優等生
今日はふたりだった。
わたしのお弁当はコルヴォちゃん特製のおにぎりにチーズインウインナー、鱈のフライ、油揚げと青菜の煮びたしだった。
コルヴォちゃんは最近、お料理を覚えるのが楽しくてしょうがないらしく、わたしが借りてきた料理の本とかを夢中になって読んだりレシピ研究に余念がない。
「それ、全部コルヴォさんがお作りになったの?」
「そう。おにぎりとかわたしより上手なの。ちっちゃい手で握ってるコルヴォちゃん、かわいいんだよ」
シンジュさんはクラブハウスサンドをピクニックに行くみたいな大きなバスケットに詰めている。シンジュさんはバスケットの両サイドについた白いリボンと青いリボンがポイントなんだとそれは熱心に力説していた。
シンジュさんはサンドイッチをすすめてくれたけれど、自分のでいっぱいなので断った。けれど、すごく哀しそうな顔をされてしまって、けっきょく一つだけいただくことにした。
「……ん、おいしい!」
香ばしいローストチキンとベーコン、新鮮なレタスとトマト、お肉と野菜のハーモニーがすごくぴったりでさくっとしたパンのトースト具合も心地よかった。
シンジュさんはお昼前に執事の人が作りたてのお弁当を届けてくれるからうらやましい。
ひとりじゃないなんて中学生になってはじめてだけど、周りの視線が痛い。
「シンジュさん、わたしといっしょでいいの?」
遠巻きにこちらを見ているというか、睨みつけているのはふだん、シンジュさんを取り巻いてる人たちだ。
シンジュさんはチラッと彼女たちに視線を送ると、すぐにサンドイッチを上品にかじった。
「かまいません。わたくしはヒメヤマさんといっしょにお食事がしたかったのですから」
二回目の変身というか、グリザリデ空間から帰ってきて以来、シンジュさんはわたしに話しかけてくるようになった。
なんでも小学校のころからわたしが気になっていたとかで話かけるチャンスをずっーと狙っていたみたい。
わたしと同じくグラウクスちゃん(仮称)のファンとかで語り合いたかったとか。
「でも、シンジュさんってアニメとか興味なさそうに見えた」
「テレビ自体そうでした。両親からも教育によくないということで見せてもらえませんでしたし、実際、両親も興味ないのか見てはいませんでした」
そんなシンジュさんがテレビ、それもアニメと衝撃的な出会いをしたのは数年前に親戚のお家でのこと。
夕方の時間帯に放送するには主人公たちと敵対する組織の人たちの格好がすごくエッチだったし、わたしくらいの女子が見るような内容ではなかったけれど、それ以上にグラウクスちゃん(仮称)の存在は大きかった。
かっこいいとかかわいいとかそういうわかりやすさではなく、フクロウの置き物を持っているだけでひとことも発しない存在、それがちいさな王冠をアタマに乗せた白い紐のビキニの女性というのが子供心におかしく、気になっていた。そして最後まで彼女の秘密は明されることはなかったのも神秘性みたいなのをくすぐったのかもしれない。
シンジュさんもその辺が気に入ったみたいだった。
だけど、そんな環境じゃテレビ、それもアニメを見続けるなんてたいへんだったんじゃないのかな。
「その親戚の方に録画したディスクをいただいたり、執事のクチブサさんにこっそりレンタルしていただいたりと視聴はつづけていました」
近寄りがたいお嬢様だとばかり思っていた彼女の意外な一面はかってに抱いていた警戒心をいとも容易く消し去ってしまった。
*
変化はもう一つ。
体力づくりの一環ではじめたコルヴォちゃんとのランニングにシンジュさんも加わるようになった。
いつの間に揃えたのか、わたしたちと同じ型のウェアの上下に、ランニングシューズだけれど、色は目の覚めるような青色だった。あいにく白は売り切れだったらしい。
「計画ではヒメヤマさんとお揃いの色にする予定でしたのに」
シンジュさんは残念そうだったけれど、イシと同じ色だねとフォローのつもりでいったら、すごく喜んでいたのが印象的だった。
わたしが二回目にグリザリデに飛ばされたあのとき、シンジュさんがいたのはわたしのあとをつけていたからだそうで、本人はそのことをすごく気に病んでいた。
彼女がいてくれたからわたしは還って来れたというコルヴォちゃんの話を思えば、むしろ感謝すべきことなのだけれど。
コルヴォちゃんはあくまでも想像ですがと前置きした上で、グリザリデにいったわたしが戦士として現れなかったのは意識だけ取り込まれたからではないかということだった。
