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鳥は彼方へ飛び去った(上)

僕にとっての昔流行った曲に、身体を構成する元素は全て鳥であると歌ったものがある。どんなに閉じこめようとしても、外に出たがると。成程と思う。鳥は外を飛ぶものだ。


 急上昇を続けるエレベーターの座席でまどろんでいると、不意に声をかけられた。

「ご一緒してもいいですか」

 ボックス席の前に、少女が立っていた。足下の荷物をどけてスペースを作ると、一礼して対面に腰を下ろした。

 席についてしばらくして、彼女が丁寧に切り出す。

「どちらからいらしたのですか」 

顔を上げて目を合わせた。曇りのない素直な瞳がそこにあった。

「M層の3万1千2百階」

「だいぶ遠くからいらしたのですね。私はK層の2万7千8百階で――このすぐ近くです」

 そう言うと、高くもなければ低くもない等身大の声で喋り始めた。ありのままの声音が彼女の輪郭を精巧に形作った。

 長く長い何かをしている途中。そんな空気を纏っていた。

 喋っている内容は次の瞬間には忘れてしまいそうな、他愛のないものだった気がする。

 何とはなしに話を聞くうちに、耳鳴りと共に意識がはっきりとしてきた。喧しく客車の車輪が壁のレールと擦れる音に混じって、ヘッドフォンから澄んだ歌声が聞こえてきた。疾走感あるアップテンポなのにどこか空虚で、寂しさを含む音色だった。どこかに何かを置き忘れてきたかのようだ。手元のプレイヤー画面を見れば、トラックはだいぶ先まで進んでいた。

 彼女が覗き込む。

「何を聴いていらっしゃるのですか」

 再び尋ねられ、視線を合わせた。たまたまエレベーターで同じボックスだっただけなのに、どうしてこうも興味を示すのか。若干の驚きを持ちつつも、ヘッドフォンの片方を外し、手渡した。彼女は両手で受け取ると、髪を掻き分け耳に当てた。

「『電子の鳥』ですか。ガブリエルの」

 また驚いた。廃盤どころかオリジナルのアナログデータも消失した、かれこれ半世紀以上前の曲を知っているとは。

「どこで聴いたんだ? 『電子の鳥』なんて」

 思わず身を乗り出した。

「両親がガブリエルのファンで、物心ついたときからよく聴かされました」

「これを我が娘に――変わってるね、君の御両親は」

「そういうと貴方も変人になってしまいますよ? わざわざ聴かせてくれるなんて」

 わずかに笑いを含んで返される。言われれば、否定はできない。僕もこの『電子の鳥』が好きだったし、プレーヤーに入れた数千の楽曲の中で一番再生数が多いからだ。  

そういえば数千曲入れているとはいえ、その中で普段から聴く曲はせいぜい数十にとどまっている。プレーヤーには順番に聴くだけで一生かかりそうな曲数が入るようになったものの、個人用としては果てしなく巨大な記憶媒体を埋め尽くすほどに聴く音楽があるとも思えない。     

 手元のプレーヤーを見る。端子接続されたヘッドフォンは途中で二つにわかれ、片方は彼女へと続いている。

「決して使われることのない記憶領域か」

「? それはどんなところなんでしょうか」

 知らず知らずのつぶやきが引っかかったのか、彼女がきいた。

「記憶の埋め立てられたところから見て、ただひたすらに遠いんじゃないのか」

 これから行く場所を想像して何となく答えただけだったのだが、彼女はそれで合点がいったようだった。

 そうこうしているうちに曲はもうすぐ終わろうとしていた。曲の最後はフェードアウトで、息の長いストリングスが続く。次第にエレベーターの駆動音が曲を飲み込んでいって、そろそろ曲を変えようと液晶パネルに手を伸ばした。

「最後まで聴いていいですか」 

 伸ばした手が止まる。

 トラックの残り十数秒、耳を澄まして聞こえるか否かの時間を譲りわたすと、彼女は目を閉じた。僕ももう片方のヘッドフォンに耳を傾ける。

 何かを置き忘れて、でも振り返ることができずにひたすら疾走する旋律は細り、やがてどこかへ霧散した。


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