第38話 仲間と囚われになった俺が、お茶会に参加する話。
トヲル達が閉じ込められているこの異空間の主であるアリス・ブラックホース。
扉の陰で黙ってこちらを見つめる彼女の様子を固唾を飲んで見守っていると、彼女は口を開いた。
「ごきげんよう」
見た目相応の、軽やかな声音だ。
トヲル達は拍子抜けしたように挨拶を返す。
「ご、ごきげんよう……」
「そろそろお茶のお時間なの。お姉さん達もご一緒にいかが?」
思わず答えに詰まってしまう一同のなか、クロウが片手を挙げて応じた。
「ありがとう、いただくよ」
「ちょっとクロウ……!」
アイカがクロウの袖を引く。
「だってこのままこうしてても埒が明かないし……?」
「さすがにこんなよく分かんない場所で飲み食いするのは危険でしょ」
「……いや、アイカ。わたし達をここに連れ込んだ彼女がもし害意をもっていたのなら、すでに今の時点で無事では済んでいなかっただろう」
ディアナが冷静な声音で言った。
「相手の思惑を探るためにも、ここは話を合わせてみるのも手だ」
「おれも異論はないぞ! これからどうするか、一度落ち着いて話してみるってのも悪くない。だろ、ゾーイ」
ヴィルジニアもそう言ってソファでくつろいでいる。
ゾーイは真剣な表情でうなずいた。
「マーガレットの術式が完成するまであと一日しかない――それは逆に、あと一日ある――とも言えるのである。一日というのが何時間かはっきりしないが、それでもある程度の猶予はあると見て良さそうなのである。さっきはゾーイが焦ったばかりに、下手を打ってみんなを巻き込んでしまった。失敗を繰り返さないためにも、次の手はしっかり考えて動きたいのである」
「別にゾーイのせいでもないだろ、おれ達も揃ってこんなんだしな! 向こうが一枚上手だったってだけだ」
「……みんなこう言ってるし、いい機会だから仕切り直そう、アイカ。それにお茶の席を一緒にすれば、何かここから脱出するヒントを教えてくれるかも知れないよ」
トヲルがそう言うと、アイカは大きく溜息をついた。
「楽観的ねえ……まあ、ここから出なきゃ始まんないのは確かだけど」
彼女は視線を扉の陰に見えているアリスに向けた。
「それじゃこの場の六人全員、ご馳走になるけどいい?」
それを聞いたアリスは胸の前で両手を合わせて笑顔を見せる。
「素敵ね、賑やかなお茶会になるわ」
一度扉の向こう側に姿を消したアリスは、自分の身長ほどはあるワゴンを重たげに押して再び部屋に戻ってきた。
ワゴンの上には人数分のティーセットが揃えられ、焼き菓子を並べたケーキスタンドまで添えられている。トヲル達はアリスを手伝ってそれらをローテーブルにセッティングしていった。
華やかにしつらえられたテーブルの様子に、自分が異空間の中に囚われていることなど忘れそうになってしまう。
「それでは、いただきましょう」
アリスの声にうながされて、トヲル達はティーカップに口を付けた。
湯気を立てる熱い紅茶のみずみずしい香りが、鼻へと抜けていく。
「いやあ……やっぱり黒くて苦い謎の汁とは違ってほっとするねえ」
しみじみとしたクロウの言葉にディアナが同意した。
「ああ。普通においしいというのはいいものだな……」
「ちょっと。トヲルのことはディスってもいいけど、コーヒーのことをディスってんじゃないわよ」
アイカがそんな二人を睨みつけている。
「いやアイカは俺の味方をすべきだろ」
トヲルは釈然としない思いでスタンドのフィナンシェを手に取った。
バターとアーモンドの風味がしっとりとした生地によく染み込んでいる。紅茶と合わせると、風味は一層豊かになった。
「うまい……」
「そうだねえ、まるでゼノテラスにある高級店のお菓子みたいだよ」
クロウがそう言うと、アリスが照れたように肩をすくめた。
「本当? 嬉しい、それわたしが焼いたのよ」
「手作り? 凄いねえ」
カップに口を付けたまま、上目遣いにそんな様子を見ていたアイカが言う。
「……ねえ。あんたみたいなコが、何でマーティ・サムウェルに協力してんの? こうしてると何だか受ける印象が違うのよね。どういう繋がり?」
アリスは小首を傾げた。
