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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第一章 生贄少女と桜の神

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第七話 食事

「お待たせしました」


 襖を出てすぐ。ぱっと花が咲くように、珀弥の明るい笑顔が現れた。ふさふさの尾が嬉しそうに揺れている。


「では、こちらです」

 

 珀弥を先頭に、奈珠那たちは廊下を歩き出した。


「奈珠那様、歩幅はおつらくないですか? ゆっくりで大丈夫ですよ」


 珀弥は振り返りながら、奈珠那に気遣いの言葉をかける。

 

「……大丈夫、です」

「それはよかったです」


 珀弥は胸を張り、導くように前へ進む。ほんの数歩進んだだけなのに、重苦しかった空気は彼が尻尾でひと払いしたように消えていた。

 神域の静けさの中、珀弥は何よりも輝いて見えた。


 ──弟がいたら、こんな感じなのかな。


 奈珠那の緊張が、また少しほどけた。


 ⁂


 廊下の角を曲がると、ほんのりと湯気の立つ匂いが漂ってきた。奈珠那の胃が、きゅるりと小さく鳴る。恥ずかしさで袖を握りしめたが、珀弥は気づかないふりをしてくれた。


「こちらが食事のお部屋です」


 珀弥が立ち止まり、襖を開ける。ふわりと香る出汁の甘い匂いが奈珠那の鼻先をくすぐった。

 

「どうぞ、お入りください」


 促されて部屋に足を踏み入れると、低い卓の上に並べられた膳が目に入った。

 見るからに柔らかく煮込まれている根菜、ほろりとほぐれほうな白身魚、ゆらゆらと湯気立つ白粥。質素でありながら、どれも丁寧に調理されている。一品ずつ、磨き上げられた陶器に、美しく添えられていた。

 こんな贅沢な食事を、自分のために? 奈珠那は思わず息を呑み、立ち尽くす。


「奈珠那様、どうぞお掛けください。瓊環様も」


 にこにことすすめる珀弥の横で、瓊環の眉がわずかに寄った。


「珀弥……なぜ膳が三つもある?」

「みんなで食べたほうが美味しいって聞きました! だから人間は、こうしてみんなで食卓を囲むんですよね、奈珠那様」


 誇らしげに胸を張っている珀弥を前に、奈珠那は言葉を失った。

 みんなで食べる、なんて習慣は知らない。食事は空腹を満たすためのもので、誰かと一緒に味わうものだなんて、考えたこともなかった。だから珀弥の純粋な問いに、どう返せばいいのかわからなかった。

 瓊環は珀弥を見やり、深いため息をひとつつく。


「お前というやつは……。本当に、余計なことを」

「余計じゃありませんよ。奈珠那様が来られて初めての食事ですから。歓迎の気持ちは大事です」


 耳がぴんと立てながら言い返す珀弥に、瓊環はまたため息をこぼした。


「奈珠那様、ご一緒してもよろしいですか?」


 急に珀弥から声をかけられた奈珠那は、言葉を詰まらせた。もちろん、断る理由などあるはずもない。初対面とはいえ、ここまで丁重にもてなされているのだ。「はい」と答えるのが礼儀に当たるのだろう。

 そうわかっていても、すぐに返事をする勇気は出なかった。


「奈珠那様?」


 ひょいと奈珠那の顔を覗き込む珀弥。彼の無邪気な好意にはまだ慣れそうにないが、その無邪気さが奈珠那の凍っていた心を少しずつ溶かしはじめていたのも確かだった。

 

