プロローグ 竜人の赤子
ヌアザ大陸の西にある大沼の中を長衣の夫婦が歩いていた。夫婦はこの沼地に住んでいた。今は呪術師の夜会から帰る途中だった。
「どうしたの?」
突然歩みを止めた夫に妻は聞いた。
「夜泣きが聞こえる。」
夫は耳を澄まして答えた。妻も耳を澄ますと、確かに聞こえた。それは人とは思えぬ声量だったが、夜泣きであるのが不思議と分かった。
「あっちからだ。」
夫は大沼の東に歩いていく。妻もその後を追った。夫婦は夜泣きのする方に進んでいくと、やがて開けた場所に出た。そこは人里離れた竜人の里と人里の境目となる場所で、真ん中にある要石より先に行くと入った者の里のルールが適用されなくなる。そんな要石の人里側に一人の赤子が置かれていた。
捨て子かと思った妻は近づいて赤子の顔を見た。そしてその場で「ああ!」と叫び、後ろに転倒しそうになった。夫がすぐに支えになって無事だったが、妻は赤子を見たまま固まっていた。
「どうした?」
「この子…」
妻は赤子を夫に見せた。そして夫も驚きを隠せなかった。
「クルルルル…」
その赤子は紛れもなく、竜人の幼子だったのだ。金色の鱗を纏った竜の赤子は妻に抱かれて泣き止み、そしていつの間にか眠っていた。
「どうして人里の境にこの子が……」
「捨てられたのだろう。」
妻が疑問に思っていると、夫が答えた。
「竜人族は皆火を体内に飼い、吐く。それが出来ぬものは迫害するのが竜人の習わしと聞いたことがある。この赤子からは火が感じられぬ。だから捨てられたのだ。」
「かわいそうに……」
妻は同情するように言った。すると夫がとんでもない提案をしてきた。
「この子は我々で育てよう。」
「え?しかし私たちは人間……」
「確かにそうだが、我々呪術師は社会からは嫌われ者の存在だ。誰からも文句は言われまい。」
呪術師とはそういうものだった。古来の賢者を始まりとした魔術や神を信仰して得られる祈祷術は清く善きものとして扱われているが、呪術の祖は神に仇なす者と咎められ、魔術と信仰のこの世界で呪術師は異端の対象だった。
「それに呪術とは子々孫々に受け継がれていく業。だが我々は子に恵まれなかった。これはきっと何かの運命なのだろう。」
夫は妻を説得するかのように言った。妻もそれを聞いて納得した。
「そうね。この子は私達で育てましょう。名前はどうしようかしら?」
「そうだな…」
夫は少し考え、そして一つの名前が思い浮かんだ。
「金色の竜だから、オーラムはどうだろう?」
「オーラム。この子に似合う名前ね。」
夫婦はオーラムと名付けた赤子を見つめていた。
「オーラム。お前は今日から我々の子だ。我々は種族の垣根を越えた家族だ。」
こうして夫婦は竜人の赤子、オーラムを家に連れて帰ったのだった。