「……マーティさんのことは、よく知らないわ。あの人はマルガレーテさんのお知り合いなの。マルガレーテさんが、わたしにあの人のお手伝いをするように言うものだからそうしているのよ」
「じゃあ……ロビン・バーンズも?」
「ロビンさんもマルガレーテさんのお知り合い。たぶん、マーティさんよりも古いお知り合いね。名前だけは昔から聞いたことがあるもの」
ヴィルジニアがつぶやく。
「離反勢力を率いていたのはあくまでマーティだったってことで間違いはなさそうだな。エクウスニゲルの事故で味方を失ったあの男はマルガレーテと接触した。それでマルガレーテの力を見込んで再起をはかったって感じか」
「ではきみは、マルガレーテの指示に従っているのか。ここでこうしているのも、彼女にわたし達の監視を命じられているのだな」
ディアナに言われ、アリスは逆の方に小首を傾げた。
「マルガレーテさんに、お姉さん達のことを見ているようには言われているわ。でもせっかくだからお茶とお話をご一緒した方が楽しいでしょう。マーティさんやロビンさんは何をお話しているのかよく分からないの。ずっと退屈だったのよ」
確かに彼らと一緒にいる時のアリスは、見るからに退屈そうにしていた。不機嫌そうだったと言ってもいい。
とするならば、アリスとマルガレーテは、一体どのような関係なのだろうか。
アリスが不意に思い出したように言った。
「ねえ、わたしまだお姉さん達のお名前を聞いてなかったわ。わたしはアリス。アリス・ブラックホース。特性は〈ワンダーランド〉、このお部屋を作ることができるの」
ゾーイは懸命に紅茶に息を吹きかけて冷ましていたが、そこで顔を上げた。
「ゾーイもアイカとヴィルジニア以外のみんなとは初対面だったのである。そろそろちゃんと自己紹介をするのである。あらためて、ゾーイ・リュンクス。特性〈ブラック・ファラオ〉、種族は〈木乃伊〉である。捜しに来てくれて助かったのであるよ」
「〈木乃伊〉……あんまり聞かない種族だねえ。ひょっとしてアイカが苦手な奴じゃない? 血が流れてない、動く屍……」
クロウが言うと、アイカが首を振った。
「ゾーイにはちゃんと血が流れてるわ。動く屍というより、蘇って生きる屍ね」
「……屍呼ばわりは勘弁して欲しいのである」
ゾーイは息を吹きかけて紅茶を冷ます作業を再開している。
よほどの猫舌なのか、一向に飲もうとしない。
「あれだ、〈ヴァンパイア〉は他の種族を下に見てるんだよ。おれも水産物って言われたしな!」
「なワケないでしょ、言いがかりはやめてよね。……〈ヴァンパイア〉が特別なだけよ」
「あ! ほら! 今、ほら! 見下した!」
「うっさいな。とにかく〈木乃伊〉って種族名は、蘇り――IDの再生能力をもとに名付けられた感じじゃないかな」
「再生能力……」
「このコの驚異的な再生能力が無けりゃ、あんな気軽に顔や身体を変えたり戻したりできないわよ。特性〈ブラック・ファラオ〉と種族〈木乃伊〉はなるべくしてなった組み合わせってこと」
ゾーイは感心したように言った。
「アイカは、ゾーイについてゾーイより詳しいのであるな」
「なー? こいつ人のIDをやたらと調べてんだよ。ちょっと怖いよな!」
とヴィルジニア。
「何でよ。むしろあんたらも研究員なんだから詳しくなんなさいよ」
「おれそういうの向いてないんだよな。あー、おれはヴィルジニア・セルヴァ。特性〈フライングソーサー〉、種族〈マーフォーク〉だ。簡単に言えばこういうことができる」
ヴィルジニアは言葉通りティーソーサーを宙に浮かべ、そこにカップを置いた。
その横で、ディアナがカップを軽く持ち上げる。
「ディアナ・ラガーディアという。特性〈ルナ=ルナシー〉、種族〈ワーウルフ〉。単純に身体能力が上がるという特性だ」
「ぼくはクロウ。クロウ・ホーガンだよ。特性は〈エアダンサー〉と〈ドーンブリンガー〉。種族は〈天魔〉」
「お姉さん、特性がふたつあるの?」
「色々あってねえ。凄いでしょ?」
クロウは得意げだ。
特性がふたつになったのはHEXによる事故の後遺症のようなものだが、本人はいたって前向きに受け取っている。
「で、あたしはアイカ・ウラキ。血液を操る特性〈クイーン・オブ・ハート〉、種族〈ヴァンパイア〉よ」
「俺はトヲル・ウツロミだよ。特性〈ザ・ヴォイド〉、種族〈インヴィジブルフォーク〉」