「……あ、はい。あの、みなさんが嫌でなければ……」

「嫌なわけないじゃないですか。ね、瓊環様?」

「好きにしろ」


 言葉と裏腹に、瓊環はため息をつきながらも先に膳の前へと腰を下ろした。


「さ、奈珠那様も」

「……はい」


 三人で席についた途端、食卓の香りが一段と近く感じられた。それに混じって、胸の奥がじんわりとほどけていくような感覚が広がる。


 ──なんだろう……こんなの、初めてかもしれない。


 胸に熱が伝うのと同時に、緊張でこわばっていた肩の力も抜けていった。


「それでは、いただきます」

「……いただきます」


 二人が箸をつけたのを見届けて、奈珠那もやっと食事に手を伸ばした。ゆっくりとひと口、口に運ぶ。


 ──美味しい……。


 身に染みる、やさしい味付け。残飯のように固くも冷たくもない。噛むたびに、ちゃんと味がする。


「どうですか、お口に合いましたか?」

「……はい。あの……すごく、美味しいです」

「よかったです。久々に腕を振るった甲斐がありました。瓊環様の好き嫌いが多いこともあり、普段はあまり食事を作らないんです。奈珠那様に合うかどうか、少し心配でして」

「俺に食事など必要ない」


 神らしい無愛想さで言い捨てる瓊環に、珀弥が苦笑した。


「奈珠那様は好き嫌いありますか?」

「……えと、私……何が好きで、何が嫌いなのか……そういうの、考えたこともなくて……」


 正直に答えると、二人の動きが同時に止まった。


 ──あっ……。


 血の気が引く。自分の発言で、空気が冷えた気がしたのだ。すぐさま「ごめんなさい」という言葉がでかかる。その寸前で、珀弥がにこりと微笑んだ。

 

「では、これからいろんなものを食べましょう。奈珠那様が好きだと思えるもの、絶対ありますよ」

「俺は付き合わないからな」

「そんなこと言わずに。やっぱり、みんなで食べたほうが美味しいじゃないですか。ね、奈珠那様」


 ──みんなで……食べたほうが……。


 何気なく放たれた珀弥の言葉が、心のいちばん奥にぽたりと落ちた。当たり前のようで、奈珠那には一度も与えられたことのなかった当たり前。その光景が、目の前にある。

 

「……っ」


 気づけば、頬につっと温かいものが伝っていた。


「奈珠那様!?」

「ごめ……なさい……。なんでか……急に……」

「もしかして、無理して食べてました!? だとしたら、本当にごめんなさい! オレ……」

「違うんです……!」


 言葉をかぶせるように、奈珠那は首を振る。


「……その、とても美味しくて……。私、こんなに美味しいもの食べたの初めてで……それで……」


 いつも以上に声が震えた。

 美味しい、だけではない。みんなで食べるという奈珠那の中には存在しなかった温もりが胸を満たして、あふれたのだった。

 

「奈珠那様……大丈夫ですか?」

「あ、えと……本当に、悲しいとかじゃなくて……。なんだか、すごく……あったかいんです」


 涙を拭う奈珠那を前に、箸を止める瓊環。じっと彼女を見つめ、少しだけ言葉を選ぶようにしてから、ぽつりと口を開く。

 

「泣くほどのことか。このくらい、普通だろう」


 普通──その言葉に、奈珠那は目を見開いた。普通を知らずに育ってきた奈珠那にとって、それは果てしなく遠い言葉にも聞こえたのだ。


「……はい。きっと、普通なんですよね。でも……私には、すごく……」


 言葉にできない気持ちが喉につかえる。けれど、息苦しくはない。長年押し殺してきた感情が、堰(せき)を切って流れ出したような感覚だった。


「……すごく、嬉しいんです」


 二人の目が同時に細められた。瓊環は、どこか呆気に取られたように。珀弥は驚きながらも、奈珠那の不慣れな喜びを感じ取ったように。


「じゃあ、もっと食べましょう! はい、これもどうぞ。ほらほら、瓊環様も」

「おい、勝手に盛るな」

「いいじゃないですか。奈珠那様が『嬉しい』って言ったんですから」


 言い合いながら皿を押しつけ合う二人。奈珠那は、いつの間にか小さく笑っていた。

 自分だけが輪の外にいるのではなく、当たり前のように席が一つ用意されている──その光景が、少しだけ眩しい。だけど、その眩しさは、心の奥底で密かに憧れていた世界だった。

 

 この先にある“普通”を、ぶっきらぼうな神様と、無邪気な神使が少しずつ教えてくれるかもしれない。

 奈珠那はあふれる思いを噛み締めるように息を吸い、もう一度箸を取った。

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