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ep2. 誕生

不自然という言葉は、自然に対する冒涜であると同時に、人類にとっての勝利宣言でもある。

グレゴウス歴60年。


リンドベルク男爵家の育児室が、現在のエリク・リンドベルクの主な活動場所だ。


あの白昼夢──あるいは死後の世界での出来事は、はっきりと覚えていた。


ゆえに、彼は理解していた。


己が今、人生の二周目に立たされていることを。


あるいは三周目でもあるのだが。

それは、今の彼が知る由もない事だ。


だから、彼は完璧に「赤ん坊」という役を演じきっていた。

――はずだった。



如何なる名優であっても、初演には失敗がつきものである。



彼は悟った。

どうやら僕の泣き方は赤ん坊らしくないようだ、と。


それに気づいたのは、家に遊びに来た親戚の叔母に抱き上げられたときだった。

その叔母は、とても香水臭かった。


そして、芳香に耐えかねたエリクは、即座に不快感を表明すべく、赤ん坊の最大にして唯一の武器である号泣を発動した。


いわゆる泣き真似である。


「わぁぁぁぁん!わぁぁぁぁぁん!あぁぁぁぁぁあん!」


直後。

叔母の表情から、一切の慈愛が剥落した。

次に浮かべた表情は、畏怖か、あるいは、生理的な嫌悪か。


エリクの泣き真似を聞いた瞬間、叔母は驚いたような顔で、慌てて赤ん坊を放した。


それが得体の知れないナニカだと、本能が警鐘を鳴らしたのである。


「ヒャッ……キャアァァァッ!!」


「ごめんなさいね、私たちはもう慣れてしまって忘れていたわ。この子、ちょっと泣き方が独特なのよ」


実の母、イングリッド・リンドベルクがフォローに回る。

エリクを抱き取り、憐れみを含んだ微笑を浮かべる。


「ねえ、エリク?怖がらせるつもりはなかったんだよね?」


自分の泣き真似が、とても他人に見せられる程の出来栄えではないことを、彼はこの時初めて理解した。


後日、エリクは育児室の鏡の前で、孤独な反省会を開催することになる。


もちろん、監視の目が消えた昼下がりの一瞬を突いて。


「わぁぁぁぁぁん!わぁぁぁぁぁん!」


鏡の中には、片目を開けて自身の表情をミリ単位で調整する、一人の幼児がいた。


それは、彼にとっては己を社会に適応させるための必要な作業。


しかし、傍から見れば、ナルシストの所作そのものであった。


それから毎日のように鏡の前で自分の姿を確認する彼を、そのうち家の者が目撃し、彼を誤解する日もそう遠くないだろう。



それから半年。


赤ん坊の真似も板につき、平穏な生活を謳歌していた。


立って歩く事も出来るようになり、リンドベルク邸を縦横無尽に徘徊する日々。

メイドや執事に捕獲されることも、彼にとっては計算済みのコミュニケーションの一部に過ぎなかった。


その日の探検区域は、二階の寝室。


エリクは、ベランダの柵の隙間から、外の景色を眺めていた。


だが、その時。

不用意に動かした肘が、手すりに置かれた花瓶に接触した。


陶器が描く、落下の放物線。

(しまった――ッ!)


彼の脳内に、前世の後悔がフラッシュバックする。


また間違えるのか。

また失うのか。

また防げないのか。


たかが花瓶如きで、と思うかもしれないが、彼にとってのそれはもはやトラウマレベルで刻み込まれているのである。


その刹那。

世界から音と動きが消失した。


否。

消失したのではない。


時間が、停止したのだ。

正確には、停止に見えるくらいに超スローモーションになった。


極彩色の静止画となった世界の中で、エリクは身を乗り出した。

空中に静止した花瓶を、赤ん坊の小さな手で、易々と回収する。


人生二周目であるエリクはこの不可思議な現象を、瞬時に理解した。


これが、彼に与えられた特殊能力だと。


魔法の才能があることに、彼は歓喜する。


しかし、エリクはまだ知らない。


彼には、魔法の才能など無いということを。


危険を回避した彼は、安堵からかその場で寝込んでしまった。

赤ん坊の体というのは、実に不便である。

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