代わりに出てきたのは、シンジュさん曰く屈強な女戦士だそうで、コルヴォちゃんはなぜそうなったのかは断言できないけれど、あれは女体化したアドゥネイスさんではないかといっていた。
そしてきっかけとなる、コロネちゃん(仮称)に教えられたあの言葉。
コルヴォちゃんは畏れ多いと口にするのをためらっていた。
あの言葉は咎人の人たちの力を借りる以前、メタモルフォーシスした人たちのことを自然について語る者と呼んでいたころには普通に使っていたみたい。
ただ、最初の咎人であるアドゥネイスさんを封印して以降はなぜかその言葉自体使わなくなったみたいで、コルヴォちゃんはその頃の記録がないので詳細は不明だといっていた。
「意図的に当時の記録を削除した形跡があることは以前から囁かれていましたシ、歴代のピュティアの中にはそのことを独自に調査したりした方もいたそうですが、そのたびに元老院の方たちや歴代巫女に咎められてうやむやになっていたとのことでス」
あのコロネちゃん(仮称)はそのこと、初代ピュティアの人がアドゥネイスさんを封印するために唱えた禁断の言葉であるを知っていたということらしい。
走り出してすぐ、陸橋に於多瑠中学校の制服を着た女子を見かけた。
白いヘアバンドに眼鏡。あの人はたしか5組のオビマルさんだ。
女子にしては背が高くて目立つけれど、物静かでおしとやか、先生たちからの評判もすごくいい優等生の典型みたいな人。
小学校は別だったし、クラスもちがうしでわたしとは別次元な人のイメージかな。そういう意味ではシンジュさんも自分とは縁遠い存在だと思っていたけれど。
今日は運動公園までやって来た。
公園の真ん中にあるトラックではどこかの陸上部の人たちや市民の人たちが思い思いにカラダを動かしている。
「シンジュさん、準備運動しよう」
背中合わせになって腕をからめようとすると、シンジュさんがためらいの仕草を見せた。やっぱりお嬢様はこういうの嫌なのかな。
「ちがいます、ちがいます!」
驚くくらいアタマを振ると、シンジュさんのきれいな金髪が右に左に跳ねた。
どこか緊張ぎみなシンジュさんと背中を合わせると、担ぎ合いと呼ばれるストレッチをはじめた。
「さすがにコルヴォちゃんとはできないから」
そのコルヴォちゃんはPPSを手に公園内をもの珍しげに探索していた。テレビとかには興味を示さないけれど、こういう自然物は好きなのか、散歩するたびにいろいろと調べているみたい。
桜は散っちゃったけれど、まだ春を思わせる風は心地よかった。
かわりばんこに背負ったり背負われたりしているうちにうっすらと汗がにじみ出す。
くる。
担ぎ合いもひと通り終えたころ、アタマの中にそんな言葉が浮かんだ。
次の瞬間、真っ暗になった。
「……これって」
シンジュさんが口にすると同時に明るさを取り戻した。
コルヴォちゃんが駆け足でこちらに向かってきている。
つまりはそういうこと。
狙い澄ましたように目の前に光の輪が現れた。
くるくると旋回しながら現れたのは、やはりコロネちゃん(仮称)さん、ではなかった。
紐ビニキの色は目の覚めるようなオレンジだし、手の中の置き物はカラスではなかった。アタマに先っぽが黒いオレンジ色の扇状の羽がいっぱいついた変な鳥で、たたまれた羽は黒と白の縞模様。あのカラスの置き物をいじったのかな。
「森を開け、それへ出て参るのじゃけに」
置き物がいった。
置き物を持っているお姉さんはビニキが色違いというだけでアタマの上に乗っかった高そうなちいさい王冠といい黒髪のつやや長さといい、コロネちゃん(仮称)と同じに見えるし、じっさい同じだと思う。
「……あの、コロネちゃん(仮称)ですか?」
おそるおそる尋ねると、すぐに答えが返ってきた。
「わしを尋ねとるのはどの仁たちじゃな」
無表情なお姉さんのぽってりとしたくちびるは動くことはなかった。あくまでも話すのはコロネちゃん(仮称)同様、置き物の役割みたいだ。
「し、失礼しました。わたしはヒメヤマ・アオイといいます」
シンジュさんはすごく注意深く目の前のコロネちゃん(仮称)にそっくりな、おそらくは敵と思われる人たちを見つめていたけれど、わたしにつづいて名前を名乗った。到着したばかりのコルヴォちゃんはわたしのうしろでじっと息をひそめている。
「エウエルピデスにピステタイロスとな。わしの名はツァラペティノスさん。ヘピオロスに嘱託されしティラノスになり損ねた者の末裔じゃ。名前は呼びづらければヤツガシラさんとでも呼んでくれてよいぞ」
