第34話 参謀に捧げる温かい弁当
中央大厨房のカウンター越しに、俺、南条悠は、少し気まずそうに視線を泳がせる冷徹な参謀を見つめていた。
「……ユウ殿。少し、よろしいでしょうか」
第1大隊の副官であるクロード・レーヴェは、いつもの知的な銀縁メガネの奥の瞳を伏せ、どこか言い淀むような、歯切れの悪い声で口を開いた。
彼の細く長い指先は、軍服の上から、キリキリと痛む自身の胃の辺りを無意識のうちに強く押さえている。
「どうしました、クロードさん。顔色がひどく青白いですよ。また徹夜の軍議ですか?」
俺が心配して声をかけると、彼は小さく息を吐き出し、重い口を開いた。
「実は……誠に恥ずかしいのですが、過酷なデスクワークと部隊の管理業務で、すっかり胃腸が弱り切ってしまいまして。豪快すぎるバルト本隊長の演習の尻拭いから始まり、今回の極寒遠征の膨大な事後処理、さらには王都からの無茶な物資要求の書類まで……。休む間もなく頭をフル回転させていた結果、大食堂の固焼きパンや強い塩気の肉の匂いを嗅ぐだけで、胃酸が込み上げてくる有様なのです」
クロードは銀縁メガネを中指でクイッと押し上げ、自嘲気味に口元を歪めた。
「ですが、明日の新たな部隊編成に向けて、私がここで倒れるわけにはいきません。執務室で大量の書類と睨み合いながらでも手軽に食べられて、かつ、この荒れ果てて消化液の出ない胃袋でも優しく受け入れられるものを……私のために、特別に作ってはいただけないでしょうか」
常に理論とデータを重んじ、軍の中枢として他人に弱みを見せようとしない彼が、痛みに耐えかねて頭を下げてきたのだ。
料理人として、この悲痛なSOSに応えないわけにはいかない。
「……わかりました」
俺は白のコックコート風エプロンの紐を力強く結び直し、彼に向かって優しく、しかし頼もしい笑みを浮かべた。
「クロードさんの限界を迎えた胃袋は、俺が責任を持ってケアします。乳製品や重い魔獣の脂は一切使わず、和風出汁の純粋な旨味だけで優しく身体を労わる、特製の『絶対鮮度ストレージ弁当』を作りましょう」
「乳製品や重い脂を、一切使わない……?」
「ええ。今のあなたの極度に疲労した胃には、動物性の強い脂肪分は消化の負担が大きすぎますからね」
俺は絶対鮮度アイテムボックスを展開し、光の空間からいくつかの食材を素早く取り出した。
「ペティ、出番だ。荒れた胃袋の粘膜を優しく保護して、心まで温かくなるような最高のお弁当を仕込むぞ」
「任せるっすマスター! この堅物参謀のボロボロに痛んだ胃袋を、俺とマスターの優しい飯で完全に癒やしてやるっすよ!」
俺のエプロンのポケットから飛び出した相棒のペティが、柄の青い魔石をチカチカと明滅させて気合いを入れる。
「まずはメインのおかずだ。極寒の清流で獲れたジャイアントサモン……大鮭の切り身を使う。魚の良質な脂なら、胃への負担も少ない」
俺はペティの白銀の柄を握り、分厚い鮭の切り身へと刃を滑らせた。
スゥ……ッ。
「ひょ~! 綺麗なオレンジ色! 脂が乗ってて最高っすね! 小骨も俺の食材直感で完璧に見切って、ミリ単位で取り除いてあるっすよ!」
俺はその切り身に軽く岩塩を振り、かまどの網の上で、皮がパリッとするまでじっくりと香ばしく焼き上げていく。
パチパチ、ジュワッ。
魚の脂が落ちる心地よい音と共に、香ばしい焼き鮭の匂いが厨房にふわりと広がった。
「次に、卵焼きだ。ただの卵焼きじゃない。先日クロードさんに飲んでもらった、あのロックバードの黄金の出汁をたっぷりと巻き込んだ『出汁巻き卵』にする」
ボウルに新鮮なコカトリスの卵を割り入れ、黄金の出汁をたっぷりと注いで手早くかき混ぜる。
熱した四角い鉄の専用鍋に少量の油を引き、卵液を流し込む。
ジュワァァァッ……!
