第十四話 俯瞰
最初は体が揺れているな、と思った。私たちは誘拐され、馬車に乗せられていたので揺れるのは当たり前なのだが、さっきまでとは感覚が違う。あまり体が安定していない感じだし、少しだけ体が温かい。眠気も無くなって、すっきりしている。
「追いつかれてるか?」
「……あー、結構来てるわ。兄ちゃん、剣二本持ってる?」
「一本だけだ」
「……ヤバいなぁ。どうすっか……」
そんなやり取りが聞こえる。一人はノールだけど、もう一人は初めて聞く声だ。私たちを連れ去った人たちとは少し違う気がする。聞き覚えがない。ゆっくり目を開けてみる。
「起きた。やべぇぞ。正義のヒーローだ。この兄ちゃん」
ノールがひょこっと顔を出して、そう言った。何を言っているのか分からないが、オウム返しのように繰り返した。
「……ヒーロー?」
ノールの顔のすぐ横に、もう一つ顔があった。綺麗な黒髪をしている。あまり癖のない真っ直ぐな髪だ。少し陰険そうな目つきをしているのが残念だが、全体的に整った顔立ちをしているお兄さんだった。
そのお兄さんの腕の中に、私はすっぽりと収まっていた。
数秒、頭が真っ白になった。
え、今、抱きかかえられてるの……? それも男の人に……? あまり男の人は得意でもないのに、こんな大胆な格好をして抱えられている。恥ずかしくなってきた。
「え、ていうか、なにこれ……。どうなって。この体勢……」
顔が熱い。嘘。なんか、悪い気がしてきた。顔を覆いたくなるが、拘束されていることを思い出し、それも出来なかった。でもここで猿轡だけは外されていることに気付いた。このお兄さんが外してくれたのだろうか。
色々疑問があって、何か質問してみようとしたが、すぐにお兄さんはノールの方を向いた。
「ノール、後ろどうなってる」
「ん。あー、近いな。もう少しで追いつかれる。なぁ、その剣とナイフで良いから貸してくんない? 後は俺がどうにかするから」
ノールが不遜にもお兄さんの頭を叩いていた。少し首を伸ばしてみると、誘拐犯が追いかけてきていた。追われている。やはり助けてくれたんだと、ほっとした。しかし、それも今は完璧に事が運んでいるわけではないのだと気づいた。
これからどうすれば良いんだろう。どうするのが正解なんだろう。相手は三人、こっちも三人。でも、私とノールには武器が無い。それは埋める事が出来ない絶対的差だ。武器さえあれば、負ける気はほとんどしない。攫われた時の事はあまり覚えていないけど、完全に油断していたことは確かだと思う。特に、あの不健康そうな人。あの人が強い。スキルを持っているだろうし、最も警戒しないといけない。
私はそうやっていろいろ考えているのに……。
「剣は貸してやる。でもやるのは俺だ。お前らは逃げてろ」
「いやぁ、兄ちゃん、あいつら勝てんの? 武器なしで?」
「大人の言う事は聞くもんだぞ」
「そこまで歳違わなくね?」
「俺18歳だし」
「五歳差じゃん。変わんないよ」
会話を楽しんでいる。普通に喋ってるし。何。この緊張感の無さ。
じぃっと二人の事を睨んだ。私は一生懸命に考えているのに、これだから男の子は……。
「何でそんなに余裕そうなの……」
呆れ声でそう言うと、二人ともバツの悪い顔になった。
お兄さんも反省したのか、すぐにキリッとした顔になった。ていうか、この人凄いな。私とノール二人抱えて、こんなに早く走っている。……私、重くないかな……?
