座にふんぞり返った。
それから先は本当にロマンチックとは程遠くて、アデリナは自分の言動に内心頭を抱えたくなったけれど、でも最終的に彼女はとても満たされていた。
「ずっとあなたのことが好きでした。僕と結婚してください」
まったく飾り気がないけれど、嘘もひとつもない真摯なプロポーズはとてもフェリクスらしい。すごく嬉しいのに素直に返せない自分を笑って受け入れてくれる彼と、これからもっと幸せになるのだとアデリナは期待に胸を膨らませる。だって“悪役令嬢”というのはそういうものだとフェリクスが言い、その彼が隣にいてくれるのだから。
女王として君臨したアデリナは、やがて建国王の再来と称されるようになった。
最初は従者のようだと言われていたフェリクスも、女王の手で容赦なく磨かれて皆が認めるような王配となった。革新的なアイデアを持つ王配と、そのアイデアを形にして浸透させていく女王はとても相性が良く、国民達にも愛された。
惜しまれながらも譲位した後は、フェリクスの故郷に二人で移り住んで静かに余生を送った。そのころには彼の作った蒸留酒は国の誇る名産品となっていたが、彼は生涯女王の前以外で飲酒をしなかった。二人でお酒を飲む時、フェリクスは決まって同じことを話題にしたらしい。それが”悪役令嬢“のことだと知っているのは、この世界でアデリナだけだ。