小気味良い音と共に、薄い層を何重にもクルクルと素早く巻き上げていく。火加減はごく弱く、卵の柔らかさを限界まで引き出すように。
「ひょおおおっ! 卵の中から、出汁の香りがパンパンに弾けてるっす! ふるっふるのプルンプルンで、お箸で持つのも難しそうっすよ!」
「そして、仕上げの副菜だ。これが今回の胃痛ケアの切り札になる」
俺がまな板の上に取り出したのは、水分をたっぷりと含んだ新鮮な濃い紫色の茄子だった。
「茄子……ですか? 野菜をそのまま焼くのですか?」
カウンターから身を乗り出したクロードが、不思議そうに尋ねてくる。
「ただ焼くだけじゃありません。この茄子を素揚げにして、特製の温かい出汁に漬け込む『揚げ浸し』にするんです」
トントン、トントンッ!
ペティの鋭い切れ味で、茄子の表面に細かく、そして美しい格子状の隠し包丁を入れていく。
こうすることで、火の通りが早くなり、出汁がスポンジのように奥の奥まで染み込むのだ。
「ペティ、あそこで余っている片栗粉を取ってくれ」
「おうっすマスター! これをどうするんすか?」
「茄子の表面に、片栗粉を薄くまぶすんだ。そうしてから少量の油で揚げ焼きにすることで、表面の衣がゼリーのようにトロトロになって、出汁の旨味を一滴残らず吸い込んでくれる」
熱した油に、片栗粉をまとった茄子を静かに落とす。
ジュワァァァァッ!!
勢いよく油が弾ける音が響き、茄子の美しい紫色がさらに色鮮やかに発色していく。
中まで完全に火が通り、衣がカリッとしたところで油から引き上げ、すりおろした生姜を効かせた温かい琥珀色の出汁の中へと、ジュワッと一気に漬け込んだ。
ジュウウウッ……!
「うわぁ……っ」
出汁を吸い込む心地よい音と、立ち上る生姜の爽やかな香りに、クロードがたまらないといった様子で小さく感嘆の声を漏らした。
「よし、これで全てのおかずが揃ったな」
俺はアイテムボックスから、漆黒の美しい木箱を取り出した。
そこに、出汁で炊き上げたふっくらとした熱々の白米を敷き詰め、その上に、こんがりと焼けたジャイアントサモンの塩焼きをドンと乗せる。
脇には、黄金色に輝くふるふるの出汁巻き卵。
そして、琥珀色の出汁をたっぷりと吸って艶やかに光る、茄子の揚げ浸しを彩り良く添えた。
「完成です。激務で荒れた胃袋を優しく労わる、特製・和風出汁弁当」
俺は重箱の蓋を閉める前に、味見用の小皿に少しだけおかずを取り分け、クロードの前に差し出した。
「執務室に持ち帰る前に、少しだけ味見をしてみてください。本当に胃に負担がかからないか確認したいので」
「い、いただきます……」
クロードは震える指先で割り箸を持ち、まずは黄金色の出汁巻き卵をそっと口へと運んだ。
フワァ……。
コクン。
その瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
クロードの細身の身体が、まるで目に見えない優しい衝撃を受けたかのようにビクリと硬直した。
銀縁メガネの奥の理知的な瞳が、これ以上ないほどに見開かれている。
(な、なんだこの……口の中で羽のようにほどける柔らかさと、奥から溢れ出してくる出汁の旨味は……っ!)
