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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第二章 生贄少女の恋敵

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第十七話 ◆焦燥

 夜。

 瓊環は庭に立ち、ひとり桜を見上げていた。

 一年を通して、枯れることなく同じ花を咲かせ続ける神域の桜。それは、瓊環の力の象徴だった。

 だが、万年桜だけは咲かせることができない。あれは瓊環自身の命そのものだからだ。


 ふと人間の少女──奈珠那の姿が脳裏を過った。

 瓊環は、すぐに首を振る。なぜ今、彼女の姿を思い出さなければならないのか。その影を吹き消すように、ため息をついた。


 もともと、瓊環は人間という生き物が嫌いだった。

 人間たちはいつだって、醜い欲や身勝手な祈り、他者への不幸を神に向けるだけ。利己的でうるさく、脆いくせに強欲で、矮小(わいしょう)な存在。

 それこそが、「人間」という定義だった。


 だから、奈珠那も同じだと思っていた。

 だが、初めて会ったときから彼女はどこかおかしな人間だった。

 生きることに執着がなく、かといって死を望んでいる様子もない。無駄に頭を下げ、人の一挙手一投足に怯えるように顔色を伺う。

 それでいて、与えられた温もりにはどう反応すればいいのかわからず、戸惑うように目を伏せる。


 与えられた環境に慣れ、欲を募らせればすぐに本性を見せると思ったが、彼女は変わらない。奈珠那は瓊環が定義する「人間」という生態から、大きく外れていた。


 それゆえに、最初はただの面倒な存在だと思った。

 しかし、共に過ごしていくうちに、彼女が他の人間とは決定的に違うことに気づかされる。

 奈珠那は瓊環に何も求めない。

 奇跡も、富も、不老不死も。瓊環が与えた「契約」という名の居場所で、ひっそりと呼吸をしている。

 

「ここにいていいのか」と不安げに揺れていた緋い瞳は、今はもう瓊環の前では過剰に怯えることもなくなっていた。こちらの視線に気づくと、花の蕾がほころぶように、かすかに笑うことが増えた。

 その変化に気づいたとき、胸の奥がざわついた。理由などわからない。

 しかし瓊環が自覚している以上に、同じ屋根の下で静かに時を刻む彼女の気配は、いつの間にか凍てついた日常に溶け込みはじめていたのだった。

 

「……愚かな」


 呟きは夜気に溶けて消える。

 奈珠那に向けたものではない。たった一人の人間にこれほど意識を割いている、自分自身への苦い自嘲だった。


「瓊環」


 背後から、聞き慣れた声がかかる。

 

「……天寧」


 振り返るより先に、女神はいつものように気安く距離を詰めてきた。馴れ馴れしく腕に絡みついてくる彼女の指先からは、濃厚な神気の香りが漂っている。

 

「こんな夜更けに、迷惑だとは思わないのか」

「いいじゃない。私と瓊環の仲でしょ」


 天寧の声は甘く、親密さを誇示(こじ)するようだった。かつては気にも留めなかったはずの距離が、どうしてかひどく煩わしい。

 

「いつもみたいに騒ぐな。……あいつが起きる」

「あいつって……」

「奈珠那だ」


 その名を口にした瞬間、天寧の眉間にしわが寄る。あからさまに不快そうな顔をして、弾かれたように腕を離した。


「……瓊環、やっぱり変わったわね」

「何が?」

「あの子に執着してるみたい。前は他人のことなんて、全然気にすることなかったのに」

「阿呆くさい」


 冷たく突き放すが、天寧の追及は止まらない。彼女の瞳に、嫉妬と苛立ちが混じり合う。


「あの子は……瓊環を助けなんかしない! あんな内気で自分のことすら大事にしていない子が、あなたを愛するはずないわ! 瓊環だって……!」

「……っ」

「ち、ちょっと、どうしたの!?」


 天寧が必死に訴えかけている最中、瓊環の身体がわずかに前傾した。

 心臓に鋭い熱が走ったからだ。これまて感じたことのない、自分の魂の一部が千切れるような、凄まじい痛みを含んだ一閃の熱。

 

「……奈珠那?」


 胸の奥で何かが警鐘を鳴らしている。

 契約によって繋がれた人間の気配。それが屋敷の中から消えている。いないと察知したときには、身体はもう動いていた。


「ちょ、瓊環……!? どこに……!」


 天寧が慌てて腕を掴もうとするが、瓊環はそれを冷たく振り払った。

 

「奈珠那のところだ」

「待ってよ! あの子は自分から……!」


 言いかけて、天寧は言葉を噛み殺す。その一瞬の沈黙が、すべてを語っていた。

 瓊環の金の瞳が冷ややかに細められる。

 

「お前、あいつに何が起きているのか知っているな?」

「……それは……」


 口ごもる天寧。小さく舌打ちをした瓊環は彼女の答えを待つこともなく、夜の庭から駆け出した。


 ──奈珠那……!


 心の中で、強く名を呼ぶ。

 一人の人間が消えるだけ。それなのに、この焦燥はなんなのだろう。この神域から何かが欠ける予感がしてならない。

 彼女の額に刻んだ契約の脈動が、いよいよ細くなっていく。かすかな震えが止まることを想像しただけで、胸がひやりと締めつけられた。息をするたび、そこに冷たい空白が広がっていくような、不快な感覚。

 

 なぜ、こんなにも落ち着かないのか。なぜ、奈珠那の顔が頭から離れないのか。

 答えの出ない自問を、力ずくでねじ伏せた。理由など、今はどうでもいい。指の間からこぼれ落ちようとしている、この小さな熱を繋ぎ止める。

 それだけを考えて、瓊環は闇を切り裂いた。

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