「ノール。アイラを解放してろ。剣は渡す」
自己紹介なんてしたっけ、なんて思っているとすぐに地面におろされた。ノールもぴょんと跳んで、地面に着地した。すぐに私を縛るロープを切ってくれた。
「おっしゃ、剣二本ゲット。俺無敵モード突入!」
ノールが右に長い剣と左にナイフを握って、準備を完了させている。戦う気でいるのだろうか。そんな、危ないことしなくても、あのお兄さん……。
「もう二人倒しちゃったけど……」
「え、嘘。早。うわぁ、結構強いな」
しかしお兄さんも無敵じゃなかった。肩を突かれて、血が流れ出している。悲鳴をあげそうになった。本当に痛そうだ。口に手を当てて、見ていられない。武器があれば……。
お兄さんが不健康そうな男に人から、一っ跳びで私たちの所まで下がってきた。
ノールが大丈夫かと聞くと、少し痛そうな声で「あぁ、余裕だ」と言っていた。本当に、大丈夫なのだろうか。肩の周辺が真っ赤になっている。
ここで一思いに逃げようかと提案しようとしたが、すぐにお兄さんは倒した男の人の足を掴んで振り回し始めた。
「うわぁ。あれ、考え方がひねくれてるな、あの兄ちゃん」
それは否定しない。人の体を武器にしようなんて、普通しないし、実行できるほど、人は力持ちじゃない。でも、あの人はやっている。
お兄さんは不健康そうな人を木まで追い込んだけど、いきなり攻撃を中止した。
「どうしたんだろう……」
ノールも動きに注視している。私の言葉に反応するという事はなかった。
お兄さんは人間という武器を手放し、武器を失っている。ノールに剣を返した方が良いんじゃないかと言おうと思ったら、次は《炎熱魔法》を使い始めた。
炎の矢が次々と打ち出されている。すごい。魔法なんて滅多に見れないから、その鮮やかさに見とれてしまった。
でも不健康そうな人も負けていない。あのたくさんの炎の矢を避けまくっている。心の中でお兄さんを応援していると、ノールがうずうずし始めた。
「いいな、いいな。俺も混ざろうかな」
「ち、ちょっと、やめておいた方が良いんじゃ……」
ノールの裾を引っ張って、押しとどめる。その時、目線を外したことを後悔した。何が起こったか分からなかった。お兄さんが膝を着いている。ノールもびっくりしている。さっきまであんなに優勢だったのに、いきなり足元が不安定になったかのようにグラついていた。
「え、え、どうしたの?」
「分からない……」
一部始終を見ていたノールでも分からないようだ。そんな、どうしよう。
不健康そうな人が、お兄さんに近づく。ギラリと輝く剣が恐ろしかった。
「の、ノール、どうしよう……」
でも、ノールも反応してくれない。さっきまで余裕そうにしていたのに。もはや目は真剣だった。異常に男に注目している。
そんな中、お兄さんがこっちを見ながら、小さな声で呟いた。
「お前ら、逃げとけ……」
え、と、それって……。
直後、お兄さんが剣で貫かれた。地面に串刺しにされ、口から血があふれている。傷口からは溢れんばかりの血が流れ出して、血だまりを作っている。
「え……」
死んだ、の?
ピクリとも動いていない。今、死んだ? なんで? あの人、何か悪い事でもしたの……?
「やべぇ、どうする……!? 負けやがった、あの兄ちゃん。逃げろったって、ここどこか知らねぇよ」
ノールの剣を握る力が増している。
「の、ノール……」
「ちょっと黙ってろ。今お前は役立たずなんだから」
「ご、ごめん……」
いくら持て囃されても、武器が無ければ私は紙だ。とても薄っぺらな存在だ。神の子なんて言われても、所詮その程度だ。ノールの方が凄いのに、誰もそれに気付かない。称号に気を取られ過ぎなんだ。でも、そんなの関係なくて……。
私たちを助けようとしただけで、お兄さんが、死んだ。
なんだ、それは。
私たちに関わったばかりに、不幸にも死んでしまった……?