歯を立てる必要すらなかった。
フワフワの卵を舌で軽く押しつぶした瞬間、中に限界まで閉じ込められていたロックバードの濃厚な黄金出汁が、ジュワァァァッと口内いっぱいに溢れ出したのだ。
乳製品や余計な油を一切使っていないため、後味はどこまでもスッキリと上品で、キリキリと痛んでいた胃の粘膜を、まるで温かい毛布で包み込むようにじんわりと癒やしていく。
「……はぁっ……美味しい……っ!」
クロードは熱さと美味さに目を白黒させながら、今度は艶やかな茄子の揚げ浸しへと箸を伸ばした。
出汁をたっぷりと吸い込んで重くなった茄子を、パクリと口に放り込む。
「~~~~っ!!」
声にならない心地よい悲鳴が、彼の喉の奥から漏れた。
(茄子が……口の中で溶けた……!? 細かく入れられた包丁と、片栗粉のとろとろの衣が、出汁の旨味を完全に閉じ込めている……っ!)
噛み締めるたびに、茄子から熱々の琥珀色の出汁がとめどなく溢れ出す。
生姜の爽やかな刺激が、冷え切っていた胃の腑からじんわりと全身を温め、過労で悲鳴を上げていた細胞の隅々にまで優しい栄養が染み渡っていく。
油の重たさは微塵も感じない。ただひたすらに、優しくて、甘くて、心まで溶かされるような温かい味わいだ。
「ひょ~! クロードの旦那、完全に恍惚フリーズからのモグモグタイムに突入っすね! 堅物参謀がすっかりとろけちまってるっすよ!」
ペティが冷やかすが、クロードはもう箸を止めることができなかった。
ジャイアントサモンの香ばしい塩気と上質な脂の甘みで、出汁の染みた白米を夢中でかき込む。
痛くてパンの一切れも食べられなかったはずの胃袋が、歓喜の声を上げて次々とおかずを受け入れていくのがわかった。
「……ふぅっ……」
あっという間に味見用の小皿を空にしたクロードは、深く、本当に深い安堵の息を吐き出し、割り箸をそっと置いた。
「……信じられない。胃の痛みが完全に消え去り、身体の芯から温かい活力が湧き上がってくるのを感じます」
彼は銀縁メガネを外し、目頭を指で軽く押さえながら、俺に向かって深々と頭を下げた。
「ユウ殿。誰かのために注いだ愛は、巡り巡って必ずあなたを温める……。このお弁当は、ただの栄養補給のための食事ではありません。私の命と心を救う、最高の兵站です」
「お粗末様でした。これなら、執務室での書類仕事中も無理なく食べられますね」
俺が漆黒の木箱の蓋を閉め、絶対鮮度アイテムボックスの中へと一度収納して鮮度と温度を固定してから、再び彼へと手渡す。
「ありがとうございます。この温もり……一秒たりとも逃さず、執務の合間に大切にいただきます」
クロードは弁当箱を両手でしっかりと抱きかかえ、メガネの奥から、かつてないほどに真剣で、熱を帯びた視線を俺に向けた。
「ユウ殿。これほどの料理と、時間を止めるその能力……必ず、王都の欲深い貴族たちがあなたの力を独占しようと嗅ぎつけてくるはずです」
彼の冷徹な参謀としての顔が、最も頼もしい味方のそれへと変わる。
「ですが、安心してください。あなたのこの厨房と、その温かい居場所は……第1大隊副官であるこの私が、司令官閣下と共に、全権と知略をもって、いかなる外敵からも完全に防衛してみせます」
「クロードさん……」
「あなたはこの要塞の至宝だ。ユウ殿の背中は、我々が守ります」
クロードは深々と一礼し、弁当箱を胸に抱いたまま、足取りも軽く厨房を後にした。
静かな朝の厨房に、優しい和風出汁の香りが残る。
どうやら俺は、この要塞でとんでもなく心強い、知的な盾を手に入れてしまったようだ。
【次回予告】
胃痛の参謀を癒やした特製弁当!
ユウの存在が要塞の「至宝」として完全に定着する中、将軍とクロードの鉄壁の護りが発動する!
次回第35話「陰からの最強の護り」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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