ABT18. 煙と糸 (5)
魔法元素のある地域に生まれた者は、地水火風の元素のうち一つだけを操ることができる。元素は、魔法石を媒介にして変換することで魔法を発現させることができる。
しかし、ごく稀に魔法石を必要としない、特異体質の子どもが生まれる。その殆どは魔法元素を知覚し、二種ないし三種を扱うことができるが、本人の意志とは無関係に元素を体内に蓄積し続けてしまうため、負荷に耐え切れず成人になるまでに命を落としてしまう。
治癒法はまだ確立されていない。元素を体内に蓄積しないよう、吸収力の高い魔法石を身につけさせたり、元素の濃度が薄い地域で過ごさせるなどの処置を取るが、そもそも患者数が少ないのだ。
サティヤは暫く逡巡してから、ホントは黙っておくべきなんだけど、と口を開いた。
「あの子は目が魔法元素を吸っちゃうらしくてね。見えるんだってさ。でも片方を手術でエメラと交換したから大分マシになったらしいんだ。店にも、この建物内にも魔法石が多く設置してあるから、今すぐどうこうってわけじゃない。でも王国の大学にも通ってるし、医者からはこのままだと保って二、三年だって……」
サティヤは顔を両手で覆った。
「言うことを聞かないんだ。この街で、果たすべき役目があるからって。もし帝国に行けば、普通の人ほど長く生きられなくても、もっと多くのことを望めるはずなんだ。だけどティタン人は、この病気は神様に選ばれた証だって、治すどころか巫女にして捧げてしまうんで、親ですらあの子を止めないんだ」
あと二、三年の命?
愕然とした。
だからティスは、あんなことを言ったのだ。
なぜ自分は何も気付けなかったのだろう。体調に異変が出たところを見たことはないが、ルピナスは年齢の割に小柄で華奢で、ティタン人である割に肌が白い。それは血色があまりよくないせいだったのか。
いつの間にか唇を噛んでいた。
「わかりました。約束します。必ず帝国に連れていきます」
「ああ、ありがとう。そんときゃ、旅費の足しになるくらいは渡すからね。どうか頼んだよ。でもあの子にはこの話、黙っていてね」
頷くと、サティヤはフランツの手を両手で強く握った。柔らかく温かい手だ。その目には涙が浮かんでいた。
外の階段を降りながら、何もなかったような顔を取り繕う練習をしてみた。中途半端では簡単に見透かされてしまうだろう。話を誤魔化すには、戻るなり別の話を振るのがいいだろうと、結論を出した。
「師匠、さっき話に出ていたバーに行くのは来週でもいいですか? 木曜って空いてます?」
「な、なんですかいきなり」
カウンターを拭いていたルピナスの手の往復スピードが倍速になった。
「木曜が駄目なら次の休みでも」
「……木曜で構いませんけど」
目を合わせずに、ルピナスは同じ部分をゴシゴシし続けている。
やはり最近の彼女は変だ。冷たい態度を取ったり、すぐ慌てたり、心ここにあらずな様子でぼんやりしていたり。病のせいで精神不安定になっているのではないか。
「よかった。その日は大人っぽい師匠でお願いしますね」
「言われなくてもそうします」
彼女は相変わらず目を合わせずに、耳に掛かった髪をかきあげた。
「師匠、サティヤさんの悪い冗談は忘れてくださいね。純粋に勉強のために行くんですから」
ようやく目が合った。蒼と翠のオッドアイ。その瞳に隠された意味を知ってしまったら、以前と同じように軽口を叩く気になれない。そんなふうに気遣われるのはイヤだと怒られそうだけれども。
瞼には薄い赤色、唇には淡い桜色が乗っていた。そういえば、以前は化粧らしい化粧をしていなかったはずだ。
「師匠、お化粧って前からしてましたっけ?」
「気付くのが遅すぎます。誕生日祝いにアストラさん[注・常連客の一人]から頂きました」
「いいんじゃないですか。バーに行くときも、そういう可愛い感じがいいです」
とりあえず褒めておけば機嫌を損ねられることはない。わかりやすいお世辞ではなく、正直に言えばよし。この数ヶ月で学んだ取り扱い方法である。
しかし、反応が得られなかった。
「どうしました? おーい」
「な、なんでもないです! 考えごと!」
ルピナスは急に動き出すと、すぐ戻ると言って裏の部屋に消えてしまった。
さて、どうやって説き伏せるか。
店を捨てて帝国まで一緒についてきてほしいと伝える? それこそまるでプロポーズだ。
『ねえ、あんたがもしあの子を大事だと思ってるなら……』
恋愛対象かどうかと訊かれると、未だ傷の癒えない心は、やはり何の返答も寄越さない。
けれども、大切な存在であることは間違いなかった。出会って三カ月と少しだけれど、彼女がいるからティタンに再び戻ってきたのだと思う。彼女はたぶん、自分にとって係留ロープのような存在だから。彼女さえいれば、どこに行っても自分の居場所ができるような気がする。
不思議なことに、心は凪いでいた。自分の中の答えはすでに決まっていた。
彼女がいない、そんな明日は認められない。他の誰にも、その居場所を埋めることはできない。
アドリア海の見えない街に無理やり連れて行くことは、エゴに過ぎないのかもしれないが。
『あんたの言う事なら聞くと思うんだ』
なぜサティヤは、あんなことを言ったのだろう。それはつまり――
いや、まさか。そんなわけがない。ないはずだ。




