第三話 万年桜の神
夜の帳が落ちたころ、藤ノ宮家の関係者や村長、役人たちが万年桜のもとへ集まり始めた。
松明の炎がゆらゆらと揺れ、桜の幹を赤く照らし出す。光と影が交差する景色の中、相変わらず花を咲かせる気配を見せない大樹は、巨大な影だけを地面に落としていた。
「奈珠那、こっちよ」
沙都子に呼ばれ、奈珠那は言われるまま儀式の列に加わった。
歩みを進めながら、ある違和感を覚える。
奉納の儀は、笛や太鼓の音が遠くまで響き、厳かでありながらも華やかな儀式のはず。毎年留守をしていた家の中にも、それは届いていたくらいだ。
なのに、今年は音がない。それどころか、笛も太鼓も見当たらず、松明の炎だけが揺らめいている。その殺風景さは、祭りではなく処刑場を思わせた。
これが、奉納の儀なのだろうか。思い描いていた儀式とは程遠い。妙な緊張が空気を満たしている。
集まった人々は、奈珠那を避けるように道を開けだす。視線には、軽蔑とも好奇ともつかぬ色が浮かんでいた。
桜の根元へ到着すると、着物をまとっている千佳が待っていた。
奈珠那の違和感が、さらに膨らむ。儀式の際には、巫女装束で身を清めるのが習わしだったと記憶している。なのに千佳の着ているそれは、喪を思わせるような深い墨色の打掛だった。
「こんばんは、奈珠那姉様。主役のご登場ですわね」
いつにも増して張りついた笑みを浮かべ、扇子を胸の前で畳んだ。
「……主役?」
意味がつかめずに問い返すと、千佳は嘲るような目で見返した。
「あら、やっぱり気づいてなかったの? 今日の捧げものは、姉様よ」
「……え?」
風が止んだ。松明の火だけが、ぱちりと音を立てる。
──捧げもの……? 私が……?
理解が追いつかない。世界だけが先に動いて、自分だけが取り残されていくようだ。
なぜ自分なのか。どうして今なのか。問いは浮かんでいるのに、声にならない。
「さあ、時間よ。準備をして差し上げて」
千佳の合図とともに、両脇から男たちが歩み寄る。奈珠那は一歩下がろうとしたが、すぐに肩や腕を掴まれた。
「ち、ちょっと……待って……」
抗議の声はあっけなくかき消される。帯が乱暴にほどかれ、着物がはらりと肩口から滑り落ちた。
「やめ……やめてください……っ!」
痩せ細った少女の必死の抵抗など、大の男たちの腕の前では無力も同然だった。着物は容赦なく引きはがされ、残された長襦袢さえも乱れていた。
そして、後ろ手に組まされた両手首へ荒縄がきつく巻きついた。
「どうして……こんな……」
息が震え、声が掠れる。
楽しげに奈珠那を眺めていた千佳は、ふんと鼻を鳴らし、勝ち誇ったように微笑んだ。
「言ったでしょう、捧げものだって。姉様は今夜、生贄になるのよ」
生贄──ずしりと、奈珠那の胸に落ちた。
昼間、村の通りで聞いた捧げものの噂。この数日の沙都子の妙な静けさと、千佳の奇妙な態度。
それらが一つに結びつき、奈珠那はようやく理解した。
──私が生贄になるって、決まってたんだ。
怒り、憎しみ、悲しみ、そして──終わりが見えることへの、かすかな安堵。自分でもうまく感情の整理ができず、言葉が出てこなかった。
「皆さま、最後に姉様と二人きりでお話してもよろしいかしら? 血は繋がってなくても姉妹でしたから、お別れくらいは」
千佳が柔らかい声で告げる。その裏に潜む悪意は、誰より奈珠那が知っていた。
男たちも女たちも、気を遣ったように足早にその場を離れていく。松明の灯りが遠ざかり、万年桜の根元には奈珠那と千佳だけが残された。
「……千佳」
奈珠那が呼びかけるよりも早く、千佳はくすりと笑った。
「ああ、やっと祟り子がいなくなるのね。清々するわ。これで万年桜も花を咲かせるはずよ」
「初めから……こうするつもりだったのね……」
「これでも待ってあげたほうだと思ってほしいくらいだわ」
扇子で奈珠那のあごを軽く押し上げ、嫌味ったらしく告げる。
「あなたの両親にも、もうすぐ会えるんじゃなくて?」
「私の両親は……違う田舎へ行っただけで……」
その言葉の続きを、千佳の芝居がかった声が遮った。
「ああ、なんてかわいそうな奈珠那姉様。本当に何も知らないのね。あなたの両親は自害したのよ。祟り子を産んだ償いだって」
「……え?」
「相当あなたのことを憎んでいたらしいわ。最期の瞬間まで、姉様のことを恨んでいたそうよ」
千佳の言葉は、生贄にされるという事実よりも何倍も深く奈珠那の胸を刺した。
それでも、涙は一滴も出なかった。
