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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第三章 桜の神の恋敵

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第二十七話 対峙

「そこまでだ、漣」


 低く、地面を震わせるような声が響いた。直後、神域の空気が一変する。藤の花が一斉にざわめき、淡い光が不安定に揺らぎだす。暴力的で凍てつくほどの冷気が神域を支配し、肌を突き刺すような圧が空間に叩きつけらた。


「その手を離せ」

「遅かったね、瓊環」


 漣はくすりと笑い、のらりと奈珠那から身を引く。最初から、こうなるのがわかっていたかのような口ぶりだった。


「間一髪ってところだよ。もう少し遅かったら、奈珠那ちゃん、僕の手に堕ちちゃってたかも」

「黙れ」


 抑揚のない、感情を削ぎ落とした一言。瓊環の声は怒号よりも鋭く、どこまでも無慈悲に響いた。

 だが、漣は怯まない。むしろ面白いものを見つけた子どものように「はは」と小さく笑ってみせた。

 

「瓊環がここまで怒るなんてさ。よっぽど奈珠那ちゃんのことが……」


 言葉の途中で空気が裂けた。

 びゅうと唸るような音とともに、視界が白く染まる。よく見れば、桜の花びらが渦を巻くように舞い上がっていた。風によるものではなく、瓊環の神威(しんい)に呼応した空気のうねりのようだった。


「……っ!」


 咄嗟に身を引いた漣の頬を、一枚の花弁が刃のように掠めた。白い肌に赤い線が走り、遅れて血が滲みだす。

 

「次はない」


 瓊環は一度だけ冷ややかな視線を投げると、奈珠那のほうへと踏み出した。


「瓊環さ──」

 

 名を呼ぶより早く腕を引かれ、彼の胸の中へと抱き寄せられた。背中に回された腕は、守るというより奪われまいとするような力強さだった。

 

「無事か」

「……はい」


 腕の中で小さく答える。張りつめていた恐怖が、瓊環の体温に触れてほどけていった。喉が詰まり、今にも涙がこぼれそうになる。安堵と、彼にここまでさせてしまった後悔が一気に押し寄せた。

 

「ごめんなさい……私……」

「阿呆が……。勝手にいなくなるなと言っただろう」


 責める言葉のはずなのに、彼の声はかすかに震えていた。背に回された指先ですら。その震えにきつく抱きしめられて、ついに涙があふれた。


「やれやれ。相変わらず、瓊環は加減ってものを知らないなあ」


 ふう、と大きく息をついた漣の声が割り込んできた。

 漣は頬を指でなぞり、滲んだ血を拭う。自嘲めいた笑みを浮かべる彼の言動は、怒りを剥き出しにする瓊環とは対照的に、どこか芝居じみて見えた。

 瓊環は奈珠那を抱いたまま金の双眸を細め、漣を見据える。

 

「漣……お前、これが目的だったのか?」

「んー。半分正解で、半分違うかな」

「馬鹿にするのも大概にしろ」

「してないよ」


 漣は肩をすくめ、穏やかに笑った。


「僕は、僕が最期にできることをしたかっただけ。あとは……二人に、ちゃんと見せたかったんだ」


 言葉の途中で漣の姿が陽炎のように揺らいだ。輪郭がぼやけ、藤と入り混じったように淡い紫色の光をまとう。漣に組み敷かれる前に見たときよりも、確実に姿が薄らいでいた。


「漣……!?」

「奈珠那ちゃんには言ったんだけどね……。僕、もう消えるみたい」


 軽い口調で言い、乾いた笑いを見せたと同時。

 庭一面に咲き乱れていた藤の花が、音もなく色を失った。紫は灰へと変わり、花弁が砂粒となって崩れ落ちていく。

 屋敷の柱に細かな亀裂が走った。壁が揺らぎ、床が歪(ひず)み、目に映っていた景色のすべてが、硝子が割れたように砕け散った。


 変わり果てた風景に、奈珠那は息を呑んだ。

 華やかだった藤の庭や、立派な屋敷までもが幻のように消えたあと。代わりに現れたのは、一面の灰色だった。

 焼け焦げた大地。崩れ落ちた家々、地に伏せた大樹、壊れた井戸や生活の名残り、どれも真っ黒に煤(すす)け、無惨に転がっている。

 

「……どうなっている? お前の社は……」

「見ての通りだよ」


 漣は振り返らない。色褪せた景色を、懐かしいものでも眺めるように見つめている。

 

「ちゃんと説明しろ」

「ここは、もう残骸なんだ。祈りも、願いも、誰かの想いも……全部、なくなった」


 淡々とした口調だった。悲しみも、怒りも、すでに通り過ぎてしまったような声。

 

「人は忘れていく。神は、忘れられたら終わり。……それだけの話だよ」


 漣の口の端に、かすかな笑みが浮かぶ。その輪郭は藤の霞のように揺らいでいた。

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