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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第二章 生贄少女の恋敵

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第十四話 悋気

 朝の神域は、どこかざわついていた。いつもなら鳥の声と風の音が満ちているはずなのに、今日は違う。張り詰めた空気が屋敷の奥から滲み出している。


 ──様子が変……。

 

 奈珠那が縁側に足をかけた、そのときだった。

 

「どうして私じゃないの!?」


 鋭い声がはっきりと響いた。豊穣の女神、天寧のものだ。

 奈珠那の足がぴたりと止まり、鼓動が一つ大きく鳴った。

 

「答えてよ、瓊環! 私じゃなくて、どうして……!」

「騒ぐな」


 言葉の途中で、低く抑えた声が天寧の訴えを遮った。

 

「騒いでない! 抗議してるのよ! なんで、黙って人間なんかを……!」


 襖の向こう、声はすぐ近で聞こえる。

 会話から、すぐに奈珠那は自分のことを言っているのだと察した。以前感じた胸のざらつきがよみがえる。

 ここから立ち去るべきだとわかっているのに、どうしてか身体が動かない。


「お前には関係ない」

「関係なくない! 契約まで結んで、印までつけて……!」


 一瞬、言葉が途切れる。


「……私を愛してくれれば、それでいいじゃない」


 彼女の声は怒りよりも切実で、縋(すが)るようにさえ聞こえた。

 

「どうして私じゃ駄目なの? 私のほうが、ずっと……!」

「天寧」


 瓊環の声はいつもより低く、冷静だった。彼女を鎮めるためではなく、最初から瓊環の感情など揺らぐことがないように。


「この際、はっきり言っておく。お前から愛は得られないし、与えられない」


 彼が放ったその一言は、天寧の悲痛な訴えを切り捨てる刃のようだった。


「あの人間になら……それができるってこと?」

「さあな」

「……ひどい言い方。でも、そうよね。瓊環は昔からそうだった」


 天寧が自嘲気味に笑う声がする。その笑みは艶やかで、けれどどこか歪んで聞こえた。


「感情を知らないから……! だから、瓊環は……!」

「出ていけ」

「どこ行くの!? まだ話は終わってない!」


 天寧の声が大きくなり、震えた。


「あなた、このままだと……!」


 その言葉の続きを、奈珠那は聞くことができなかった。すうっと、襖が開く音がしたからだ。

 反射的に視線を向けると、姿を見せたのは瓊環だった。自然と視線が合う。ほんの一瞬だけ、金の瞳がわずかに細められた気がした。

 

「奈珠那……」


 名を呼ばれた瞬間、心臓が急激に冷えた。

 立ち聞きするつもりなどなかった、身体が動かなかっただけ。そんな言い訳など、通じるはずもない。

 天寧は開かれた襖の向こうに立ち尽くす人間を見て、怒りに顔を赤くした。


「あなた! 盗み聞きなんて、趣味悪くない!?」

「申し訳……ございません……」

「やっぱり、こんな人間! 私は……!」

「天寧」


 鋭く、冷たい声。それ以上を許さないと告げるような、短いひと声だった。


「……なによ、なによ!」


 天寧は唇を噛みしめ、悔しさを隠すこともなく瓊環を睨みつける。


「私は、瓊環のことを心配してあげてるだけじゃない!」

「余計なお世話だ」

「……っ!」


 天寧の表情が、怒りと悲しみの間で歪む。


「もう……知らない!」


 涙ぐむような声で叫ぶのに合わせて風が巻き起こり、襖がばたばたと音を立てて揺れた。

 突風のような風に思わず目をつむったのも束の間、豊穣の女神の姿は跡形もなく消えていた。去る直前、怒りの名残のような生暖かい風が奈珠那の頬を叩いていった。

 あとに残されたのは襖の向こうにいる瓊環と、重い沈黙。


 奈珠那は立ち尽くしたまま、胸がひどくざわつくのを感じていた。

 自分が聞いてしまった言葉の重さ。そして、自分がはっきりと話題の中心にいたという事実。

 

「奈珠那」


 呼ばれて、はっと顔を上げる。瓊環はいつもと変わらない表情をしていた。怒っているようには見受けられない。こちらを責めるような気配だって感じない。本当に、いつも通りの静けさだった。

 

「申し訳ございません……立ち聞きするつもりは……」

「わかっている」


 短く、それだけ言われる。

 それがかえって、胸を締めつけた。許されたのか、あるいは咎める価値もないのか。その判断がつかず、怒られたほうが楽だとさえ思ってしまう。

 そのとき、廊下を小走りに近づく足音がした。

 

「瓊環様、お茶のご用意が……あれ、天寧様は?」


 姿を現した珀弥が、きょろりと辺りを見回す。

 

「帰った」

「……ああ、なるほど」


 それだけで察したのか、珀弥は小さく息をついた。そして奈珠那のほうを見ると、いつもの柔らかな表情に戻る。


「大丈夫ですか、奈珠那様」

「……はい」


 返事はしたものの、心までは追いついていなかった。

 

「今は少し休まれたほうがいいですね」


 さりげなく珀弥が奈珠那の前に立つ。


「後のことは、オレたちに任せてください」

「……ありがとうございます」


 礼を言いながら、奈珠那はふと瓊環のほう見た。

 射抜くような金色の瞳がこちらに向けられて、喉元がきゅっと締まる。何か言うべきなのか、それとも何も言わないほうがいいのか。

 奈珠那が迷っているうちに、瓊環は視線を逸らした。


「行きましょう、奈珠那様」


 珀弥の気遣いに奈珠那は小さく頷き、促されるまま踵を返す。背中にまだあの金の視線が残っている気がして、振り返ることはできなかった。

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