アリスはトヲルのアバターを見つめている。
「お兄さんは蛸の人外種なのね」
「そうだよ、可愛いよねえ」
「嘘を教えるな、クロウ。蛸じゃないよ、これはただの目印。透明な身体が別にあるんだ」
「凄いわ、お茶会のみんなが人外種。わたしも同じ。わたし、種族は〈ナイトメア〉っていうの」
アリスは嬉しそうにティーカップを口に運びつつ、ふと何かに気付いてその手を止めた。
「あら? トヲル・ウツロミさん……ラストネームが同じなのね」
「……同じ?」
ラストネーム――“ウツロミ”のことを言っているのだろうか。
「同じって……」
アリスは続けた。
「あなた、メイさんのお知り合い?」
*
「……え?」
アリスの口から紡がれた言葉の意味を、トヲルは束の間、頭で理解できなかった。
ただ、指先でカップが震えてソーサーと音を立てている。
メイ――メイと言ったか、今。
トヲルの前に座っているアイカや隣のディアナも無言で目を見開いている。
「……メイ? メイってトヲルの――」
クロウの言葉が終わらないうちに、トヲルは勢いよくテーブルに手を突いた。
ティーセットが大きな音を立てる。
「君……メイを……メイを、知ってるのか……?」
絞り出すような声が、思わず立ち上がっていたトヲルの口から洩れた。
アリスが怯えたような目を彼の方へ注いでいる。
「お兄さん、どうしたの……? わたし、何か気に障ること言ったかしら。だったら謝る――」
「答えてくれッ! 君はメイを知ってるのかッ!」
トヲルの剣幕に、アリスは震えた声で答えた。
「メ……メイ・ウツロミさんなら、わたし知っているわ……」
「……メイは……メイは生きて……いるのか……?」
「生きて? え、ええ。それはもちろん……」
「……!」
トヲルはテーブルに手を突いたまま、脱力したようにソファに腰を落とした。
「そうか……生きているのか……」
十年前のエクウスニゲル。
怪物の群れに襲われ、街は炎に包まれた。
怪物から逃げる際、燃える家屋の爆風と瓦礫に巻き込まれ、トヲルと妹のメイはそこで生き別れてしまった。
あの時、あの道を通らなければ。
あの時、メイの手を離さなければ。
あの時、メイを庇うことができたなら。
あの時、気を失わずにすぐに引き返したなら。
後悔とともに何度、あの瞬間を思い返したか知れない。
「……そうか……!」
トヲルの小さく震える背中に、そっと掌が添えられた。
かつて彼をエクウスニゲルから救い出したディアナが、紫色の瞳を優しげに細めている。
「……これまでよく耐えたな。トヲル」
「ディアナ……」
「……本当に、よく耐えた。人の営みの絶えた、怪物の跋扈する彼岸の地で、きみは幼い妹と生き別れた。それが何を意味するか、怖くて言葉にもできなかっただろう。絶望に打ちひしがれても何もおかしくはない。それでもきみは負けなかった。きみは歩みを止めなかった。きみは十年間、耐えきった。……これは凄いことだ」
アイカも切なそうな微笑みを浮かべていた。
「……うん。誰でも最悪を予想する。口にはできなかったけど、あんたの話を聞いたあたしだってそうだった。正直、あたしがあんたの立場だったら同じように耐えられたようには思えないのよね」
「アイカ……」
「前にあんたは自分のことを取柄が無いなんて言ってたけどさ、あたしは思う。あんたの心は、誰よりも強い。賞賛に値する。よく頑張ったね、トヲル」
ディアナは、かつてトヲルにかけた言葉を繰り返した。
「そうだな……きみは、本当に強い子だ」
カップの紅茶に、波紋が立った。
「……ああ……」
トヲルの両眼から流れている透明な涙が、カップの中に落ちているのだ。
「ああああああああああッ! ああああああああああッ!」
こみ上げる感情を抑えることができず、トヲルは絶叫するように泣いた。
歯を食いしばっても嗚咽が漏れる。
涙と鼻水が顎先で混ざる。
良かった。
メイが、妹が生きていて、本当に良かった。
トヲルはテーブルに手をついたまま、全身を震わせるように泣き崩れた。
つづく
次回「第39話 妹の消息を耳にした俺が、厄災に立ち向かう決意をする話。」
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