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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第二章 生贄少女の恋敵

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第十五話 変化

 珀弥に促された奈珠那は、一度自室へ戻った。

 障子を閉めると一気に肩の力が抜ける。外の空気が遠ざかったように、部屋には静寂が満ちていた。

 それなのに、心だけが落ち着かない。胸に残った瓊環の言葉が、何度も反芻(はんすう)されていたからだ。


“──愛は得られないし、与えられない”


 意味を考えようとするほど怖くなり、身震いがした。奈珠那は身体を抱きしめる。

 一年以内に瓊環のことを愛す──そういう契約で、神域へ連れてこられた。だが、周囲からも、果ては肉親からも愛を知らずに育ってきた奈珠那にとって、それはあまりにも途方もない使命に思えた。

 

 ──私に……できるのかな……。


 いや、それよりも。神域に来る前の自分は、生きることも死ぬことも、どちらでもよかったはずだ。明日が来なくても構わない。だから一年後、瓊環に命を奪われようとも──そう思っていたのに。


 ふと、珀弥の屈託のない笑顔が脳裏をよぎる。それから、つむじを曲げながらも菓子を差し出した天寧の横顔。そして何より、契約という形で命を繋ぎとめてくれた瓊環の存在。


 彼らが与えたのは、奈珠那以外の人間からすれば、きっと特別な優しさではない。

 鳥のさえずりとともに目覚める心地よい朝。ご飯や団欒(だんらん)の温もり。生きていることを責められない場所。

 その“当たり前”は、いつの間にか奈珠那の心に根を張っていた。

 死んでもいいと思えていたはずの心が、ここに留まりたいと願ってしまっている。恐ろしくもあり、同時に、どうしようもなく温かかった。


 ──私に、愛なんて……。


 できるかどうかは、まだわからない。けれど少なくとも、今の奈珠那は「生きたい」と思ってしまった自分を否定できずにいた。


 ⁂

 

 珀弥に「休んだほうがいい」と言われても、奈珠那は部屋でじっとしているのが耐えられなかった。

 何かをしていないと落ち着かない。それはいつもの癖のはずなのに、今日は少し違う。ただ与えられるだけで終わりたくない、そんな思いが奈珠那を突き動かした。

 部屋を出ようと障子に手をかけた、そのとき。


 空気が変わる。部屋の奥がわずかに歪み、数刻ほど前に奈珠那の頬を叩いた、あの生暖かい風が渦を巻いた。


「贅沢な部屋ね」


 低く艶を含んだ声。奈珠那は声を聞くより先に、訪れたのが誰なのか悟っていた。

 

「天寧、様……」


 翠の髪をゆるくまとめ、腕を組んだその姿は、昼間の眩しさとは打って変わって艶(あで)やかに見える。神としての威圧と、女としての苛立ちが、あからさまなほどに浮き彫りになっていた。


「なに、その顔? 化け物でも見るような顔しちゃって」

「……申し訳、ございません」

「はあ? 本当に化け物として見てたわけ?」

「あ……いえ、そんなつもりは……」


 言ってしまった、と肝を冷やした。本心では、そんなふうに思ってなどいない。それなのに口をついて出たのは否定でも説明でもなく、いつもの謝罪だった。

 

 波風を立てないために、相手の機嫌を損ねないために、先に頭を下げる。そうすることで、これまで何度も自分を守ってきた。だが今は、その癖がかえって誤解を生んでいるのだと、はっきりとわかる。

 言葉を探す奈珠那を天寧は一瞥(いちべつ)し、蔑むようにため息をついた。


「ったく。本当に、なんで瓊環はこんな人間なんかを……」


 吐き捨てるような言葉に、胸がきりっと小さく軋む。それでも奈珠那は、俯かなかった。


「あの……私は、どうしたらいいのでしょうか?」


 それは許しを乞う言葉ではなく、与えられたものをどう返せばいいのかを探す問いだった。

 淡くも生きたいと思ってしまった以上、庇護(ひご)されるだけの存在ではいたくない。

 けれど奈珠那には、ここで生きるために何を差し出せばいいのかが、まだわからなかった。救われた命をどう返せばいいのか。瓊環たちに与えられたこの日々に、どんな意味を持たせればいいのか。

 その答えを欲していた。だから目の前に立つ女神に、無意識のうちに問いを投げてしまったのだ。

 

「はあ!? そんなの、なんで私に聞くわけ?」

「……すみません」

「うざったいわね」


 苛立ちを隠そうともせず、天寧は舌打ちする。


「でも、そうね。どうしらって聞くなら……」


 一拍置いて、唇が歪んだ。


「神域の奥にある、『紅玉の果実』を取ってきなさい」

「……紅玉の、果実?」

「ええ。それを取ってこれたら、私はあなたのことを少しだけ認めてあげる」


 天寧は一歩、奈珠那へと詰め寄った。彼女の身からあふれる神気に触れ、肌にピリピリとした痛みが走る。

 

「神域の奥は神しか近づけない場所よ。空気は濃いし、道も歪む。人間には毒でしかない。運が悪ければ、そのまま消えるわ」


 あえて突き放すような言い草は、脅しには聞こえなかった。神としての、慈悲のない事実の提示だ。


「私はね、納得してないの。人間なんて簡単に壊れる。愛を知らない神を救えるほど、強くない」


 きつくなった天寧の視線が、奈珠那を射抜いた。


「あなたに、できるはずがない」


 それは試練のことを指していると同時に、奈珠那が瓊環の契約者であることを否定する言葉でもあった。


 深く息を吸う奈珠那。かつての自分なら、何を考えるでもなく、漠然と「申し訳ございません」と視線を伏せていただろう。

 けれど、今は違う。ここで頭を下げ、「やりません、できません」と口にすることは、命を繋いでくれた瓊環の恩と、自分を「奈珠那様」と明るく呼んでくれる珀弥の真心を、根底から否定してしまう気がする。


 何より、あれほど希薄だったはずの自分の心が今、「ここにいたい」と叫ぶように鼓動している。ただ生きるのではなく、瓊環が生かしてくれたことに意味を持たせたい。


「……やります」


 言葉は短く、そして揺らぎがなかった。自分でも不思議なほど、奈珠那は落ち着いている。

 返事を聞いた天寧の目が、一瞬だけ見開かれた。驚きというより、想定外のものを見たときの反応のように。


「へえ……」


 値踏みするような視線で、奈珠那を上から下へとなぞる。瞳には、先ほどまでの苛立ちとは異なる色が混じっていた。


「逃げないんだ。てっきり怖気付くとでも思ったのに」


 試すような口調。受けた度胸を褒めるでも、かといって認めたわけでもなさそうだ。しかし、突き放すにはどこか甘い。

 

「決行は夜よ。寝静まったと思わせて、屋敷を抜けなさい」


 当然のように告げられ、奈珠那は小さく息を呑む。

 けれど、もう迷いはなかった。覚悟を決めたように奈珠那は大きく頷く。初めて、生きることを前提にした選択をしたのだ。

 

「後悔しても遅いんだから」


 最後に言い捨てて、天寧の姿は風に溶けるように消えた。

 残された空気が、わずかに甘い。その甘さは、試練を課した女神の本心を、ほんの少しだけ覗かせているように思えた。


お読みいただきありがとうございます!

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