奈珠那には、両親に愛された記憶が残っていない。思い返してみれば、物心ついたころには避けられ、疎まれ──最後に抱きしめてもらった日の体温すら思い出せない。
そうして奈珠那が七つのとき、両親は藤ノ宮家の都合で田舎へ移ったのだと聞かされたのだが。
実際は、そうではなかったようだ。
──私が……いたから。
大切にされた記憶はなくとも、自分のせいで人が苦しみ、そして命が消えてしまった。
その真実のみが、酷烈に胸を抉る。
「祟り子なら、せめて最期くらい役に立ちなさいな」
あははというあの高笑いが、奈珠那が最後に聞いた人の声だった。
──私なんて、生まれてこなければよかったんだ。
ひとり残された奈珠那の唇に、かすかな笑みが浮かんだ。嘆きには脆く、抵抗には弱い、運命を受け入れたような力の抜けた微笑だった。
やがて、松明が消える。残り火が闇に呑まれていくさまは、自分の命が静かに燃え尽きていくようで、どこか安らかなものにさえ思えた。
闇夜を照らす満月の明かりさえも、奈珠那の目には届かなかった。
深く澄んだ空気の中、ただ一つ──枯れ果てた万年桜だけが、闇に呑まれずそこにある。
じりっと、後ろ手に縛られた両腕に痺れが伝いはじめた。薄手の長襦袢は衣の役目を成さず、容赦なく夜風が肌を刺す。
齢十七、普通のうら若き少女には、とても耐えきれない環境だろう。そんな状況に置かれも、奈珠那にはもはや恐怖という感情すら湧いてこなかった。
──もう、どうでもいい……。
命を投げ出すように目を伏せようとしたとき、空気が変わった。
それまでただの枯れ木だった万年桜から、淡い光が滲み出したのだ。集まりだした光の粒は花びらのように舞い、頬に触れた。
そして──。
「ずいぶんと、粗略に扱われた女だな」
その声は、どこからともなく落ちてきた。気づけば、枯れ木の影に一人の男が立っている。
白銀とも薄桜色ともつかない、肩下まで伸びた長い髪。衣服は月光をまとったかのような白絹。黄金の瞳は、無感情のまま少女を映す。
人ならざるものだと、奈珠那は一瞬で悟った。
「……神、さま……?」
「だとしたら、どうする」
震える声を前にしても、男は興味もなさそうに目を細めるだけだった。その存在感は、恐ろしいほどに美しい。
男は一歩近づき、淡く笑った。
「その有様、生贄か」
「……はい」
「くだらない」
打ち捨てるような一言が続く。
「名は?」
奈珠那は少しだけ唇を開いた。
「……奈珠那、と申します」
名を告げた声は、風に溶けるほど弱々しいものだった。
男は「ふうん」と短く息をもらし、奈珠那のあごを指で持ち上げた。
抗わずにいる奈珠那。怖い、という感覚がどこにも見つからない。感情なんて、とうの昔に置いてきてしまったのだから。
「死にたいのか?」
「……生きることにも、死ぬことにも……もう、興味ありません」
自嘲の気配を帯びた言葉に、男はわずかに目を細める。嗤うような、呆れるような、それでいて楽しげな色が混ざり始めたのがわかった。
「はは、つまらん娘だな」
あごから手を離した男は、改めて奈珠那を見やった。
「一年、猶予をやろう」
「……一年?」
「どうせここで死ぬと思っていたんだろう。なら、今でも一年後でも、なにも変わらん」
男が奈珠那の顔を覗き込む。
映ったのは、酷薄な美貌。それは無慈悲でありながらも、崇高で抗い難い輝きを孕んでいた。
「一年以内に、俺を愛せ」
突然の宣告に、奈珠那は息を呑む。射抜くような瞳に、逃げることも、目を逸らすこともできず、ただその男を見つめていた。
「できなければ……一年後、俺がお前を殺してやる」
桜の花びらが落ちるように残酷なその言葉は、すべてを終わらせる救いの言葉にも似ていた。
夜の気配が震えた。世界の軸がきしりとずれるような感覚が、奈珠那の全身を貫く。
男の瞳が、月光を映した水面のように淡く揺れた。ほんの一瞬、興が湧いたとでもいうように、光がかすかに色を変えたのだ。
「……はい」
こぼれた呟き。果たしてそれは、救済を求めた返事だったのか。それとも、逃れられぬ運命に身を委ねた証だったのか。
自分自身にも、もう判別がつかなかった。
お読みいただきありがとうございます
作者初の長編和風シンデレラストーリーです
♡ハピエン完結保証♡
虐げはここまで
このあとは、じれじれからのキュンを
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