何て謝ればいい。いや、もはや謝る事も出来ない。そして後悔する間もなく、時間は平等に流れている。
不健康そうな男が、お兄さんから剣を引き抜いてこっちに近づいてきた。
「……正面からやっても勝ち目ないからなぁ。でも、勝てば官軍なんだよねぇ、これが」
「言ってろ!!」
ノールが叫び、走り出した。
「ノール!」
止める間もなく、ノールは一直線に男に突っ込んだ。早い。
しかし、ノールでも届かない。
ノールは足を踏み外し、頭から地面に倒れ込んだ。両手に持った刃物を手放してしまった。カラカラと剣が回転しながら、そこら辺の木に当たって移動が止まった。
「脳筋がのさばるほど、この世界は甘くないんだよ。少年」
「くっそ……!」
ノールは何とか立ち上がろうとしているが、男がノールの頭を踏んでそれを邪魔する。
「女の方はともかく、男の方は本当に要るのか? 俺に負けてるようで使えんのかよ」
男はくるくると剣を弄びながら、切っ先をノールの心臓に向けた。
「や、やめて!」
男がきつい目つきで、私の方を見た。詰まる。もっと強く言いたいのに言葉が萎んだ。
「や、やめて、ください……」
「まぁ、俺も仕事だからさ、殺すつもりは無い訳。でもねぇ」
そう言って、男はノールの足を剣で少しつついた。
「ちょろちょろされるのも面倒だから、少し斬っとく?」
そんなことしたら、ノールが歩けなくなってしまう。
「お、お願いします。それだけは……」
「……ノール君、良い姉を持ったねぇ」
「……俺が兄貴だ、ボケ」
男はニコッと笑って、ノールの顔面を蹴った。ノールはゴホッと咳ひとつして、何とか立とうとしている。でも、それが出来ない。あの人のスキルなんだ。
「反抗は良くない。黙って拘束されるなら、傷はつけない。命令だからね」
ノールの事を今蹴ったじゃないか、なんて言えない。ただ頷いて、従うしかない。男が剣をしまって、歩き出した。
男がノールから離れると、何とかノールも立ち上がる事が出来ていた。
反抗しても勝てない。実力差、相性の差がデカい。ノールもそれを理解したのか、大人しくなってしまった。下を向いて、唇を震わせている。
「クソッ、どうすんだよ……。折角のチャンスが……」
ノールが呟く。私が居なければ、ノールは逃げれたかもしれない。でも、見逃せない。私が特別だから。私を守るために、ここに居る。ここに居るだけで、何もできない自分を許せないのかもしれない。折角、剣を二本も手に取ったのに、何もさせてもらえなかった。舞台は整っていたのに、何もできなかった。
そう恥じているのかもしれない。
男の後ろを付いて行く。視界に端にお兄さんが目に入った。
「……ごめんなさい……」
巻き込んでしまった。まさかこんな事になるとは、思っていなかっただろう。
黙って歩く。
男が歩きながら、最後通牒を突き付けた。
「次反抗したら、反抗しなかった方の腱斬るからな。面倒くせぇ。死にたくなかったら、ちゃんと従えよ」
ノールは顔をゆがませ、何も言わなかった。それを肯定と受け取ったのか、男は満足そうにして歩いた。
けど、反抗する声が響いた。
「死ぬのはお前だカス」
次の瞬間、私の隣を全速で駆け抜けるお兄さんがいた。
*
俺の心臓が串刺しにされた直後、意識はまだあった。即座に《再生》が発動して、ゆっくりと心臓が元の形に戻り始める。しかし、焦ってはいけない。今は動く事が出来ない。
どうやら俺と《再生》は相性が良くない。《レトゥナス・コボルド》のように即座に回復してくれないのだ。俺は奪うスキルを十全に発揮できる訳では無いという事だ。
ぼやける視界のなか、ノールがセーノに突っ込むが、範囲型の《睡眠》の餌食となっている。アイツに対して接近戦を仕掛けるのはかなりリスキーだ。やるなら一撃で決めないといけない。
目玉だけ動かして俺の剣の位置を確認した。近い。すぐそこにある。
ノールはまだ反抗しようとしているが、セーノに頭を踏まれて全く動く事が出来ていない。
再生はまだ終わらない。だが、これでいい。
「や、やめて!」
