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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
最終章 万年桜の番

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第三十四話 ◆愛情

 五日前。

 奈珠那が、消えた。地に落ちていた白百合の簪。彼女の身に何が起きたのか、嫌というほど察せられた。


 奈珠那につけた印は、沈黙したままだった。

 人間界では反応しない──のではなく、本当は人間界では上手く力が出せなかった。いや、力を失いかけていたのだ。

 たった数時間、神域を離れ、人間の姿を借りていただけ。それだけなのに、今までにない疲労感と倦怠感が全身を襲った。奈珠那がいなくなったことで、それが顕著に現れる。

 命が尽きかけている。頭で理解するより先に、身体が答えを出していた。


「……あの」


 不意に声をかけられた。

 見知らぬ女。年頃は、奈珠那とそう変わらない。

 

「急にお声をかけてしまい申し訳ございません。素敵な殿方だと思いまして、つい」


 女は口元を扇子で隠しながら控えめに笑い、距離を詰めてきた。喉を焼くような甘ったるい桜の香りが鼻につく。視線は期待に満ちていた。

 

「……は?」

「今、おひとり様ですよね。もし、お時間よろしければ、私と……」

「失せろ」


 一閃の稲光のような一言だった。

 今すぐにでも奈珠那を見つけ出さねばならない。それなのに、視界を塞がれ、時間を無駄にされるのが極まりなく不愉快だった。

 焦燥と苛立ちに任せて、女の記憶から自分という存在を削り取った。今の自分には、そんな些細な力でさえ命を削る行為になるが、もはや構わない。

 女は目の色を失い、それ以上何も言わず、くるりと踵を返し立ち去った。


 それから瓊環は、ひたすら奈珠那を探した。

 村も、街も、山を越えながらも──神として手を伸ばせる限りを、何度も探り続けた。

 しかし、奈珠那の気配は掴めずにいる。


 ──失うかもしれない。


 その可能性が脳裏をよぎるたび、万年桜の枝が軋んだ。


 ⁂


 そして、五日目の夜。

 けたたましく鳴り響く笛や太鼓。年に一度、下俗な人間たちが上げる、祈りという名の叫び。神域を侵(おか)すその騒音を、瓊環は「うるさい」としか思っていなかった。

 だが、それは突如として訪れた。


『瓊環様』


 あの声で、確かに呼ばれた。鼓膜よりも、心に直接触れたように響く。

 どくんと心臓が跳ねる。奈珠那につけた印が、かつてないほど激しく熱を帯びているようだった。


 ──奈珠那……!


 ずっと探していた彼女の気配と、途切れ途切れの想いが万年桜から伝ってくる。


『私は……あなたのことを、お慕いしております』


 それは今まさに命を捨てようとしている者の、あまりにも清廉(せいれん)な告白だった。


 ──ふざけるな……。


 一人で勝手に、どこにも行くなと誓ったはずだったのに。どうして、こんな形で終わらそうとするのか。己を犠牲にすれば瓊環が救われると、本気でそう思っているのか。

 奈珠那のいない世界で、自分だけが独り生きながらえることに──何の意味があるというのか。

 怒りよりも身を震わせるのは、胸を焦がすほどの彼女への想い。それを「愛」と呼ぶのだと、瓊環はようやくその想いを自分に許した。


「この、救いようのない阿呆が」


 縄を断ち切り、崩れ落ちるか細い身体に手を伸ばす。

 やっと、彼女を抱きしめることができた。

 肩の震え。自分の名を呼ぶ掠れた吐息。生きて、腕の中にいる。その事実だけで、吹けば消えてしまいそうな瓊環の命の灯火が、凄まじい勢いで燃え上がった。


「奈珠那を拐(さら)ったのは、お前か」


 金の双眸が、射抜くような鋭さで千佳を捉えた。


「……言っている意味が、よくわかりませんわ」


 一瞬言葉を詰まらせてから、千佳が無理に笑みを作る。

 

「私は、そこの祟り子と違って藤ノ宮の血を正当に引く者よ。桜を咲かせ、村を救うために舞っているの。あなたような化け物に、屈するはずが……」

「身の程をわきまえろ」


 氷の礫(つぶて)を放ったような、冷淡な一喝。千佳だけでなく、周囲のどよめきさえも凍りついたように静まった。


「お前の舞で桜が咲く、だと? 滑稽だな。祟り子だの化け物だの、それはお前のほうだ」


 瓊環が万年桜の幹に視線を配った瞬間。木の枝が、腐食されたようにみるみると黒ずんだ。


「あ……ああ……っ!?」


 悪夢のような光景に、どこからともなく悲鳴が上がる。

 枝先から、何かがはらはらと落ちだした。漆黒の花弁だ。終末を告げるようにしんしんと降り積もる花弁が、周囲が黒く闇に染め上げる。

 

「どうして……この私が舞ったよ!? こんなことって……!」


 千佳の叫びが場違いに響く中、瓊環の嘲笑がひとつ落ちた。

 

「お前が舞ったからだ。桜が応えるのは、お前のような人間ではない」


 瓊環は視線を胸元にいる奈珠那へと移す。千佳たちに向けていた凄みはなく、腕の中の少女を守るための眼差しだった。


「瓊環様……このまま、消えてしまうのですか?」


 衣を掴む奈珠那の指先は、抑えきれないほどに震えていた。不安に潤んだ緋色の瞳で、おそるおそるこちらを仰ぐ。変わり果てた万年桜は、彼女の目には瓊環が消える前兆にしか映らなかったのだろう。

 

「こんなにも闇に染まって……もう、間に合わないのですか……? 私は、どうしたら……」

「違う。終わりではない」


 大きな手のひらで奈珠那の頬を包み込んだ。指先に伝わるのは、儚くも愛おしい彼女の体温。


「お前以外の祈りなんて、俺には必要ない」


 気まぐれでも、思いつきでも、独占欲とも違う。最初から、瓊環にとって答えはひとつしかなかった。


「舞え、奈珠那」

「……私が、ですか?」


 驚きに揺れる表情から目を逸らさずに、瓊環は「そうだ」と力を込めて頷く。


「桜が応えるのは、お前だけだ」

「私に……できるでしょうか」

「できる。俺が、ここにいる」


 腕の中で、奈珠那の震えが収まるのを感じた。緋の目にかかっていた霞が、ゆっくりと晴れていく。瓊環を捉え直した瞳は、他の何ものにも代えがたい美しい光を湛えていた。

 

「共に生きよう」


 それは、かつての契約や命令なんて類のものではなく、未来への誓い。

 言葉を置いた瓊環は、奈珠那の額にやさしく口づけを落とした。

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