また聞きなれない単語が矢継ぎ早に飛び出して、思考が追いつかない。
コロネちゃん(仮称)ならぬ、ツァラ、ペ、ペ……ヤツガシラさんの目的もやはり哲学シャのイシなのかな。
「それもある。が、ポリテイアの新人戦士、パンテイアの末裔の顔を拝みに来たというのが本当のところかの」
心を読むみたいに答える。気のせいか置き物が笑ったようにみえた。
「もちろん、哲学シャのイシとやらを渡してくれるのならば、わしの地位も待遇もたいへんよくはなるのじゃが……協力してくる気はその方らにはなかろう?」
わたしもシンジュさんも、もちろんコルヴォちゃんも答えなかった。彼女のちいさな手がわたしのウエアを強くにぎるのが分かった。
「それでよい。そうでなくてはこれが無益になるというもの」
ヤツガシラさんは胸のあいだに手を入れると、コロネちゃん(仮称)みたいなアンプルを取り出した。
ポキン、と上部が親指でへし折られた。
「シュンポシオン! いざ、宴のとき。ケオスの豎子よ、己が顔を取り戻さん!」
叩きつけながら、そう叫ぶと地響きとともに煙の中から石像が現れた。
わたしが以前見たのより小さめでこっちのがほっそりしている。
なにか……弱そう。
シンジュさんはすでにイシを取り出して、祈るように力強く握りしめていた。
わたしもウエストポーチを開けると中のイシが見たことがないくらいの輝きを放っていた。
それをつまむと、手で包んで強く、強く願った。
心地のいい熱が手からカラダ全体に沁み込むみたいに広がっていく。
白い世界に溶ける感覚。
なにかに閉じ込められている感覚。
同じだった。
わたしは頭上のかたいなにかを思いきり突いた。
……うん、痛くはない。
なにかにひび割れ、はじけた。
世界と世界が混ざり合う感覚も同じ。
そしてわたしはやはり、こんなことを叫んでいた。
突きあげた右腕を上空にかざしたまま、ひと指し指を立てて、高らかに叫ぶ。
「我が名はアーリア。澄み渡る空より産まれし最も大いなるアルケーを秘めたる古人。我が名はアーリア。ファレーナ・アーリア」
シンジュさんはすでにメタモルフォーシスを済ませていた。
「かっこいいなあ、シンジュさん」
そのまますとんと落ちると、サイドが紐になった銀色の甲冑みたいな上着とミニスカート、ブーツ姿のシンジュさんに歩み寄る。
はじめて見るシンジュさんのコスチュームは本当にカッコよくてセクシーだった。
「……そ、そうかしら」
そういうわたしは……白いジャージのまま。
……なんで?
すがるようにコルヴォちゃんを見ると、気の毒そうな表情を返すだけでなにもいってはくれなかった。
シンジュさんは胸のブローチに左手を添えながら右手を上に上げていた。
出てきたのは白くて大きな、なにか花みたいな彫刻の入ったすごく高級そうな弓。
「武器もかっこいい!」
シンジュさんはヒュヴェロスと名付けましたとはにかんだ。
名前までゴージャスな感じ。
よし、わたしも。
パノプスの泉から出てきたのは剣ではなく、ナイフと呼んだ方がしっくりくるものだった。取っ手こそ彫刻が施されていて豪華な感じだけど、短くてとても石像にダメージを与えられるようには思えない。
「……………」
衣装がそのままなことといい、武器のちゃちさといい、どうにもわたしは戦士には向いていないみたいだ。
でも、意外と効果は絶大なのかもしれない。
ためしにこちらめがけてやって来る石像に向けて投げてみた。
カッ……ン。
予想通りすぎて言葉もない。
むなしく宙を舞う我が短剣を切ない気持ちで眺めていると、ギリギリをなにかを強く引っ張る音がした。
きれいでかっこいい弓に蒼い矢をセットしたシンジュさんは武器に負けないくらい凛々しかった。強まる弦の音に呼応するみたいに弓本体に次々と蒼いバラが咲き誇る。
……いいなあ、こんな演出まであるのか。
ひゅん、と気持ちのいい音を立てながら蒼い矢は風を切り裂きながら石像を貫いた。
その瞬間、石像は停止し、粒子化するみたいに音もなく散ってしまった。
「……す、すごいよ、シンジュさん、すごい!」
わたしは自分でも驚いたみたいにぼうっとしているシンジュさんの腕を取って、大喜びで振りまわした。
「……い、いえ、きっとこれはヒメヤマさんのおかげですわ」
「……えっ?」
不思議なことをいうシンジュさんの照れた顔を見ながら、わたしはすっかりヤツガシラさんのことを忘れていた。
きっとこういうのを油断、というんだと思う。
そしてその油断は最悪な事態を引き起こすことになった