6/5 その日の準備
調理器具の用意などは生徒会の一部がやってくれる、とのこと。安岡が嫌がっていた通り部活対抗戦が有る度に借り出されるのはかなり大変かもしれない。最低限、足りないものがないかだけは確認しておかなければならない。直前に伝えて勝負が無効になるとは考えにくいからだ。
「よっ、準備はどう?」
「まずまずかもな」
そうして俺が昼休みにやってきたのは、勝負現場となるいつもの調理室。すぐに取り出せるように調理器具を洗っていたり、ギャラリーの為の椅子を用意したりと生徒会の一員が忙しそうに動き回っている最中だった。
「今まで料理もしたこと無かったからな、部員としてはサボり過ぎていたかもしれん」
「多分糠床をかき混ぜる所から始まってたと思うよ僕達は。勉強も忙しかったし、白石先輩はどうやって時間作ってるんだか」
そうして訪れるは沈黙。周囲に居るのは生徒会の人達だけなので、全くの無音ではないのだが。
そんな俺の様子を察したのか指月の方から切り出してきた。
「やや緊張気味?」
溜息一つ。恐らく、事実かもしれない。
「……多分な」
ふむ、と息を吐いてから鞄から何かを取り出す指月。白石先輩が届けてくれって、と言いながら俺に差し出したのは水筒。恐らく不思議な顔をした俺だが無言で受け取り蓋を開けてカップに注ぐ。
注いだカップから、白湯気が一気に立ち込める。匂いは余り嗅いだことの無いようなもの。強いて言えば、やや香草っぽい匂いもするが。
ふむ、と少し冷ましてからグイと一気に呷る。口から通った、ミントのようにどこかツンとした、でも決して強烈でなく柔らかい香り。ほんの僅かだが甘みのような感覚も覚える。
「これは、一体」
「緊張に効くハーブティーだってさ。もし良かったら安岡さんにも渡して下さい、ってよ」
「一応は俺達料理部は勝負相手なんだが。敵に塩を送るつもりか、あの先輩」
そう疑問を口にすると、指月は面白がるような様子で続けた。
「これは白石先輩の提案じゃなくて、漬物部全員での提案。立花先輩も多分今日は見に来てくれるよ」
「……ますます訳が分からない」
「勝敗自体に意味が無いってことは無いと思う。だけどこうやってお互いの全力を示すことが大事なんじゃないかな」
「どちらかに不利な状況で勝っても意味が無いってことか」
「ちょっと違うかな、ええと」
しばらく、考えこむ指月。この様子は一緒に勉強会をしていた時を思い出す。
「選手宣誓ってやつ。戦いの場ではお互いが敵でも、戦いが終わったら仲良くしようっていう」
「…………それは多分スポーツマンシップ」
そうそうそれそれと相槌を打つ指月。まぁ、確かに似たような物事では有るのだが。
もう一杯注いで、ゴクリと飲む。やはり今までに飲んだことの無い飲み物だと改めて実感する。指月に飲むかと尋ねるも、さっき部室で飲んできたらかと言われた。そうか、と言ってもう一度香りをかいで見る。
緊張に効果あり、か。俺自身気がついていないが緊張しているように見えたのか。少々意外だった。
「隠してもバレるもんなのかねぇ」
「この一週間、クラスでもどこか心ここにあらずって感じだよ。土筆さん情報も有るけど」
土筆んぼうにも看破されていたとは、俺はそろそろポーカーフェイスの練習でもしたほうが良いかもしれない。ラスベガスあたりで本場の空気を感じてきたらどうにかなるだろうか。
「あっ今驚いた顔してたでしょ-!」
「本当に表情に出やすいのな、俺」
やれやれ、とでも言いたい気分だ
「表情に出やすいってことで聞きたいんだけどさ」
「おう」
指月が真剣そのものといった表情になって、こちらに問いかけてくる。
「4月末だっけ、あの時に何か合ったの」
「――――。」
口を開くかどうか、本当に悩んでしまった。猶予時間を与えられたことを感じ、暫く考えてみる。
「……むぅ。悪いな、やっぱり今は言えない。今はだけど」
「そっか」
表情を崩し、ごめんね本番前にと言ってくる。
「そうだな、指月にも土筆んぼうにも白石先輩にも秘密にしていることがある。だけど、当面は言えないと思う」
「理由があるんだよね。なら、これ以上は聞かないさ。ほれ、もう一杯」
指月に煽られもう一杯注ぎ、ゆっくり飲む。こう飲み過ぎると本番前にトイレが近くなりそうだが。
「…………漬物部の準備は良いのか」
我ながら、露骨な話題そらしだと思った。だが指月は乗ってくれた、そこが彼の優しい所なのだろう。
「忘れてた、ここに決戦兵器を持ってこようと思ってね」
俺も存在を忘れていた。だが決戦兵器というほどのものか。
「白石先輩と笹方は一体何を用意しているんだ」
「僕も良くは分からないなぁ、実際に準備しているのを見たわけではないから。だけど、用意している時に必ずマスクをつけているのは見かけたよ」
「匂いがするものだとギャラリーに被害が及ぶと思うんだが」
アハハ、と指月は笑ってみせる。
「それはそれで漬物部の名前が広まるから良いんじゃない、匂い攻撃の主犯として有名になれる」
「俺は困るんだが、というかそれで部員が増える余地はあるのか」
「……料理部には増えるんじゃない?」
……確かに。まぁ、今回はそれが目的なのかもしれない。
安岡先輩のを鑑みて、次を最後の一杯にしようと飲む。もう、緊張は解けただろうか。