アイラが叫んだ。ノールの足が斬られそうになって、止めに入っている。そのまま時間稼ぎをしているんだ。さっさと治れと祈りながら、手足を感覚を確認する。若干力が入りにくいが、動けない事はない。
セーノは完全に油断している。
俺の心臓を破壊した程度で、勝った気でいるのだ。甘いな。世の中広い。やるなら首を狙うべきだ。ばっさり首を切断されていては、さしもの俺も死んでいた。再生は不可能に違いない。
セーノが二人から離れていく。反抗しないことを条件に、二人を傷つけない約束をしたようだ。本当に守るか疑わしい所だが。俺なら、戻って一発でも二発でも殴って、さらに従順にさせる。
二人がセーノに付いて行く所で、アイラがこっちを見た。
「……ごめんなさい……」
まぁ、謝る必要はない。死んだふりだし。
アイラはすぐに前を向いて、視線を振り切った。
でも、心に来るものがある。あんな女の子に罪悪感を植え付ける必要はなかった。多少の怪我は押してでも立って、戦うべきだったかもしれない。
三人がどんどん離れていく。
再生したのを確信して、すぐに立ち上がった。コソッと剣を拾って、静かに駆け出す。
最初は歩くように、そして徐々に走る。速度を上げ、セーノの背中を狙う。
セーノが勝者の威厳を放ちながら、ムカつく口調で話し始めていた。
「次反抗したら、反抗しなかった方の腱斬るからな。面倒くせぇ。死にたくなかったら、ちゃんと従えよ」
こいつ。考え方糞だ。自分が反抗する分で、傷つけられるのは仕方がない。しかし、それが他人に及んだ場合、自分は傷つかないのに、他人が傷つく事になる。自分の愚行でアイラが傷つく可能性が出るのだ。そんな事を言われたら、ノールの反抗心が萎む。
どうやら傷つける気は本当に内容だが、やり方がゲスい。
少しムカついた。最後の一歩を踏み出す。最早ここまで来て気づかないようなら、俺の勝ちだ。ダッと地面を蹴り、一気にセーノの背中に肉薄した。
「死ぬのはお前だカス」
セーノがバッと振り返った。すぐに手を俺に伸ばしてくる。それを首を傾け躱し、剣を突き出す。俺の方が一枚上手だったな。
「ゴホッ……!!」
土手腹を剣の根元まで突き刺した。セーノは諦めず、俺に触れようとする。《睡眠》を発動する気はまだあるらしい。負ける気はまだない事だ。
「死ねボケ!!」
剣を速攻で引き抜いて、開いた左拳でアッパーカットを決めた。セーノの顎に直撃して、宙に浮いた。
「ガハッ……」
ノックアウト寸前のセーノに対してまだ攻撃を決める。落下する前に回し蹴りを叩きこみ、万が一のためノールとアイラから引きはがす。蹴りを叩きこまれたセーノは、大木の幹に激突するまで宙を直進した。
痛みが意識を引っ張ってきたか、セーノはまだ反抗の意志を見せた。大木の幹に手をかけ、立ち上がろうとしていた。
回り蹴りの余韻を味わい尽くし、さらに駆け出す。あまり近づくと、また眠ってしまう。
セーノの能力の正体は分からないが、一定の範囲内の人物を眠らせる事が出来る。遠い間合いから一発叩きこんで、その後大技で決める。これで良いはずだ。
右手に持っていた剣を投槍のように、セーノに向かって投擲した。《強化》併用の筋力のもと、剣がセーノのもとまで駆け抜ける。
セーノは回避する事が出来ず、そのまま右胸に剣が突き刺さった。根元まで刺さって、セーノが大木に磔にされた。
「《強化》全開!!」
ここで近づく。まだ奥の手があっても困る。一発で決める。
地面をけり出し、右腕に全ての力を集約した。あと一歩の間合いまでセーノとの距離を詰めた。
「ここまでかよ……」
セーノの呟きは、俺の拳によってかき消された。
拳は大木と板挟みになったセーノの頭蓋骨を圧潰させた。大木は折れる寸前まで損傷し、放射状にひびが入っている。セーノの体は脳という司令塔をなくし、ビクビクと痙攣していた。
俺の右拳がセーノの血で汚れた。骨同士がぶつかり合ったため、俺の拳も砕けてしまった。即座に《再生》が発動して、ゆっくりと骨が元通りになり始めた。
「ウェーイ! 俺の勝ちー!」
万歳三唱でもしながら後ろにいたノールとアイラの方に振り返った。
二人とも引きつった顔しかしてなかった。